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自覚のない天然程恐ろしいものはない、と辺境伯は呟いた。

(うーん。身体の美しさと強さを競う、真剣で、楽しい、催し、ってなにかしら?)


 実のところ生まれてこの方、「お祭り」に参加したこともなければ、間近で見た経験すらない。


 コーデリアは与えられた断片的な情報を基に祭りの内容を想像しようとしたが、なかなかしっくりくるものが浮かばない。


 貧相(ひんそう)な想像力が脳裏にちらりと導き出したのは、なぜか「筋肉隆々(きんにくりゅうりゅう)の男たちが肉体美を競い合い、角度を変えながら様々な部位を披露する」という光景だった。


 だが、さすがにそれはない、と結論を下したところで少し頬が熱くなる。


(私ったら、なんて破廉恥(はれんち)な想像を……!)


 両手を頬に当てて妙な想像をしたことをカイルに悟られないように、僅かばかり体を背ける。


 とはいえ、知識や経験の不足をいまさら補うことはできないので、コーデリアは諦めて本番を待つことにした。未知のまま迎える本番の方が、きっと一層楽しくなるだろう――そんなふうに前向きに捉えることとする。


 一方で、その隣のカイルはと言えば、盛大に頭を抱えていた。


 迂闊(うかつ)に余計なことを口にしてしまった。その自覚があっただけに、彼は目を泳がせながら、どう取り(つくろ)うべきかと思案を巡らせている。だが、当の妻の方はそんな彼を気にする様子もなく、ふいに顔を上げ声をかけてきた。


「旦那様」


 涼やかな声につられように顔を動かして、カイルは明るい輝きを帯びている水色の双眸を見下ろした。


「なんだか……とても楽しそうです!」


 カイルが一瞬面食らう間に、コーデリアは勢いよく続ける。


「私はこれまで、お祭りとは縁遠い生活を送ってきました。だから――是非、参加してみたいです!」


 コーデリアにしてみればただの思いつきから出た軽い進言だったのだが、その言葉を聞いた途端、カイルの表情がビキリと固まった。


(あら? どうしたのかしら? 旦那様が氷漬けになったような)


 隣のカイルは、驚いたように顔を強張らせたかと思うと、黒い手袋をはめた手で顔の半分をさっと覆った。手の隙間から見える目元や黒髪から覗く耳が真っ赤になっている気がする。


「えっと……その……」


 もごもごと口を動かしながら、何か小声で呟いている。しかし、小さすぎて言葉の意味は聞き取れない。コーデリアは耳を近づけようと、少しカイルの方に体を寄せた。


「旦那様、どうし――」


 とん、と指先でカイルの腕に触れれば、彼は弾かれたように目を瞠り、顔から手を外して明らかに困惑したような表情でコーデリアを見下ろした。顔ばかりでなく、衣類の隙間から僅かに見える首筋も朱色に染まっている。


 どうしたのだろう。熱でも出たのだろうか。


「あっ! いや、その! 参加は、あの、その、女性枠はなくて、男性だけの催しで――」

「男性だけ!?」


 突然矢継ぎ早に発せられた言葉に耳を疑い、コーデリアはカイルにぐっと詰め寄った。せっかくのお祭りなのに、男性しか参加できないなんて、そんな悲しいことがあるのか。


「女性は参加できないのですか?」

「うっ」


 残念そうに肩を落としたコーデリアの悲し気な瞳に、カイルはさらに動揺し、慌てて両手を大きく振った。


「いやいや! そういう意味じゃない! 本当に違うんだ!」


 その声があまりに大きかったため、近くにいた人々の目が一斉にこちらへと向けられた。


 突然注目を浴びてしまったカイルは、一つ咳ばらいをして気持ちを落ち着けるように呼吸を整えると、気まずそうに瞳を揺らしつつ、慎重に言葉を選びながら弁明のような言葉をぽつり、ぽつりと零し始めた。


「その、なんだ……力仕事が多い男たちが中心で――決して女性が参加できないわけじゃなくて……いや、その……。投票とか、そういう参加の方法があってだな。むしろ女性や家族に応援してもらってこそ盛り上がる祭りというか」


 後頭部をガリガリと搔かきながら言葉を絞り出すカイルの様子に、聞き耳を立てていた人々の表情がますます温かい笑みを含んでいく。


 ついには周囲からクスクスと笑い声が漏れ出す。そんな中、コーデリアは眉根を下げて困惑したような表情をしつつも、どこか楽しげに口を開いた。


「旦那様がそんなに慌てるなんて、なんだか珍しいですね。でも、みんなで楽しめるお祭りなんてとても素敵だと思います。私も是非、お祭りを一緒に楽しみたいです」

「……っ!」


 コーデリアは本心からそう思って言葉を零したのだが、途端、彼は虚を突かれたような表情でしばし固まると、今度こそ脱力したように両肩を落とし、深いため息をついた。


 それから、こちらに聞こえないほど小さな声で、二言三言呟いた。なんと言われたのかが気になって声をかけたが、カイルはとうとう最後まで教えてくれなかった。





 *****




 ここから見える街の通りには活気があふれ、楽しげな声が響き渡っていた。


 子どもたちが遊びながら笑い声を立てて駆け回り、通り過ぎる主婦たちは嬉しそうに会話を交わしていた。


 空は晴れ渡り、心地よい風が頬を撫でている。コーデリアの目はそのすべてに引き寄せられ、胸の内には自然と踊るように浮き立つ気持ちが広がった。


(こんな風に、ゆったり過ごせる未来が来るなんて……)


 幸せとはこういうことを言うのだろうかと、コーデリアはふと思っていた時だった。先ほどからちらちらと向けられるカイルの眼差しが気になって、とうとうこらえきれなくなり、顔を向ける。


 ばち、と丁度のタイミングで視線が絡み合うと、気恥ずかし気に一瞬逸らされそうになった瞳が元に戻り、おずおずと伺うように覗き込んできた。その目には、言葉にしなくても何かを伝えようとしているような、少しだけ焦ったような色が見え隠れしている。


 何か返した方がよいのだろうか、と思考を巡らせ、口を開きかけた時だった。


「コーデリア。――魔道具の点検に付き合うか?」

「え! よろしいのですか!?」


 思いがけない提案に、一にも二にもなく、コーデリアは喜びのまま勢いよく頷いた。


 カイルの案内で街の中を歩き出す。


 連れ立って歩いてほどなく、広場から抜けて住宅が密集する通りへと、一本中に入る細い道に足を進めた時だった。背後から、不意に声がかかる。


「コーデリア様」


 振り返れば、初老の男性が杖を片手にゆっくりとこちらへ近づいてきていた。その姿には見覚えがある。コーデリアの半分の身長の、つるりとした頭頂部の老人だ。確か、ヴァドラドの町長だったはずである。


 コーデリアが記憶を探りながら呼び名を探すより前に、カイルが先に声をかけた。


「チェレンガ、寝ていなくていいのか?」


 名を呼ばれた老人はケケケと笑いながら、白い顎鬚を手で撫でて嬉しそうに答える。


「麗しい奥方様がおいでになっていると聞いては、寝てばかりはいられませぬ」


 その言葉に、コーデリアは驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。


「麗しい!?」


 チェレンガはにこにこと頷き、満面の笑みを浮かべる。


「そりゃあ、そうでしょうとも。これほどお美しい方が他におられますか」


 カカカと明朗な笑い声を立てながら、チェレンガが目尻の皺を濃く刻む。


 そのやり取りを見ていたカイルが、少し呆れたように眉を上げた。


「それでチェレンガ、今日はどうした? 何か困りごとでもあるのか?」

「いやいや、むしろ私が聞きたいのはそちらのこと。カイル様、本日はシャンジャンガだけを供与されに来られたのですか?」

「いや――」


 カイルは言葉を切り、黒い手袋をはめた手を顎に当てながら考え込む。コーデリアは傍らに立つカイルの横顔を見上げ、目を瞬かせた。てっきりシャンジャンガだけを届けて帰るのだと思っていたのだ。


「前回確認できなかった魔道具の稼働状況と、必要なら魔石の補充をするつもりだ」

「なるほどなるほど」


 チェレンガは深く頷き、細い瞼を押し上げると、透き通った青い瞳でカイルを見上げる。


「やはり気になることがあったのですな」

「……その様子だと、お前の方が詳しそうだ。案内してくれ」


 チェレンガは一瞬、微かな笑みを浮かべたが、すぐに視線を前に振り向けてゆっくりと歩きだした。コーデリアはその背中を見つめながら、胸が騒めくのを感じていた。胸元で揺れる青い石が、まるで何かを警告するかのように冷たく感じられた。

 



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