太閤さま軍記のうち(大かうさまくんきのうち)
太閤さま軍記のうちを読んだので、その感想です。
これは信長公記を書いた太田牛一が執筆したものです。
信長公記がなるべく時代ごとに編年体で書かれているのに対して、こちらはそういう形にはなっていません。
これを読むには、前提として秀次事件を知っていなければいけません。
これは豊臣秀次が切腹した後に書かれたものです。
そして、太田牛一が自ら進んで書いたわけではなく、ある人の求めに応じて書いたものです。
殺生関白秀次の悪行が書かれていますが、ここに書いてあることをそのまま鵜吞みにしてはいけません。この本と同時期に書かれた貴族の日記には秀次の悪行は書かれていません。
秀次が殺生関白と呼ばれだしたのは、この本の後からだということを知っておかなければいけないのです。
では、資料としてまったく使えないのかというと、そういうわけでもなく。
朝鮮出兵の規模とか、醍醐の花見が盛大に行われたとか、そういう記録的な面もあります。
そして、秀次が切腹した後処刑された妻達の辞世の句の数々。
それを書き記してしまうと、秀次が悪だから一族を処刑したのだという論調が弱まってしまうと、現代人の私は思うんですが。
検閲がそれほどされないだろうと思って書かれたのでしょうか?
この本は原文はほぼ平仮名の和文で書かれているそうです。漢字なしの文章を想像してみると、読むのに相当労力がかかりそうです。
これは、太田牛一が内心に思うところが合って書いたというわけではないと思うんです。
太田牛一の本性が記録者だったために、記録者としての欲が出たから書いてしまったのではないかと。知り得たことはとにかく書き記したい、そういう性質が書かせたのではないかと思います。
朝鮮出兵や醍醐の花見についてもそうなんですが、記録の面が強いとこほど読んでて面白いです。やはり記録者としての本領が発揮されてるからではないでしょうか。
秀吉の御代を讃えて、秀次の悪行をさらして天道恐ろしとしながらも、いろいろと察することができます。
何もしないで関白になったはずの秀次が仕事してるっぽいことがちらほら書かれているし、秀吉の派手好きで催し事好きな点ははっきり伝わってきます。
晩年の秀吉の時代を書くのなら、一読して置いて損はないと思います。