砂漠の鳥
エル・ハンドラまであとほんの200万キロの地点で船を停めた。
砂漠はどこまでも続いている。オアシスを見つけたら停まっておかないと、次はどこで補給が出来るやらわかりはしない。船から降りて、緑色の土を踏むと、風が帯びている乾いた暑さが少しだけやわらいだ気がした。
「お兄さん、いい船に乗ってるね」
タイヤのチェックをし、設置されているスタンドに船を着け、尿素水のノズルを船の給水口に突っ込んでいると、気さくなスポーツマンといった風体の男が話しかけて来た。俺の船は大きさも新しさも色も、何もかもふつうだが、久しぶりの人間に出会った彼は嬉しくなり、会話がしたかったのだろう。どこから来てどこへ行くのか? と聞かれたので、テイク・バードからエル・ハンドラまで行くのだと答える。男は呆れたように言った。
「なんて長い距離だ! 俺にはとてもじゃないが無理だな。仕事かい?」
「ああ。ポリ・ナフスタリンを大量に積んでいる。届けに行くんだ」
「ポリ・ナフスタリンだって? なんだい、それは?」
「運んでいる俺もよくは知らん。何か工業製品にするための原料だろう。あんたは?」
「俺はこの砂漠に住んでるんだ。住みにくいが、住めば都なんだぜ」
「いい人生みたいだな」
「気をつけてな」
「ありがとう」
手を振り合い、俺たちは別れた。
いいもんだ。単調な操縦仕事の合間の、見知らぬ人との触れ合いというものは。これも一種のオアシスのようなものだなと俺には思えた。
走り出すとすぐに、まるでオアシスから砂漠へ出る門扉のように、たくさんのサボテンが両脇から俺を見送りはじめた。低速で船を走らせながら眺めると、サボテンの中のところどころで動く影がある。サバクウグイスだった。その名とは違いキツツキの仲間だ。灰色の大きな体を忙しなく動かし、隠れんぼをするように姿を見せては消える。餌の虫でも探しているのだろうか。
砂漠にも生命はある。地面を見るとたまにサラサラマンダーやキョブラといった爬虫類が砂の上を這っている。2つの太陽が照りつける地表が熱くてたまらないのか、大きなトカゲが前足と後ろ足を一本ずつ浮かせてじっと立っているのもたまに見かける。交互に足を浮かせて冷やしているのだろう。なかなかユーモラスだが、本人は生きることに必死だ。
低木から低木へ、あるいはサボテンへ、鳥が移り飛んでいるのもよく見る。
砂漠の鳥はあまり長時間を飛ばない。砂の上を早足で移動しているのもよく見かける。
やつらはよくテントや船体に穴を開けてくれるので気をつけなければならない。嘴でサボテンに穴を開けて水分を摂取したり、大きく開けた穴の中をねぐらにしていたりする。その流れで人間の作った船などにも穴を開けようとするのだ。
もちろん船が高速移動をはじめたらそんな心配はないが、空港へ着くまでは低速の地上移動だ。上から船体に乗ってこられ、しつこく突かれたら防ぎようがない。
まぁ、やられたとしても小さな穴が開くだけの話ではある。軽金属とはいえ、硬いものに囲われて守られているという安心感が、俺に油断をさせていた。
◆ ◇ ◆ ◇
夜が来た。砂漠の夜は寒い。一気に気温が40℃も下がる。
キャビン内を冷房にしたままだったのを急いで暖房に切り替えた。自動操縦にしながらジャンパーを羽織る。
煙草に火を点けると、顔をフロントの強化ガラスに近づけ、夜空を見上げた。
人工の明かりのない闇夜の中に、星が空を覆い尽くしている。大きく強い光はすぐそこにあるように見え、あえかな光を瞬かせるものは遥か向こうにあるように見えた。
これからあそこへ飛び上がって行くのだ。空港に着いたら離陸許可が貰える。この大きくてちっぽけな鉄の船が、空を高速で飛んでいくのだ。これが仕事だから慣れているとはいえ、いつも少しワクワクする。少年に戻った心地になれる。ルーティンワークを繰り返すだけの日々の中で、その一瞬は唯一の、俺の楽しみだともいえた。
それまでは船とはいえ自動車のように、ゴムのタイヤで陸地を走る。
低木の枝や動物の骨などを踏んでパンクしないよう、パンクの音が聞こえるよう窓を少し開け、俺は意識を集中させ、砂漠の夜の向こうを見つめて船を進ませていった。
◆ ◇ ◆ ◇
夜が明けはじめた。景色はずっと砂漠のままだ。
いつもと変わらない。何も変化のない、俺の日常的毎日のひとつだった。
薄明るくなりはじめると、鳥が騒ぎ出す。いつものことだ。砂漠の鳥の鳴き声は、カラスのように騒がしい。
しかし今朝の騒ぎようはなんだか異様だった。
まるで何かを急いでどこかへ報告するように、大声で短く、慌てたような声で騒ぎ立てている。
何事かと不審に思い、周囲を見回す。メーターパネルを見ると停泊ブレーキがかかっていることを知らせるランプが点いていた。こんなランプは点くはずがない。停泊ブレーキがかかったままでは船は前に進まないからだ。ブレーキを踏んでみたが、何も異常はないように思えた。しかし何やら外に気になる気配を感じ、ミラーを見て、気づいた。俺の船が、燃えている。
左側の運転席から見て遠い、右舷後方から白い煙があがり、まだ薄暗い朝の中に立っていた。そこにないはずのものがそこにあった。幻のように立つオレンジの飴色が、炎だと気づくまで、それは数瞬、俺を放心させた。
「なんだこれは!」
そう叫ぶと、急いで船を停めた。降りて確かめると、左後輪の少し後ろからメラメラと炎があがっている。俺は慌てて消化器を探した。が、積んでいた小さなそれでは太刀打ちすら出来なかったどころか、動転していた俺にはそれが後部座席の下にあることすら思い出すことが出来なかった。
荷室には14袋のポリ・ナフスタリンが積んであった。1袋が約1トンの可燃物だ。小さな火でも点けばあっという間に燃え広がる。爆発するかもしれない。火はまだそれほど大きくはなく、船の外を舐めるように揺れている。
電話で消防局に救助を求めると、消火活動用のジェット機を寄越してくれるという。
「早く! 可燃物を大量に積んでるんだ! あれに燃え移ったら大変なことになる!」
急かしたが、電話のむこうの相手はのんびりとした口調で、俺を安心させようとするように、俺にはどうでもいいことをしつこく聞いて来た。
「砂漠の座標をもう一度、お願いします」
「オアシスからは離れた場所ですか?」
「船からなるべく離れてくださいね」
「他の船はそこから見えていますか?」
俺はそれに答えながらも、声を張り上げた。
「早く! 早く! もうジェット機は飛ばしてくれたのか?」
「これから向かいますので安心してください。船から離れていてくださいね」
消火活動用ジェット機がやって来たのは電話をしてから30分近くも経ってのことだった。
もう船はすべて炎に包まれ、爆発も起こっていた。どう見ても手遅れだった。
砂漠の真ん中とはいえ、消防局からここまでジェット機なら15分もあれば到着しそうに思えた。作業員は散水ホースを操作するのと同じぐらい、持参した大量のアイソトニック飲料をみんなで飲むのに忙しそうだった。あのいくつものドリンクの大箱を飛行機に積み込むのにどれだけ時間がかかったのだろう。
しかし俺には何も言えなかった。俺には消防局の動きなどわからない。何よりもう、すべてが手遅れだった。
消防隊の隊長が言った。
「これだけ燃えてしまったら出火原因はわかりませんが、よくあることとして、タイヤのバーストかもしれません。空回りしたシャフトが高熱になり、そこから火が出たのではないかと……。破裂音のようなものは耳にしませんでしたか?」
俺は窓を少し開けていた。外の音が聞こえるようにだ。しかしそんな音は聞いた覚えがなかった。
あまりにも心当たりがなく、原因がわからなかった。オアシスを出る時、タイヤのチェックはしていた。
それはあのスポーツマンと会話をする前だった──
俺は「あっ」と声をあげそうになった。
もしも、あの時、オアシスのような会話を楽しんでいる間に、砂漠の鳥が俺の船を見つけ、降りて来ていたのだとしたら──
鳥はジュラルミンの船体にばかり穴を開けるとは限らない。むしろ柔らかいゴムのタイヤにこそ興味を示すことだろう。
鳥はタイヤを突いた。タイヤに穴を開けたのだ。しかしタイヤの中心部には硬いワイヤーが張り巡らされている。そこまではさすがに貫くことが出来ずに飛び去ったのだ。
もうタイヤのチェックはしたと思い込んでいた俺は、船を発進させた。タイヤも穴が開ききってはおらず、重い船体を支えて走り出した。しかし、走っている間に徐々に中の空気が漏れ、パンクしたのだ。
一本がパンクしても車輪は12本ある。俺は一本がパンクしていることにも気づかずに走り続けた。
船は何事もないように走り続けた。しかしシャフトは空回りし、熱を帯び、炎をあげるまでに至った。
真相はわからない。何しろ証拠となるようなものはすべて燃え尽きてしまった。
船は俺の家だった。俺はすべてを失ってしまった。溶けたポリ・ナフスタリンの海の中に黒い骸骨となってうずくまる愛船を呆然と見つめながら、しかし俺は誰を呪うことも出来なかった。砂漠の鳥に罪などないのだ。