開花した力 3
空は快晴。雲もなく青い空が広がっている景色を見ると、何故だか心地の良い解放感すら湧き上がる。
目が覚めてからの始めての空を見上げる幸太郎の瞳に映るのは、平和そのものであった。
記憶にある最後の空は、空と呼ぶにはためらわれるような鈍色をしていたのも相まってか、何だか物珍しいものを見ているような感覚にすら陥っている。
「体は大丈夫?」
「大丈夫……ですね」
逆に全く違和感がないことに困惑はしている。
「初めて時空を飛ぶ感覚を味わうと皆決まってそんな顔をするよ。基本的には体に影響はないと思うけど、具合悪くなったら言ってね」
「分かりました。それにしてもこれが能力を使った瞬間なんですね……もしかして好きな場所に行けたりするんですか?」
「安全に好きな場所にいける。どこでもドアみたいなもんだな」
「どこでもドア……」
「……とにかく好きな時に行きたいところに行けるってわけだ」
あれから準備を整えて病室の扉を開けた時、目の前にあったのは廊下ではなかった。
見ているだけで酔ってきそうな、時間が歪曲した空間。それがこの場所につながっていたというわけだ。
「ちなみに、さっきの家は誰のです?」
「あれは国防隊が管理してる持ち家で全国のいたるところにあるぞ」
「あの家は聖女ちゃんと連絡を取るために近くにわざわざ建てたんだ。いつもは近くの人達の憩いの場になってるけどね」
「昼休憩とか終わって仕事やってんだろ?ここの爺さんも婆さんも、聖女の力で元気一杯だしな」
一見すると、ただ海の近くにある村。見渡す限りスーパーや本屋などはなさそうに見える田舎。
海を眺めれば漁をしている。畑を耕したり、家の掃除をしているような生活音が聞こえてくる。
虫や動物の声の方が生活音よりも聞こえる空間など、そうそうないだろう。太陽に照らされ体がじんわりと暖かくなり、冷たい海風でほどよく体を冷まされる。心地が良い静かな光景が広がっていた。
まるでここだけ時間がゆっくりと流れているような不思議な感覚になってくる。
「ん?」
「うしっ、それじゃ聖女のとこに行くか!どうせアタシたちが来ることを予感してんだろ」
花が気合を入れている中、幸太郎は周りを見渡していた。
目が覚めてから物凄く体の調子が良かったためか、視力や聴力といった五感の性能が上がっている。
故に、先程から感じる〝見られている〟ような感覚が気になって仕方がなかった。
「なんだか見られているような気がしませんか?」
「見られてる?」
「近くには誰もいない様子だけどね」
――――その時、幸太郎のふわりと花の蜜の甘い香りが鼻孔をくすぐった。
香りに釣られるように振り向くと白いワンピースを着た、一人の少女が立っているのが見える。
「え…………」
幸太郎は、目を見開いた。
知っているのだ。
日本人離れした金が混じる茶髪に、色が薄いブルーの瞳。それだけじゃない。
身長、顔、態度、仕草、それら全てが記憶の中で見せられていた彼女と同じだった。
「あっ、いたわ」
「あっ、ホントだ」
毎晩うなされたあの悪夢。あれに出てきた四人の登場人物の内の一人。
「〈人類の敵〉…………」
掠れた吐息のように口から吐き出された言葉。
この言葉は近くにいる二人にすらも聞こえてはいないだろう。
そのくらい小さい声、もはや声に出しているかどうかすらも怪しい声量だった。
「ほら、幸太郎。見惚れてないで挨拶しな」
花に肩を叩かれると、聖女は既に目の前に立っていた。
ただ記憶にある彼女とは違って、少しだけ幼い印象を覚える。
「あっ、すみません。白久喜幸太郎と言います、治療ありがとうございました」
「いえいえ、それが私の役目ですから」
「今日は感謝のために少しだけ寄ったんだ。これお礼に……焼きプリン」
蜜が持っていた紙袋を渡すと、彼女もまた美しいとまで思う一礼をし受け取った。
「ここで話すのもなんですから、家までお越しください。美味しい茶葉をごちそうしますよ」
「お、それじゃお言葉に甘えちゃおっかなぁ」
「花はいつも聖女ちゃんに甘やかされてるよね」
三人が自分の前を歩き始めた時、幸太郎はその後ろ姿を呆然と眺めていた。
どこか、違和感があった。
顔も声も容姿も、まるで瓜二つ。似ているという言葉では片づけられない。だが、夢に出てきた彼女と今の彼女にはどこか決定的に違う部分があるような気がした。
「おい幸太郎!置いてくよ!」
花の力強い声で、呆然としていた体が起き上がった。
「は、はい!」
体を反射的に起こす幸太郎の姿を見つめる聖女は笑顔という仮面を貼り付けているように笑っていた。
誰も気が付くことはない。彼女からしてみれば、いつも見せている表情なのだから。
◆
三人が談笑するなか、知らない景色が広がるためか幸太郎だけは周りに視線が目移りし落ち着かない様子に見えた。
潮の匂い、いつもより冷たく感じる海風、雲一つない青空。
ここだけ日本ではないような、まるで異世界にでも来たのかと勘違いしてしまうような。それくらい県を跨げば変わってしまうのかと、幸太郎は少し興奮を隠しきれていなかった。
「幸太郎、着いたよ」
「ここ?」
「あんたがキョロキョロしてる間にね」
「狭いかもしれませんが、どうぞお入り下さい」
沿岸沿いにある白を基調とした平屋。一見すると聖女と呼ばれる人物が住んでいるようには見えないが、花壇や家の周りにある木々など全て刈り揃えられているところを見ると、途端にその白が綺麗に映えた。そして家の中には生活に最低限必要なものを揃えているのだろう、何だか自分の家に帰ってきたかのような感覚に似ていた。
「私は紅茶を淹れてきますので、くつろいでいて下さいね」
そう言って、裏へ向かった聖女の姿が見えなくなる。
「……何だか、心なしが空気が軽いような気がしますね。何というか、立ってるだけで快適な気がします」
「おっ、幸太郎は女神様の加護を感じられるのか?」
「え?加護?」
「そう加護。アタシら二人はその感覚が分からないんだよねぇ、確かに心は安らぐけど」
「加護なんてのがあるんですね」
「そう言われているだけだけどね。本当のことは分からないけど、実際ここに来たことがある人はどんな状態でも心が落ち着くんだって」
絶対的な安心感、とでも言えばいいのか。
不思議なことに体が徐々に回復していくような感覚、いや最善の状態へと整えてられているような感覚。病室で寝たきり、そして日頃寝不足だった幸太郎にはこの空間がよく馴染むような気がしただけだろう。
「加護がここまで体に馴染む方は珍しいです、っとそうでした。私の自己紹介がまだでしたね。私は朝日間しずなと申します。改めて宜しくお願い致します。お二人には聖女ちゃんと呼ばれております」
花柄のガラス細工が施されたグラスが四つと、常温まで戻った茶葉を溶かしているポットを運んできた。
手慣れた手つきで四人分の紅茶をすすぎ終えるまでに訪れる一瞬の静寂。
「それじゃ俺もそう呼んだ方がいいのか……な?」
「いや、普通に呼びやすい名前でいいでしょ。なに、幸太郎は友達とかいなかったの?」
「…………いました」
「なんかゴメン」
「花ちゃん。幸太郎くんを調査した時に分かってたことでしょ?幸太郎くんには友達がいなかったんだよ」
「いやいや、普通に話す人くらいはいると思うじゃん」
「いるわけないでしょ!中学生の幸太郎くんの写真みたでしょ?目の下に隈作った疲れ切った顔写真。あれは国防隊で言う三徹してた経理と同じ顔、中学生で同じ顔してたら友達なんて出来るわけないでしょ!」
「あの……俺、友達いましたよ?」
三人で話し込んでいる中、嗅覚が反応した。
まったりと落ち着くような、それでいてくどくない甘い香り。その香りだけで真剣さ足りない空気が切り替わった。
「本題に入りましょう、本日はどんなご用件でしょう?」
「今日は特にない……のは嘘になるけど、お礼渡しついでに来ただけ」
温かくふんわりとしていたものが、一瞬にして冷たく鋭いものへと。
ほんの一瞬で空気が変わり果てた。
殺伐としているというか、空気が鑢で削ったかのように肌をひりつかせる。
これほど緊迫した空気を感じたことがない幸太郎の体は、心臓が収縮するように縮こまった。
「そんなに殺気を出さないでよ。聞きたいことはちゃんとあるけど、別にいつもみたいに真剣になるようなことじゃない。今ここにいる幸太郎を治療した時のことを聞きに来たの」
「俺の?」
「そう。花や僕も聞きたいけど、一番は幸太郎自身が聞きたいことなんじゃないかなって思ってさ」
「俺が聞きたいこと……」
思い出すのは鈍色の空。
茜色に染まった空が、全く別の景色に変わっていくのは今でも鮮明に思い出せる。
「そういうことでしたか……。一つ、私からも聞きたいのですが白久喜さんはあの時の記憶を思い出しても大丈夫でしょうか?悪夢のようにフラッシュバックすることや、精神的にも悪影響なのでは?」
「それは大丈夫ですね。俺の中ではもう既に解決してますから」
唯一の家族が目の前で死んだ。
煮えた血を感じながら、体が冷たくなっていく感触。それらは未だに幸太郎の二つの腕に残っている。
確かに、あの時は死にたいと思った。希望も将来もない未来を生きようとは思わなかった。
でも、今は違うと断言できる。
希望も将来も未来も、既にどうでもいい。
復讐よりも明るく、報復よりもどす黒い感情。
その曖昧で不安定なように見える感情を飼いならすための決意を見つけることが出来た。
「だから大丈夫です」
「では、私から説明させて頂きます。あの時に運ばれて来たの白久喜さん一人だけです。腹部貫通の重体、他にも体の損傷は見られましたが治療させて頂きました。後に説明されて驚きましたが、非能力者なのですよね?」
「はい……そうです。先天性は分からないけど、後天的なものを調べる検査で一切そういった力に目覚めることはなかったです」
「あぁ、三年に二回ある〈覚醒検査〉ね」
能力の覚醒は人それぞれ。
ある時を境に急に発現するものもいれば、生まれた時から遺伝子のように能力が組み込まれている者もいる。
前世または遠い親族に〈亜人の血〉を持つ者がいれば、基本的には先天性。生まれた時から異常な身体能力が備わり、姿を変える者までいる。今まで確認されたのは竜族と獣人族、特殊な例だと精霊族が確認されている。後天性なものはそれ以外の能力者のことを言うが、その中でも特殊な例は数々存在する。
それが状況によって能力が覚醒する者たちのことだ。
その場所をどこか懐かしみデジャヴを見た瞬間、友達と他愛無い話をしている時にある言葉がキーワードになった瞬間、絶体絶命の状況におかれ死んでしまうかもしれないと思った瞬間。人によっては様々だが、そういった状況下で能力が目覚める人たちも少数存在する。
これらが普通学校で習う、能力者たちについてである。
「〈覚醒検査〉をしても能力は調べることが出来なかった……でしたら、本当に非能力者という扱いになるわけですが、私は白久喜さんが非能力者だとは思っていません。それは何故か――――傷の再生が人間のそれを遥かに凌駕していたからです」
「それは聖女の能力ではなくてってことだよね?」
「はい。万が一の可能性はなくもないとは思いますが……」
「幸太郎は?何か言い分ないの?」
「言い分って言っても、あの時の記憶は――――あんまりないですし」
痛みを通り越して襲い掛かる強烈な熱さ。
そこからはあまり記憶にない。
「多分、俺よりも他の人の方が知っていると思います」
「……本当に?」
金色に輝く瞳から伝わる全身が萎縮する圧力。
まるで「嘘をつくな」と言われているような、言葉に出来ない力が幸太郎の肉体を通り抜けていく。
「私の力は真実と虚実を裁くことも可能です。真実を言わないのであれば、あなたの虚実をこの場で晒すことが出来ます。人に言えないことがあろうと、なかろうと……得体の知れない異分子となりえる可能性は早々に排除した方がいい。その方が国防隊としてもいいでしょう」
「……幸太郎、本当に何も知らないのか?」
「本当に何も知りません」
その瞬間、反射的に幸太郎の体から異常なまでの圧力が放たれた。手元に置いてあったグラスが木っ端に砕け散り、テーブルに亀裂が走った。
「え?」
「審判を下しました……その姿が白久喜さんの力の一部ですか」
幸太郎の姿は変わらない。
姿は変わらないが、存在が変わっているように感じるほどに幸太郎という存在が変化した。
全身を包み込むように揺らめく黒い気、元々聖女とは真反対であった黒い髪や瞳は黒というよりかは漆黒へと変貌している。
「能力に開花した人間。どうやら通常の枠には当てはまらない能力者のようですね」
聖女――――朝日間しずなの呟き、そして貫くように見つめる視線の先には禍々しい魔力を放つ幸太郎の姿があった。
「幸太郎のそれは国防隊でも極一部の人間しか知らない。それこそアタシたち三人を含めても四人しかいない、もう一人はアタシらのリーダーだけどな」
「なるほど……最初からこうなる予定でいたってことですね」
正体不明。分かっているのは親がいないということと、妹が死んだということ。そして肝心な――――非能力者ということ。
それなのに国の総戦力を上げて戦いに挑むような化け物〈歪魔獣〉という存在を退けた。
本来ならば、あり得るわけがない。
「なにも知らない幸太郎をここまで連れてくるのは簡単だったけど……やっぱり罪悪感が凄い」
「アタシらも任務だしなぁ、てかこのくらい気にしてねぇだろ」
「まぁ、そうですね。気にするも何も、俺もこれに関して全く知りませんでしたから」
無我夢中だった状態に加え、絶体絶命の状態。心身ともに常軌を逸したストレスにかけられて気が付いたら開花した力。
その詳細を知っている者など当人含めているはずがない。理由は簡単、この世で生まれた初めての力だからだ。
「なんか凄そうだけど……幸太郎も把握はしてないんでしょ?」
「魔法型か、自己強化型、それとも……」
ただ、全く知らないと言ったら――――それは否である。
「いえ、分からないはずがありません。自分自身の力ですから目覚めた時に既に理解し始めているはずです」
「って言ってもなぁ……本人が知らないって言ってるから」
ただ、密の言葉が聖女に届くことはない。
何故なら朝日間しずなは知っている。
それは誰にも言うことのない、もしも伝えるならば他の三人の仲間との笑い話になるような自身の過去。その記憶の中にある幸太郎と類似した現象を知っているのだ。
「密さん、花さん。白久喜さんと二人で話たいことがありますので、席を外してはくれませんか?私の中で確かめたいことが二つほどありますので」
「それはアタシらが聞いちゃダメなこと?」
「そうです。ただ、私が聞かれたくないだけの我儘ですので拒否するならそれでも――――いいです」
ぐにゃりと視界が歪んだようにも感じるほどの圧。
それは先程感じたものとは、比較にならないほど尋常ではない敵意であった。
「…………行くよ、花ちゃん」
物凄く嫌そうな表情をしたまま、密に連れられて外へ出る花の背中を幸太郎は少しだけ眺めた。
そして二人きりの静寂が一瞬訪れた――――その瞬間、幸太郎の体から力が抜け落ちた。
「あなたは加護の影響を受けやすいと不思議に思っていましたね、試しに反転させてみましたがそこまで聞くとは思ってもいませんでした……」
「あっ……な、に……を?」
「――――〈人類の敵〉」
彼女の言葉が耳に届いた時、幸太郎の体が反応した。
「どうして知っているのか答えなさい、白久喜幸太郎。理由を答えなければ、この世界からあなたの存在を消し去ります」