魔獣、襲来。
ガタゴトと音を立てて走る馬車の中、コーデリアは椅子にもたれ、窓の外を眺めていた。
葉を落とした樹木が林立する味気のない景色は、土地の恵みの少なさを感じさせる。収穫月はとうに過ぎているが、ここまで緑の少ない土地というのも珍しい。
だが、実家での生活から逃げ出せたのだと思えば、どんな景色でも輝いて見える。
「もうすぐ着くと言っていたけれど」
住み慣れた領地から出て半日の距離の町で一度休息を取った。道中は魔獣が出て危険だということで護衛を一人雇い入れ、辺境伯の領地へと向かう。
今向かっているライグリッサ領は自領であったルゼンティアから二日の距離にあるの。ほどほどに長旅ではあるので、時折補給を兼ねて町々に立ち寄った。
「お嬢様、お疲れですか?」
御者台に繋がる小窓から緋色の瞳の青年がひょっこりと顔をのぞかせた。彼が護衛のフェンネルだ。普段は軽妙な口調が特徴だが、この地域に近づくにつれ明らかに緊張していた。
「大丈夫です、フェンネルさん。このあたりの土地はいつもこんな感じですか?」
瘴気焼けと呼ばれる土地枯れを示して尋ねると、フェンネルは少しだけ瞳に驚きを浮かべて頷いた。
「よくご存じですね。そうです。このあたりは聖女の恵みが届かない見放された土地と呼ばれていて、魔獣どものねぐらになっている場所なんです」
うっそうと茂る立ち枯れた木々の合間をやや急ぎ足で通過していたのはそのためだったらしい。上等とはとても言えない馬車が舗装されていない土道を走る度、小石を跳ねるので何度も頭をぶつけそうになっていた。
「このあたりには魔獣がよく出るんですか?」
重ねて尋ねると、フェンネルが口の端をニヤリと歪めて頷いた。まるで怖がらせてやろうという意図が見え隠れしてコーデリアは気づかないようにしながら言葉の続きを待つ。
「レグーナという魔獣の群れがよく出ますね」
「狼に似た大きな灰色の獣ですね。二本角から雷撃を放つ危険な魔獣……だったかしら?」
実際に相対したことがあるとはとても言えず、言葉を軽く濁しながらにこやかに微笑む。
魔獣の中でも数の多い危険種だが、コーデリアの領地近郊に出没することは少ない。瘴気が濃い場所に多い魔獣の一つで、広範囲の雷撃で命を落とす騎士も多いと聞く。
「随分お詳しいんですね」
「おほほ、たまたま知っていただけですわ」
(なーんて、嘘をついてしまったけど。魔獣の知識を師匠に叩きこまれたとは言えないわ)
コーデリアは膝の上に置いている鞄にそっと触れた。その中には愛用の短剣が入っている。
魔法の師であるラドフェレーグからの守護が込められた短刀だ。聖女にしか使えないとされる祈りの祝福が込められており、瘴気を払う力がある。
(餞別だなんてらしくないことを言うから、どういうことかと思えば、そういうことだったのね)
胸元に一つ下げた青色のペンダントに微かに触れ、コーデリアはふっと息を吐く。
ライグリッサが魔獣の巣窟で見放された土地であることは知っていたが、知っているのと実際に体験するのは違う。
(瘴気に触れた傷をたちどころに癒す、一回きりのお守り。使うことにならないよう気を付けないと)
辺境伯に嫁ぐことを知った日の夜、薪拾いと称して家を抜け出し、いつものように師匠の所を訪れた。
使用人としての扱いを受けていたコーデリアの行動を不審に思う家人は誰一人としておらず、中にはまた奥様の我儘が始まったのか、と同情の目を向ける者もいた。ただし、庇ってやろうという気概を持つ使用人は誰一人としておらず、そのおかげでコーデリアはいつものように夜明けまで自由に自分の時間を使えたのだった。
屋敷から少し離れた場所にある森には、父の師匠で元騎士団長のヴェルグーザがいた。
『辺境伯に嫁ぐのか。へぇ』
面白がるように、もう一人の父のような存在の騎士団長はからからと笑っていた。彼の隣で、コーデリアの魔法の師であるラドフェレーグが、困ったように眉尻を下げていたのを思い出す。
(ヴェルよりもむしろ、ラド師匠の方が心配よね)
絶世の美貌を誇る月明かりの乙女のような相貌の師は、金蜜色の瞳を潤ませながら「ここにずっといておくれ」と泣いた。
散々にライグリッサがどんなに悲惨な場所かを言い立ててコーデリアを引き留めようとしたが、ヴェルグーザの刃によって阻まれる。いつも通り、魔法対剣技で剣呑な模擬戦をはじめた師匠たちを横目に、コーデリアは自分のことを思ってくれる家族のような人たちに感謝したのだった。
(いつか家を出てやろうと思っていたけれど、こんなタイミングで出られるとは思いもしなかったわ)
持参金は与えられていないが、コーデリアは幼少期から師匠二人に育てられ、コツコツと密かに貯めたお金があった。
王都好きで派手好きな継母と義妹、そして彼女たちに仕える使用人たちが不在の時期を好機に、コーデリアはある程度自由に、時には好き勝手に生活をさせてもらっていた。
想定外だったのは、「貞淑で夫を思いやる伯爵夫人」を演じたがった継母が、父を王都の病院に入院させたことだった。実子として父の看病をする間もなく、伯爵家の実権を握った継母の勝手な采配により、コーデリアは父から引き離されてしまった。
(言い方は悪いけど、一人だったおかげで、色々なことができたのよね)
継母と義妹が戻ってくるのは、社交シーズンが終わる秋の終わりから冬の終わりまでのほんの四か月間。それ以外の期間はほぼ一人で、広大な屋敷でひっそりと暮らしていた。
(とはいえ、屋敷の維持や使用人たちの給料、日々の収支から領地経営のほぼすべてをこちらに丸投げしてくるとは思わなかったけど)
使用人同然に扱いながら、自分たちの都合の悪いことは簡単に押し付けてくる。湯水のようにお金を使う一方で、コーデリアが裁可できる金額は領地の維持には到底足りず、屋敷を維持するのも精いっぱいだった。
(大変だったけど、嫌いじゃなかったのよね)
コーデリアは森で小型の魔獣を狩り、近くの森やダンジョンにもぐって修練を積んでいた。魔獣を倒して得た貴重な魔鉱石や薬草を売ったり、ちょっとした仕事をこなして小金を稼いでいたのだ。商売の仲立ちをしてくれる良い友人もおり、彼は最後までコーデリアを引き留めたがっていた。
(一緒にキャラバンで働かないか、と言われた時は心が動いたけど)
それも楽しそうだと思いつつ、誰かと一緒に何かをするのはその時ではない気がして、結局断ってきたのだ。
(やっぱり断らなければよかったのかしら)
ふとよぎる記憶に、コーデリアは微笑みを浮かべた。
馬車は薄暗い林道に差し掛かり、空は曇天が立ち込めて薄暗く、遠くに獣の遠吠えのような声がする。時折、おびえたように体をビクつかせているのが小窓から見える。
「ジェロームさん、前方に注意を」
フェンネルが静かに御者に告げた次の瞬間――パギン、と不自然な音が響いた。
「魔獣だ!」
御者の叫び声が上がると同時に、馬車の周囲を包む空気が緊張で張り詰めた。二頭の馬が高くいななき、ガタンと馬車が揺れる。
「!?」
したたかに窓ガラスにこめかみを打ち付け、ぐらりと傾いだ体を整えれば、前方から鋭い悲鳴が上がった。御者のジェロームのものだろう。
コーデリアは鞄の中から短刀を取り出し、息を詰めて窓の外をさっと一瞥する。
木々の間から現れたのは、鋭い牙を持つ狼型の魔獣だった。その体は異様に巨大で、目は赤く光っている。
「まずいな……。結構な数だ。お嬢様、じっとしていてください……よ、っと!」
軽妙な声の中に緊張を迸らせて、フェンネルの背中が小窓から消える。
外から見つからないように背もたれに体をくっつけるようにして窓の外を見やれば、フェンネルが剣を引き抜き、大型の狼のような魔獣――レグーナ2頭に突っ込む姿が見えた。ざっと視線を走らせれば、遠巻きに距離をじりじりと詰めながら複数の個体が目視できる。
コーデリアは椅子の下に詰めていた小型のトランクを取り出すと、パチンと開けて中から小瓶を持てるだけ取り出す。中には濃い紫色の液体が泳いでいて、淡く発光していた。
顔を俄かに上げれば、ジェロームの後頭部が窓ガラス越しに見えた。馬車の入口に背中をくっつけるようにして逃げ場もなく混乱しているのがよくわかる。
コーデリアは躊躇なく声をかける。
「乗って!」
声に弾かれて、ジェロームの青色の瞳が恐怖を走らせた。窓向こうのコーデリアを確認すると同時に扉を開けて、中に入ってくる。
「声を上げないで。身を低くしてじっとしていて」
言い捨てて、自分は地面に飛び降りた。
「お嬢様!!」
御者が驚いた声を上げるのを耳に、コーデリアは手に持っていた小瓶を地面にたたきつけた。
薄い紫の煙が立ち上り、キラキラとした白銀の細やかな粒子が空に向けて四散していく。
「――さて、相手してあげましょうか」
ナイフの柄に左手を当てて、コーデリアは不敵な笑みを浮かべ魔獣たちを睥睨した。




