老人と老婆
静寂を切り裂くように、コーデリアは屋敷の窓から跳び降りた。
降りしきる雨が肌を叩きつけ、背後ではイェニーの声が闇に溶けるように余韻を引いている。
コーデリアは眼前で短刀を構え、魔力を注ぎ込んだ。
刀身には複雑な幾何学模様が波紋のように浮かび上がり、青い燐光が眩く迸る。
頭上から降り注ぐ雨は勢いを弱め、小雨へと変わっていた。水の雫は球体になり、彼女の頬をかすめて落ちていく。
その視界の下、大小さまざまな蔦が《《獲物》》を仕留めようと蠢いていた。
コーデリアは、それらの動きを見極めながら剣を操る。真下から伸び上がる攻撃を躱し、薙ぎ払い、受け流しながら落下していく。
風切り音が耳の傍を掠めた。
斜め横から襲いかかる蔦の一撃をかわした瞬間、束ねていた髪が爆ぜるように散らばる。
長い髪の房が舞い上がり、落下する彼女とは逆に、空へと流れていった。
刹那。
ひと際大きな蔦が鞭のようにしなり、殺意を帯びた一閃を放つ。
「――いでよ、いでよ、我が求む。我が呼ぶ。我が声に応え、天雷よ疾く来たれ」
パリ、と青い光が静電気のようにコーデリアの指先から瞬き、流星が宵闇に尾を描くが如く空間を駆け抜けた。
一瞬の淡い輝きかと思えば、すぐに鋭い雷撃のごとき青い閃光を纏い、迸る。
(逃がさない――!)
コーデリアは両手で短刀の柄を握り込み、雷鳴のように叫んだ。
「<女神の雷撃>!!」
天を裂き、青白い光の剣が降り注ぐ。
光刃が蔦を切り裂くと、断面から物体が分解するように崩れ、黒紫の粒子となって霧散していく。
しかし――。
「くっ……!」
びりびりと痺れるような痛みが両腕を駆け抜けた。
圧倒的な質量。並の敵とは桁違いの強度。
幹ごと切り飛ばすつもりで刃を振るったが、穿つことができたのは半ばまでだった。しかも、傷口を目掛けるようにどこからともなく蔦が一気に湧き出し、瞬く間に絡みつき補修されてしまう。
(……硬い)
大剣を執行人が如く振り下ろしたところで、追撃は止まらない。コーデリアは舌打ちし、風を切る刃のように植物の《《身体》》を足場にして駆けた。
縦横無尽に動く中で、追いすがっていた蔦同士が絡まってぶつかり速度が緩む。一瞬の隙を狙い、幹に足をかけて跳ぶ。
直後。
「っ!」
右足首に細い枝が突き刺さる。わずかに動きを阻害されたが、それでも二度、三度と木々の合間を渡るように駆け抜け、バネのように跳ねる蔦を足場にして、ストン、と地面へと降り立つ。
痛みを感じ、僅かに顔を顰めるが、幸いなことに軽微のようだ。ありがたい、と独り言ちる。
着地の余韻も束の間。
すかさず、頭上から飛来する蔦の一撃が迫る。
「――っ!」
間髪入れず身を翻し、回避する。何度も受け止めていては、いつか圧殺される。
コーデリアは指を弾いた。
「<フレイムバレット>!!」
指先から火焔の球が弾け飛ぶ。轟音とともに爆発し、蔦を直撃、したはずだった。
「……効かない?」
一瞬、表面がメラメラと燃え上がったかに見えたが、それはすぐに消え去った。
ほどなくして降り続ける雨が、すぐさま鎮火させる。
だが、雨だけのせいではない。
「無効化……? まさか」
そんな性質、聞いたことがない。
(何よ、それ。どう見ても植物でしょうが――)
唖然とするコーデリアを嘲笑うように、蔦がそよぐ。
温室に収まりきらぬほど膨れ上がり、ミチミチと音を立てながら建物を圧迫する異形。
まるで意志を持った老獪な巨人のように、その存在感を誇示していた。
「コーデリア!!」
鋭い声が、空間を貫いた。
ハッと振り返る。
視界の端――右目の先に。
束となった蔦の影が、音を立てて襲いかかってきていた。
*****
カイルはコーデリアを探し、位置すら定かでないまま駆け出ていた。
(くそっ。――コーデリアはどこだ)
視線をどこに投げても、邪魔な植物が視界を遮る。
忌々しい、と歯噛みしながらカイルは前方に視線を伸べた。
瞬間、視界の片隅で白い閃光が一瞬煌めく。
「っ」
激しさはないが、暗闇に慣れた目には強すぎる光に、カイルはとっさに顔を背けた。
すぐにその光は消えたが、右側の大穴が開いた壁からその余韻が入り込む。
同時に、まるで痛みに怯んだかのように、暴れ狂っていた蔦が一瞬だけ動きを止めた。
雷でも近くで光ったのだろうかと考えつつ、カイルは頭上に絡む縄打つ植物を避けながら身を低くし、先へと進む。
ひゅっと、鞭がしなるような音が届くと同時に、右手から迫る蔦を片手で掴み、まるで握り潰すように力を込めてその動きを封じる。
屋敷は蔦に蹂躙され、足元には紫がかった靄が漂っていた。
「カイル様!」
背後からフェンネルが追い縋ってくる。逆手に持ったナイフで蔦の細枝を打ち払いながら、必死に足を動かしていた。
「置いていかないでくださいよ!」
そう言いながら、フェンネルは白い飴玉のような球をカイルの足向こうに放った。瞬時に光が炸裂し、紫の霧を四散させる。蔦の動きが鈍り、カイルが手に握っていた触手も霧散した。
ととと、と軽快な足取りでフェンネルが到着すると、カイルはまっすぐに見下ろし、ゆるりと片手を差し出した。
「獲物を寄越せ」
明らかな不機嫌顔で武器を要求するカイルに、フェンネルは顔を青ざめさせる。
「ちょっと待ってくださいよ! これがないと、お守りできませんよ!?」
「……」
カイルは鼻で笑い、さらに指先を動かして無言の圧を加えた。
「――旦那様」
不意に声がした。
はっとして顔を上げると、マートルがすぐ近くの扉の隙間から顔を覗かせていた。暗闇の中、三角眼鏡を光らせる老婆の顔だけがくっきりと浮かび上がる。
「ぎゃぁあああああああああああああ!! でたぁあああああああああ!!! 化け物おおおおおおおおおおおお!!!」
フェンネルの悲鳴に合わせるように、動きを止めていた蔦が猛然と襲いかかる。
カイルはフェンネルの手からナイフを奪い、一閃。
さらにフェンネルの襟首を掴み、マートルが開けたドアの中へと投げ込むと、自らも続いて部屋へ滑り込んだ。
ほぼ同じタイミングで、マートルがカイルの顔の横から拳大の白い球を背後へ投げた。
閃光が爆裂し、熱を伴わぬ衝撃波が廊下を駆け抜ける。その余韻で扉が閉まり、カイルはとりあえずは、とマートルに向き直った。
「マートル、無事だったか」
「――おかげさまで。……時間がありません、旦那様、こちらを」
ヒビの入った三角眼鏡越しに鋭くカイルを見据え、マートルは両手で黒い塊を差し出した。
ずしりとした手に馴染む重みに、カイルはニヤリと破顔する。
革布を取り払うと、柄に滑り止めの布が巻かれた愛剣が収まっていた。




