カールカーナの夢の跡地
がらがらと音をたて崩れていくそれの真ん中に、片割れが立っていました。いつも一緒だったのに、いつの間にか背を向けていたのだと、そう気づくのがこんなときだなんて、ひどいことだと思いました。いつの間にか変わってしまったのだと気づきたくなかったのに。ひどいかみさまだとおもいました。
精霊と暮らす国のヴィーコナーという森のなかで、カールカーナは育ちました。お母さんはカーナカロルという精霊様に仕える巫女で、どんな厄災も笑ってとばす強い人です。
カールカーナにはカーナカールという双子の妹がおり、二人は毎日のように森で遊びました。森に響くお母さんの祈歌がかすかにきこえるくらいの遠くまで行くこともありました。姉妹はそこで内緒話をしたり、栗鼠と一緒に木を登ったりしました。するとどこからか淡い光がふわりふわりと浮かんでくるのです。
お父さんが家の前にある不思議な岩を磨いているときは、二人でじょうろを持って花に水をやったり、折れた花を煮てみたりしました。するとこんどは、淡い光が花を揺らして風とともに森のずっと奥まで流れていきました。カールカーナはカーナカールと一緒になって光を追いかけました。なんども転けそうになりながらざわざわとざわめく森を走って走ってやっと淡い光に追いついた頃に、ようやくカーナカールが側にいないことに気が付きました。
森のなかをなんども行ったり来たりして、泣きながらカーナカールを呼びました。なんどもなんども呼んで声が出なくなった頃、森の木の間からオレンジの光がさしてきらきらきらきら、淡い光を連れてきました。淡い光がひときわ集っているその場所をよくみてみますと、そこにはカーナカールが涙を浮かべて立っていました。あわててそこへ駆け出しぎゅっと抱きついて、二人してわんわんわんわん泣きました。
二人が八歳になり、お母さんの仕事の手伝いをするようになると、淡い光は妖精と呼ばれるものなのだと教わりました。カーナカールが元気よく跳ねて
「きらきらの大きい光はなんですか!」
とお母さんに聞きました。お母さんはびっくりした顔をして、それからカールカーナにお前も見たのか、と聞いてきました。カールカーナはいつもカーナカールと一緒でしたが、きらきらの大きな光なんて見ていなかったので、首を振って答えました。するとお母さんは、もし大きな光をみたら教えた歌を歌いなさいと言って、二人を抱き上げました。
その晩、カールカーナはカーナカールにこっそり、大きな光をいつ見たのか聞きました。いつも一緒なのに自分は見たことがないので、不思議だったのです。
「カールカーナと妖精さんを追いかけて森を走ったときだよ」
ちいさな淡い光達はとてもきれいだったので、きっと大きな光はもっと綺麗なのだろうとカールカーナは思いました。それから少しずるいなと思いましたが、次の日の朝にはすっかり忘れてしまいました。
お母さんの仕事の手伝いが終ると、二人は森に入って歌を歌うようになりました。妖精さんと、精霊様に感謝を伝える歌です。カールカーナが教わったのは感謝の歌と、それからお祈りの歌でした。二人で手をつなぎ目を閉じると、森をよりいっそう身近に感じることができるので、歌を歌うときはいつもそうしていました。
水をやっていた花が咲き、緑の葉になり、葉が赤く染まった頃、二人は少しだけ一緒にいる時間が減りました。カールカーナはお父さんの仕事の手伝いをすることになり、カーナカールはお母さんの仕事の手伝いの時間が増えたのです。そうして少しづつ、二人は変わっていきました。
カールカーナが岩を磨いていると、歌が聞こえてきました。それはいつも二人が森から帰るときの目印にしていた祈歌でしたが、歌っているのはお母さんではなくカーナカールのようでした。まっすぐ森に響くいい声です。なんだかわくわくとしてカールカーナも同じように歌い始めました。けれどカールカーナの声は森に響くことなく、岩にあたって消えてしまいました。
カールカーナとカーナカールが仕事の手伝いを始めてから六年がたったころのことでした。二人は森の奥に連れて行ってもらいました。光の届かない森の奥は薄暗く、なんだか怖くなって二人は手をつなぎ、お母さんのスカートをぎゅっと握りしめました。石でできた家のようなものの前で立ち止まると、お母さんは歌を歌い始めました。家といっても壁はありませんでしたから、石の床と柱と屋根だけでできている建物でした。ざわめいていた森は、お母さんのまっすぐ森に響く、奇麗な声だけが響くようになっていました。カールカーナはぎゅっと握っていた手をはなしました。
お母さんの歌に合わせて光が舞います。楽しげに揺れて消えてきらきらきらきら光るのです。とってもきれいだったので、二人は顔を見合わせて、お母さんみたいになりたいね、と笑いました。
それから二人は今まで以上にたくさん頑張りました。岩を磨き花に水をやり歌を歌い、舞を踊りました。二人で円を作りながら踊るのです。草で笛を作り音を奏でたりもしました。毎日毎日、二人は精霊様の巫女を目指してそれぞれ違うことをしながらも、二人は同じように歌い踊っていました。
畑に種をまき大地に感謝を伝えます。石の神殿のなかで祈りを捧げます。葉を集め煮て布を染めました。歌うと集まってくる光たちとお喋りしました。染めた布に刺繍を施しました。
カールカーナが石を砕いて水に溶かしていると、お母さんが言いました。
「精霊様にご挨拶をしてから2年が経つ。そろそろだろう」
お母さんの後ろから顔をだした、カーナカールが笑っています。
「カールカーナ!私達精霊様にお会いできるのよ!そしたら精霊様の巫女になれるの!」
それはとっても素敵なことでした。カールカーナは嬉しくなってカーナカールに抱きつこうとしましたが、手が青く染まっていたので笑ってみました。
砕いた石を溶かしたものに糸をいれて染めてみると、とってもきれいな青色に染まりました。石以外にも花や葉の汁を混ぜていましたが、こんなに鮮やかな青色に染まったのははじめてだったので、とっても嬉しくなりました。精霊様に挨拶をする日は、もうすぐでした。
それから7日ほどたち、お母さんに連れられていつかの日と同じように森の奥へ入っていきました。けれどこんどは、淡い光がきらきらきらきらついてきていました。
森の声に耳を澄ませ、二人手をつないで舞います。カーナカールがふわりとまわり、ひらひらとした青が映える袖が蝶のように羽ばたくと妖精たちがその後をついてまわるので、カールカーナは鱗粉のようだと思いました。ときおりカーナカールが笑うので、つられて笑います。踊るのも歌うのも、カーナカールと一緒だから楽しいのです。
だからカールカーナはわかっていました。
歌が終わり、舞が終わります。妖精たちがカーナカールを囲んでいました。きれいに染まった青い刺繍の花と岩に削られた文字をあしらったそれが何なのか、カールカーナはなんとなくわかっていました。
お母さんが石の神殿で礼をして、カーナカールを呼びます。不安そうにこちらを見てくるカーナカールに首を振って、カールカーナは笑いました。大きな光なんて、カールカーナにはみえません。妖精たちだって、淡い光にしか視えないのです。お喋りもできません。歌だって、一人では森と溶け合うことはできませんでした。
巫女になれるのはカーナカールだけなのです。
片割れは精霊様の巫女になりました。夢を叶えたのです。ではわたしは何になれるのでしょう。何にもなれないかもしれません。何かになれるかもしれません。何も決まっていないことがこんなに不安だったとは知りませんでした。しばらくは今まで通り、石を砕いて溶かし布を染めました。畑に種を播いて水をやりました。歌は歌いませんでした。花を煮て葉を集め、そうしてひとつ、決めました。
「森を出ていくことにしたの」
森にいては何もないままなのです。どうせ何にもなれないのなら、森の外を見ようと思いました。カーナカールに泣いてとめられ、妖精たちがチカチカチカチカ顔の周りを飛んできますが、お喋りできないわたしには抗議されてもわかりません。泣かすなって言われてようとなんだろうとわからないのですから、森を出ていく気持ちが変わることはないのです。
森を出て、はじめて村をみました。どれもこれも知らないものばかりで、森を出たのだと思うとほっとしました。
村で布を織る仕事をはじめました。他にも刺繍をしたり、糸を染めたり、レースを編んだりもしました。仕事をすることは苦ではありませんでしたが、森とは違うことがたくさんで、最初は目をまわしてしまいました。たたん、たたん、と響く音にあわせて誰かが歌を歌っています。たたん、たたん、部屋のすべてがわかるような、そんな感覚になったりしないので、ここは森の外なのだと思いました。そうして隣にいないことにも気づいてしまうのです。
ペダルを踏み、経糸を上下に分けてその間へ緯糸を通して経糸の間に緯糸を入れ反対側へ、通した緯糸を手前へ打って組み込み布を織りました。毎日毎日続けているとだんだん慣れてくるもので、模様を織り込めないか考えるようになりました。それからは、仕事の合間に外へ出て植物や空や村の様子を観察するようになりました。麦は風に揺られると太陽の光と重なって金色に輝いていましたし、それは蝶が飛び立つときと似ているような気がしました。空はもくもくと静かに、のんびりとした様子で流れていましたし、細かったり太かったり、広がったりとろけていったりとして大変面白いものでした。村は日によって様々な姿をみせるので、にぎやかだったり穏やかだったり、これらを折り込めたなら、きっととても良いものになるのではないかと思いました。
「カール!」
ある日、カールカーナが織り終えた布を巻いていると、仕事をくれた家の娘が元気よく部屋へ入ってきました。なんだがわくわくとした様子で、なんどもカールカーナの名前を呼んでいます。
「あたし結婚するの!それでカールに衣装のレースを編んでほしいのよ」
ようやくまとまった話をはじめたエリザにカールカーナはききました。
「わたしが編んでもいいの」
「カールのあんだレースが大好きなの!とっても繊細できれいなんだもの!精霊様の前で誓うならうんと綺麗にしないと失礼じゃない?」
精霊様、ときいてカールカーナはすこし、びくっとしました。精霊様は生活に深く根づいた存在でしたから不思議ではなかったのですが、誓うということは精霊の巫女が呼ばれるということでした。
エリザはそれからも精霊様の話と、三つ隣の家の長男のルクスのこと、他にもいろいろな話をして去っていきました。嵐のようにあらわれて突然さるエリザのことが、カールカーナは嫌いではありませんでしたが、なんだがもやもやとした気持ち抱えることになりました。
それから数日たって、ようやく仕事が落ち着いたのでレースを編みはじめることにしました。カールカーナが頼まれたのは肩から流れるようにデザインされたレースの部分でしたから、編み終えるには随分時間がかかりそうでした。あとから貝などを砕いたものを縫い付けることを考えると派手すぎないほうがいいですし、かといって華やかさにかけてしまってはいけません。結婚式というのは乙女にとって最大のおしゃれをする場ですから華やかさは大切です。とはいえ、精霊様に誓うのですからただ華やかであればいいというわけでもありません。
そこでカールカーナは、レースに祈歌を編んでみることにしました。忘れてしまっているのではないかと不安にもなりましたが、ちゃんと覚えていました。
ここらでは結婚式まで一年準備の期間があるため、カールカーナは仕事の合間にレース編みを進めていきました。エリザがどんどんきれいになるのをみてちょっぴり羨ましくなりましたが、それよりもやはりおめでとうという気持ちのほうが強かったので、レース編みの他になにかできないか考えるようになりました。
エリザの結婚式が二月後に迫ってきたころ、カールカーナは頼まれていたレースを編み終えました。
上品でかわいらしいレースを編めたと、自分で自分を褒めたいくらいでした。せっかくの結婚式なので、青をどこかにとりいれられないかと思いました。青は精霊様の花で、その花はヴィーコナーの森でしかみたことがありませんでした。
青をそのままつかうことはできないでしょうが、他の花でなら使えるかもしれないと思ったので、野菜の皮を煮出してみたり石を砕いたり、日にあてる時間を変えてみたり、やり方を変えたり、たくさん工夫をこらしましたがいつかの日に染めた青と同じ色にはなりません。あれほど鮮やかな青はもうみることができないようでした。
余ったレースをあおに染めて花をつくり、それを花束のようにまとめたものを用意しました。結婚式は明後日に迫ってきていました。
きらきらきらきら、きらめく光が眩しくて疎ましくて、目を閉じました。妖精たちに笑いかけながらやってきた片割れは、穏やかで優しい巫女のままでした。主役の前で歌を歌い、花冠を花嫁の頭にのせ、誓いの言葉を精霊様に捧げる姿は美しく、その姿をみんなきらきらした目でみています。カールカーナは居心地が悪くて、そっとその場を離れることにしました。カーナカールの祈も誓いも素晴らしいものでしたから、エリザとルクスは祝福をうけたはずです。それはとても喜ばしいことなのに、なんだかとても嫌でした。嫌だと泣く自分が、なによりも嫌でした。
巫女が森へ帰るとき、淡い光がなんどもカールカーナの側をくるくるとまわり、刺繍を施す手を邪魔してくるのに困りましたが、部屋のカーテンを締め切り、扉をしめ刺繍に集中していたカールカーナには何を伝えたいのかなんて分からなくていいのです。わかりたくありませんでした。
ねーねー、ねーえー!!むぅむぅ、そんな幼子の声でカールカーナは目を覚ましました。エリザとルクスの子供、エリスの声です。大きな瞳は朝日のようにきらきらで、眩しくて、カールカーナは目を閉じようとしましたがエリスに
「かーりゅだめ!おきりゅのー!!あしゃだよ!えりしゅとあしょぶのーー!」
と力いっぱい毛布を叩かれて起きました。
エリザはどうしたのか聞いてみると、お母さんは今安全第一なの、と返ってきました。そういえば、エリザはお腹の子がもうすぐ生まれるので仕事を休んでいたことを思い出しました。朝はぼーっとしていてよくありません。
「きょーはねー、よーしぇーしゃんもだめなんだってー」
ぽつりぽつりとカールカーナを遊び相手に選んだ理由を話してくれるエリザの話の中で、妖精という言葉が出たことにカールカーナは驚きました。誰もエリスに妖精の話はしていないはずでした。妖精や精霊の話は、村では6歳になるまで教えないことになっているからです。もちろん眠り歌などでそれとなく匂わすようなものはありましたが、存在を教えることはありません。
「妖精?」
「しょーだよ!かーりゅもおともだちなんでしょ?」
妖精と友達なんて、そんなわけがないと思いました。すくなくともカールカーナではないと。何も言えず、ただ曖昧に笑ってごまかしました。
それからなんどかエリスは妖精の話をしてくれましたが、エリスが6歳になると、ぴたりと妖精の話をしなくなりました。見えていたのではないかときいてみても覚えていない、わからない、あってみたいと答えるようになっていました。
しかし、作物の育ちが悪かったある年のことでした。
夜も更けた頃、コンコンと扉をノックする音に針を持っていた手を止め、カールカーナは外へ出ました。ほっぺたを赤い果実みたいにして、エリスが立っていました。
「あのね、あのね、森に行かなきゃいけないの。カールちゃんはね、森に行かなきゃなのだってね、だって」
「わかった、わかったから、風引く前に中に入って。温かいものは夕飯のスープしか残ってないけど…ええと」
「………わかってないよ…カールちゃんは向き合わなきゃなんだよ」
ぽつりと言われた言葉に、カールカーナはなんともいえない顔をして、口をぎざぎざにしました。向き合わないといけない、それはカールカーナもわかっていました。いつまでも逃げてはいられないのだと、知っていました。
淡い光はいつもみえていました。それが何か伝えようとしていることも知っていました。でも、だから何だというのでしょう。
「そうだね。でもエリスちゃんは今寝てる時間だよ?それを飲んだら家まで送ってあげるからエリザにごめんなさいしようね」
「エリスはだって、カールちゃんに言わなきゃなんだもん!声は聞こうとしないと聞こえないんだよ!みようと思わなきゃみえないんだってカールちゃんが言ったのに!ばか!!」
みようと思わなきゃみえない、ですがみよう思っていても見えないことはあります。聞こうと思っていても聞こえないことがあります。なりたいと思ってもなれないことだって、わかりたくてもわからないことのほうが多いように、どうにもできないことがあるのです。
ですが、ばかといわれたことを否定はできませんでした。ずっと意地を張っていたのです。いつかの日、夢を終えたあのときのように。物事には終わりがつきまとうのです。ならば、どうかおしまいが私の手を掴むまでは、逃げていたいと願って何がいけないのでしょうか。
逃げたことでしょうか、耳を塞いだこと?それとも森を恐れたこと?片割れに怯えたことでしょうか。どれも違うような気がしました。
「ばかだよ、私は。エリスちゃんは私みたいにならないでね」
「ならないもん」
「そうだね、そうだよねぇ、いつか忘れてしまってもエリスちゃんは好かれてる。だから大丈夫だよ。祝福、きれいだったんだよ」
きらきらで、ゆらゆらで、ひらひらで、光の花が空からふわりふわりと落ちてきて、とてもきれいだった。でも、花びらだった。
「忘れないもん。もうわすれないよ」
「そっか、じゃあ仲直りしないとね。ありがとうエリスちゃん」
すやすやと眠ってしまったエリスを抱っこして、カールカーナは家へおくりました。泣いているエリザにお別れをいうと、白い道をさくさく、固めて森へ向かいました。
石の神殿は蔓草に巻きつかれ、ところどころひびが入っています。懐かしいと思いました。もっとも、カールカーナの記憶にあるそれはもっときれいで、厳かで、恐ろしいものだったのですが。今はなんだか儚いような、寂しい印象を受けました。声は聞こえません。聴こえるのは森のざわめきと、笛のような音色だけです。でも、それで十分でした。
音は、ずっとそばにありました。いつも教えてくれていました。光は向うだ、むこうにあるよ。
あの花はいい色になる。あれはもうすぐ枯れてしまうよ。あの子は気に入られる、気をつけて。花が壊れる、危ないよ。今は妖精、いつかは違う。明るいね、明るいね。
いつも側で聴こえていたそれを私はずっと無視していた。聞きたくなかった。
音はいつだってカーナカールを心配していた。時折私に忠告をして消える。だから、カーナカールが選ばれるのだと知っていた。青い花を染めて刺繍をするのも、岩を磨くのも、種をまくのも、全て巫女と精霊様のためでした。私は、そのために片割れのそばにいたのです。
音がいいます。
壊そう壊そう。壊してしまえ。花が壊れる、危ないよ。花が壊れる、急がなければ。
ゆらりゆらり冷たい空気が固まりました。かたくて力強いなにかが、石の神殿を壊しています。精霊は、私達の神様です。巫女は神様の声をきくもの、伝えるもの、そして神様を殺すものです。悪しき存在を浄化することもそうですが、ともに眠ることもまた、殺すことになります。
カーナカールが選ばれたそのときに、わかっていたことです。今まで逃げていられたのも、自由にできたのも、すべてこのためなのだと。
私は巫女ではないけれど、それに似たものではあったのでしょう。
あのとき、花びらではなく、花であったなら。いいえ、精霊様にあうのがもう少し遅かったら、そうすれば今年の作物は豊かだったでしょうか。この神殿はもうすこしもったでしょうか。どれもこれも、それがすべてではないように思いました。きっとこうなったのは、どれもいくつもの出来事が重なった結果でしかないのです。
青をまとった淡い巫女と目があいました。唖然とした表情は、彼女を幼く見せています。かわいくて笑ってしまいました。
巫女は前へ進もうとして、隣の光になにかを言っています。怒っているみたいです。けれど妖精が巫女の願いを聞き届けることはないでしょう。力をつかいすぎた精霊を心配していた妖精たちが、精霊が眠りにつくところを邪魔するはずがありません。
「おやすみ、カーナ」
眠りから覚めたら、あのきらきらの大きな瞳をまたみれるでしょうか。泣いている巫女を慰めることはできるでしょうか。わかりません。わからないけれど、もうすこしはやく会うべきでした。カーナにえらいねといえないのは、姉として不甲斐ないですから。
かみさまは眠りにつきました。巫女は瓦礫に落ちた花びらを毎年投げるようになりました。青い薔薇の花びらを。巫女は民に慕われ、国をつくります。いつかかみさまが目を覚ますその日まで、誰も忘れないようにかみさまと、唯一の片割れの話をしながらずっとずっと待っています。
巫女は、目覚めたかみさまを泣かせると決めたのです。