創業200年の焼き鳥屋、江戸時代から継ぎ足してきた秘伝のタレを失う
「八代目! 一大事です!」
駅前の大通りから少し外れたところにある飲食店街、その一等地に店を構える古い焼き鳥屋の店内に、若い男の悲壮感漂う声が上がる。創業200年を越すこの店の店主は現在八代目。渋みのある白髪二枚目役者のような八代目の男は、突然の悲壮な声に仰天し「どうした!?」と叫びながら厨房へ走る。
「氷川が、氷川がやらかしました!」
「氷川が? あいつはまだ稼働し始めたばかりやろうが」
氷川EX。2000年にデビューし、デビューから連続23回にわたって紅白歌合戦に出場、2017年に人気アニメのオープニングテーマを発表し、それ以降は演歌以外の音楽ジャンルにも積極的な活動を見せる、日本人歌手に瓜二つの見た目をした人型の自動調理ロボットである。2020年頃に猛威を振るった新型コロナウイルスの影響で客が激減、事業継続が困難になった焼き鳥屋は、話題作りに客寄せパンダならぬ『客寄せ氷川』として氷川EXを導入した。
料理の仕込み、洗い物、掃除を全自動で行う氷川EXの導入費を、八代目はよく覚えていない。仕事後に家の近くの安居酒屋で飲んだくれていた時に、隣に座った七三分け黒縁メガネのセールスマンに勧められたのだ。男が持つ小さな機械にクレジットカードを突っ込んだ記憶はあるが、怖くて金額が確かめられないでいる。
そんな氷川EXのお披露目会を昨日したばかりだというのに、アルバイトの男子学生は一体何を騒いでいるのだろうと、八代目は不思議でならなかった。
「氷川EXのやつ、秘伝のタレを全部使い切ってました」
「全部? 創業からのタレをか? 嘘つけ、こないだまであんなに残ってたやろ」
「それが、あいつお客様が帰る時に、「粗品です」って言ってタレを小瓶に詰めて渡してたんです」
「あ、あれで無くなったんか!?」
八代目は氷川EXが、来てくれたお客様全員に小瓶を配っているのを見て「気が利くやつやなあ」と眺めていたことを思い出した。昨日のお披露目会には常連だけでなく、事前告知のおかげで新規客もたくさん来てくれた。なので、お客様が帰る前に手土産を配るのはいい案だと、氷川EXの働きを喜んで見ていたことを後悔する八代目。
「因みに、手土産で配ったタレの小瓶は、大量にメルカリで売られています」
「クソ客ばっかりかよ! 誰やねん日本人はマナーがいいとかぬかすやつわ。最低やんけ」
アルバイトは小瓶が1本1,500円から2,000円で売られていることも言おうとしたが、火に油を注ぐだけだと気が付き思い止まる。
「せや! こんな時のために取っておいたストックが……」
暗闇の中、光り輝く希望を見出した八代目だが、そんな彼にアルバイトがトドメを刺しに来る。
「それも無くなっていました」
「なんでやねん! 万が一のためのストックやぞ?」
「氷川EXがテイクアウト用の焼き鳥弁当に全部使っちゃってました」
「テイクアウトなんてやって……ああ、やってたなあ。氷川EXが売ってるの見てたわ。そういや、氷川EXに『弁当を作るからストックのタレを使いたい』って聞かれたけど、何も考えずに返事してたわ……もしかして、あれか……」
「あれですね。しかもあれ、飛ぶように売れてましたね」
「いい売り上げになったんやけどなあ、あれ。でも、タレがないんか……なあ、タレが入ってた釜に少しぐらい残ってへんか?」
アルバイトにすがるような目で尋ねる八代目。そんな彼から目を逸らし、辛そうな口調でアルバイトが残酷な現実を突きつける。
「1滴もないです。高圧洗浄機で綺麗さっぱり洗われてました」
「なんで高圧洗浄機! 洗車や窓掃除と違うんやぞ! 誰やねんそんなことしたの」
「氷川EXです」
「それもあいつかい!」
「たぶん掃除の設定が『徹底洗浄モード』になってたからだと思います」
「徹底的過ぎるやろ! あれ、氷川EXはどこおんねん?」
「出勤した時にはもういなかったです」
「くそが! あのポンコツ散々やらかして失踪ってどうなっとんねんほんまに……」
八代目はそう言ってため息を一つついた。
「こうなったらしゃーない。気は乗らへんけどあいつを頼るしかない」
しばらく黙り込んだ後、八代目はポケットからスマートフォンを取り出すと、電話帳からある男の電話番号を表示する。
「八代目、誰に電話を?」
「頼りたくないけど、うちのタレを勝手に持って行って店を開いたくそ弟や。絶縁状態やったけど背に腹はかえられん」
八代目の弟は認めようとしないが、八代目は弟が秘伝のタレやレシピをこっそりと盗み出して店を開いていることを確信していた。なので、少しでもタレを分けてもらえないか、プライドを捨ててお願いしようとしていた。しかし、この希望の芽もアルバイトが辛そうな顔をしながら摘み取ることになる。
「八代目、それは無理です。弟さんの店はもう潰れてます」
「は? そんな訳ないやろ。こないだまで腹立つぐらい元気そうに営業しとったぞ?」
「昨晩綺麗に掃除されたそうです」
「は? 誰にやねん」
「氷川EXです」
「なんでやねん! あと店が綺麗に掃除されるってなんやねん!」
「八代目が弟さんの店を快く思ってないことを察した氷川EXが、高圧洗浄機で店を綺麗さっぱり消しちゃいました。ほら、これ……」
そう言ってアルバイトが差し出すスマートフォンには、『人気焼き鳥店、一晩で消失!』といった見出しのニュースが表示されている。
「なんで店が無くなるねん!」
「たぶんお掃除設定が『徹底洗浄モード』になってたからだと思います」
「徹底洗浄モード怖過ぎるやろ!」
八代目の大声が厨房に反響するが、その思いを受け止めるのは相変わらずアルバイト一人。「そうですよね……」、男子大学生にはそう呟くのが精一杯だった。
「メルカリでタレを買い戻すか、それとも継ぎ足しのタレが無くなったことを正直に打ち明けるか……」
八代目はどうするのがベストかわからないまま、ただ、頭の中に思いついた二つの案を苦しそうに呟く。それを聞いたアルバイトは、唐突に込み上げてきた無念の涙を必死に我慢していた。そんな時だ、突然ガラガラと音を立てて店の引き戸を開ける音ともに、「おはようございます」と、爽やかな声が店内に響く。八代目とアルバイトはハッと顔を見合わせると、大急ぎで店の入り口に向かった。二人が入り口に到着すると、そこには氷川EXがアイドルスマイルで二人を待っていた。
「遅くなってすみません。ちょっと苦戦していたものですから」
顔を真っ赤にし、怒りに任せて殴りかかろうとした八代目は、氷川EXの謎の発言により出鼻をくじかれる。
「苦戦やと? 一体何をしてんやお前」
「実はこの店に来た時から、タレの釜に微かに残っていた創業当時のタレの味を解析しておりました。そして、それがやっと100%の精度で再現することができました」
氷川EXはそう言うと、手に持っていた紙袋から、タレが満タンに詰まった2リットルのペットボトルを取り出した。
「これが創業当時の味を完全再現したタレです」
「「氷川EX!」」
八代目とアルバイトは、氷川EXによる想定外のファインプレーに感動して、大声で自動調理ロボットの名をコールする。
「創業当時の味の再現はすぐにできたんですが、年代毎の再現に時間がかかりまして」
「「EX?」」
「でも、今朝ようやく成功しました。これが創業から50年ほどした時の再現です。そしてこっちが創業から100年頃で少し醤油の味が濃くなっていた時期のもの、そしてこれが昨日まで提供していたタレの再現になります」
「「氷川!」」
見た目はほとんど同じだが、並べると微かに色の濃さが異なる4本のペットボトルを氷川EXは近くにあったテーブルに並べた。
「ご希望に応じてそれぞれの年代のタレの量産が可能です」
「「きよし!」」
「あと、昨日配布した粗品の小瓶ですが、実は一つ一つ微妙に異なるデザインになっているので、出品者を特定することが可能です」
「「きよし!?」」
「既にアカウント情報から出品者の名前、電話番号、住所を特定済みです。現在、徹底洗浄モードですので二、三日以内に洗浄することが可能ですがいかがいたしますか?」
「「き、きよしぃーーーーーー!!」」
焼き鳥屋は氷川EXの活躍により、創業当時の味を完全再現した焼き鳥屋として世間から注目を浴びた。また、客の要望により創業当時の初代の味から、現代の八代目までの味が選べるようになったことにより、顧客満足度が大きく上昇、常連客が増えて経営も安定し、存続の危機を回避することに成功した。
焼き鳥屋が経営難を脱して喜んでいる頃、メルカリで購入した焼き鳥のタレが届かないといったトラブルが何件か発生した。また、時を同じくして行方不明事件が何件か発生したが、真相は今も藪の中である。