フェンネルの呟き。(第一章.完)
(あの人たち、絶対頭がおかしい!!)
フェンネルは、実父から「稽古」と称してしごかれたせいで、腫れ上がった顔を手で抑えながら訓練場に立っていた。その視線の先では、真剣な戦いというよりも、むしろ遊びのような光景が広がっている。
カイルは「愛しの令嬢」に向けて、魔獣そのものの凶悪な笑顔を浮かべながら迎え撃っていた。その一方で、コーデリアは軽やかに攻撃をかわし、舞うように剣を操ってる。その動きがあまりにしなやかで、思わずフェンネルは息を呑んだ。
「コーデリア様、頑張って下さぁーい!」
「カイル様―! 美しい奥様に傷をつけないで下さいよー!」
「奥様、がんばってー! その魔獣をけちょんけちょんにしてやってくださいー!」
背後の席からは次々と応援の声が飛んでいる。仲間たちは酒瓶を片手に興奮気味で、まるでお祭り騒ぎのようだ。
「ついでにお給料上げるように言ってやってくださいー!」
「そうだそうだ! 手当も上げろー!」
「臨時収入寄越せ―!」
「閣下―! 剣先が鈍ってますよ~!」
その喧騒の中、フェンネルは改めてコーデリアの剣の腕前としなやかな動きを見つめていた。レグーナとの戦闘の時にも思ったが、奥様は「慣れすぎて」いる。
カイルの力強さにも全く引けを取らないその姿は、驚くべきものだった。
瞬間、カイルが間合いを詰めてコーデリアの右手側から迫った。
観客の声が一瞬沸き立ち、フェンネルも前のめりになる。
しかし、コーデリアは素早く攻撃を受け止め、返す刀で剣劇を繰り返した。そのためらいのない動きに、再び応援の声が湧き上がった。
「いけー!! やっちまえ―!!」
奥方の夜空のような黒髪が流星のように舞い、しなやかな弧を描く様子にしばし見惚れた。
(奥様マジで、ナニモノなの!?)
そんな彼の心中を余所に、カイルは隙をつかれて間合いに飛び込まれ、首を掻かれそうになりながらも、さらに凶悪な笑みを浮かべていた。
その表情にフェンネルはぞっと背筋が凍った。
きっと背後で観戦している仲間たちも、同じような顔をしているに違いない。
(なんて顔をするんだ、あの魔獣め!)
笑うにしても、もう少しマシな表情があるだろうに――そう思わずにはいられなかったが、凶悪な面構えをどうにかする術もない。フェンネルは呆れと疲労が入り混じったようなため息を静かに吐いた。
ほどなくして勝敗は決した。
コーデリアが剣の柄頭をカイルの顎下に添えようとしたその瞬間、間合いを一気に詰めたカイルが彼女の体を包み込むようにして、腹部に木剣の先を突き付けていた。
「手加減しているとはいえ、奥様も大健闘だな」
敗北を悟ったコーデリアは、剣を手から落とし、地面に膝をついた。激しい戦いだっただけに、肩で息をするその様子が遠目にもはっきりと分かる。
フェンネルは腕を組み直しながら、カイルの動きに視線を移した。
カイルは慌てることもなく、余裕のある仕草で立ち上がると、片手を差し出してコーデリアを助け起こそうとしていた。その所作は普段の粗野さとは異なり、不思議と柔らかさを感じさせる。
「……おや?」
フェンネルはふと眉を上げ、興味深げに目を細めた。
カイルは黒い手袋をはめた手でコーデリアの手をしっかりと握り、何かを囁いているようだ。コーデリアの表情は真っ赤になり、慌てて顔を背けている。その様子に、カイルが彼女の顔を追うようにおろおろと慌てた様子でさらに覗き込んだ。
「あれは……。何をしているんだ……?」
数秒ほど、二人の間で何か押し問答が続いているようだった。
カイルの視線を逃れようとするコーデリアが、必死に顔をそらしたり、身を捻ったりしている様子が遠目にも伝わってくる。
そうこうしていると。
「――、ひと目ぼれ、だっ!」
訓練場に轟いたその声は、とんでもない声量だった。大気を震わせるほどの巨熊の咆哮に似た叫びが、木剣の戦いで張り詰めていた空気を一瞬で吹き飛ばした。
その場にいた全員がピキリと硬直し、思わず動きを止める。
声の余韻が訓練場に反響し続ける中、フェンネルは眉を上げ、呆れたように短く一言漏らした。
「バカだな……」
「そうだな。まったくバカだ」
「俺たちの主、あんなにバカだったか?」
すぐ背後から、やけに明瞭な仲間の声が降ってきた。気づけば、いつの間にかフェンネルの背後に立っていたのだ。椅子から立ち上がり、音もなく近づいてきたのだろう。
一方、訓練場の中央では、カイルの目の前で硬直していたコーデリアがついに力尽きたようにその場にへたり込む。慌てたカイルが手を差し出し、彼女を抱え上げようとするが、コーデリアは逃れようと必死に四肢をばたつかせて抵抗している。
「――――っ!」
「――!」
どうやら、痴話げんかが始まったらしい。
カイルは何とか気を使っているつもりのようだが、その気遣いが空回りしているのは明らかだった。コーデリアに肩を押し返されながらも懸命に説得を試みる姿は、傍から見れば滑稽でさえある。一方的な言い合いが、どこまでも続きそうな勢いだ。
フェンネルはその光景を遠目に見守りながら、静かに深く頷いた。
「まあ、うちの主にはちょうどいい奥方だな」
そう納得していると、不意に気配を感じ、視線を横に移す。
いつの間にか隣には、マートルとアルマーが現れていた。
二人とも滂沱の涙を流しながら、ハンカチで顔を拭いては嗚咽を漏らしている。
「旦那様……ようございました……ご立派でございます。じぃは、じぃは……!」
「ぼっちゃま……とうとう奥様をお迎えになられて……!」
その姿に、フェンネルは半ば呆れたように微笑みを浮かべる。
あの主にしてこの家人あり。
「変人ばかりのライグリッサ領にようこそ――ってところだな」
苦笑するフェンネルの呟きが、コーデリアの叫び声にかき消されるように消えていった。
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一章はここで終了となります。
1話から読んでくださった皆様、途中から読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
テンポ重視でサクサク書いてしまったので、ご都合展開めいている点につきましては平にご容赦いただけましたら幸甚です。
二章以降の更新開始日は現在調整中です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
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雲井咲穂