天帝の雷槍
コーデリアとカイルは瘴気の渦巻く中庭を駆けた。
視界を歪ませるほど濃密になった瘴気の中、脈打つ瘤に覆われた異形の塊へと雷撃を叩き込みながら、絡みつく蔦を斬り裂き、しなる枝葉を弾き飛ばして進む。しかし、敵の猛攻は留まることを知らない。
カイルの剣は一閃ごとに確実に敵を両断するが、その強烈な一撃には一瞬の隙が生まれる。
狙い澄ましたかのように、蔦が蛇のようにのたうち、鋼のムチのごとく襲いかかってくる。そのたびにコーデリアが爆雷を放ち、勢いを削ぎながら進むが、敵の攻撃は激しさを増すばかりだった。
踏み込むたびに、地を這う蔦が足を絡め取ろうと迫る。
だが、――立ち止まる余裕などない。
「旦那様、私が引きつけます」
先陣を切るカイルが何かを言いかけたが、すぐに唇を引き結び、剣を振るいながら距離を取る。
「どうする!?」
コーデリアは半歩遅れて走りながら、じんわりと鈍い痛みを放つ足に眉を寄せつつ、確信に満ちた声で答えた。
「魔力はほとんど残りませんが……、私に考えがあります! お任せいただけますか?」
カイルの視線が素早くコーデリアを捉える。
僅かに足を庇うような彼女の動きに、眉をひそめた。
理由に思い至った瞬間、目を見開くも、次の刹那には迷いを捨て、深く頷く。
まるで「信じる」と言わんばかりに、強く、揺るぎなく――。
その意思を感じた瞬間、コーデリアの胸の奥が熱く滾った。
「好きにやれ」
「お任せください」
艶笑するコーデリアの表情に、カイルは一瞬だけ目を奪われる。
しかし、すぐに気を取り直し、剣を構え直して、速度を上げた
ぬかるんだ地面が水を弾き、泥水が飛び散る。
周囲の蔦が一斉にうねり、鋼のようにしなってカイルを狙い、襲いかかろうとしている。
コーデリアはそれを見逃さず、力強く叫んだ。
「こっちよ!!」
蔦が目論見通りカイルから標的を切り替える。
コーデリアはポケットから白い球を取り出し、魔力を叩き込むように強く握りしめると、短刀を眼前に構えた。
「ふっ!」
短刀から発する蒼い残光が、凪ぐたびに余韻を引きながら彼女の身を包む。その光をまとい、コーデリアは身軽に追撃を躱し、大きく跳躍する。
雨水に濡れて重くなった髪が、空気を切り裂くように力強く舞い上がる。
迫りくる蔦を一刀で払いのけ、身をひねりながら軽やかにひと際太い幹に降り立つと、すかさず短刀をその根元に叩きつけた。刃が割れ目に深く食い込み、瞬時に蒼い光が幹を縁取るように紋様を描く。魔力が流れ、空気が震え、周囲の景色が一瞬静止したかのように感じられた。
胸元で両手を握り締めるようにしながら、コーデリアは水色の双眸を暗闇に向けた。
『|天霊、天雷、数多の星を結びし至高の主よ《セルフィネ エンテ エル・ツァファク》。
|悠久の理に従いし邪を穿つ、雷鳴の王の名の下に《ノルンエルニュート ステルファルク エル・ツォイ フェルンヴ》』
《《古代語》》で紡がれる詠唱は、歌うような音だった。
言葉が紡がれるたび、大気が震え、空が呼応するかのように閃光が走った。
何かを察したかのように、無数の蔦が蠢く。まるで怯えた獣が最後の抵抗を試みるかのように、四方から彼女へ向かい、天を衝く勢いで襲いかかる。
『|万象を貫き、悪しき敵を打ち滅ぼす白雷の槍を貸し与えたまえ《アーカーシャ ペルフェラルゴ テントラスト アドナル ミョル》』
握り込んでいる手の内から、眩い光があふれ出す。それは瞬く間に膨れ上がり、視界を焼くほどの輝きへと変貌していった。
迫りくる蔦はまるで畏怖に打たれたように震え、動きを止める。
真昼のような白光に包まれる中、彼女の足元では、水色、銀色、青の光が細やかに瞬き、まるで夜空の星々が降り注いだかのように輝いていた。
『――|我は乞う、我は願う、我は求める《アズール・アラハ アルティア・アラハ フェルシエール・オン・アラハ》。
――|我が声に応じ、汝が力を顕現せよ《アラルフェレン ネスティアオ ナル・アラファル フェルムバルト・リア・フェレール》』
深く息を吸う。
水色の双眸に白光を宿しながら、コーデリアは断罪者のごとく高く掲げた手を、勢いよく大地へと叩きつけた。
「《天帝の雷槍》!!」
瞬間、閃光が天地を貫くように炸裂する。
それは一瞬の静寂を引き裂き、遅れて轟音とともに圧倒的な衝撃波を伴って周囲を襲った。
風が荒れ狂い、建物が悲鳴を上げるように軋む。
窓ガラスが次々と砕け散り、どこかで外壁が崩落する音が響いた。
カイルは思わず腕で顔を覆い、衝撃に備えた。だが、予想していた痛みも衝撃も訪れない。不審に思い、そっと目を開けると、自分の周囲を包み込む半球状の水色の光が揺らめいていた。まるで盾のように、飛び交う木片やガラスの破片、舞い散る枝葉、そして水の粒までもが弾かれ、彼の背後へと流れていく。
気づけば、雨は止んでいた。
ほどなくして、神秘的な光の膜はすうっと掻き消える。それが、カイルの胸元に輝くペンダントから発せられていたものだと気づくのに、さして時間はかからなかった。
役目を終えた魔道具は、再び静かに青い光を湛える。先ほどまで絶大な力を誇示していたのが嘘のように、ただの装飾品のように見えた。
「カイル様!」
鋭く響くコーデリアの声が、カイルの意識を戦場へと引き戻す。
視線の先には、赤黒く燻る大地が一直線に切り裂かれ、白い煙を上げながら焦げ跡を残していた。
さっきまで猛威を振るっていたそれは、今や明らかに動きを鈍らせ、幹の中心では青白い魔道具の光がかすかに煌めいている。
刹那、カイルは確かに見た。
光の奥、揺らめく影の中に――人の姿が。
迷うことなく走り出す。
コーデリアの魔法を受け、敵の勢いは明らかに削がれていた。
瘴気の紫の霧は完全に払われ、周囲に広がっていた蔦も黒く炭化しながら崩れ落ちていく。咲き誇っていた異形の花は萎れ、もはや回復する余力すら残されていないのだろう。
先ほどまで無数に蠢いていた「ゴミムシ」のような蔦は、ほぼ姿を消していた。今や残るのは、指で払うだけで塵と化し、四散する黒い欠片ばかり。
カイルは鋭い紫紺の瞳を前方へと向ける。
握る剣の柄に、自然と力がこもる。
――あれが核か。
幹の中心で、青白い光が脈打つように明滅している。
絡み合う蔦の裂け目から、こぼれ落ちる光の粒。
その奥――。
佇むのは、目を見開き、青い閃光に焼かれるように硬直した女の姿だった。
「……いたか」
バキ、ギチ、と幹の裂け目が軋む。
女の体が、助けを求めるようにわずかに動いた。
青白い光は、彼女の胸元で輝いている。そこに、まだ稼働し続ける魔道具がある。
カイルは目を細めると、一気に間合いを詰めた。
やや勢いを取り戻しつつあった蔦を払いのけ、剣を振り上げる。
「これで終わりだ――クソったれめ」
鋼の閃きが走る。
耳を劈く金切り音が響き渡り、そして全てが塵芥へ帰すまで――そう時間はかからなかった。




