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源家の騒動

「お美しくあらせらる! 誠に良かった! めでたや、めでた!」


 贅を尽くした織りと色の装束をまとう仏頂面の娘を前に、月子の父は舞いださんばかりの勢いでどたどたと忙しない。

 皇族出身の源の姓を持つとはいえ、今上帝の血筋と繋がるまでには、はるか上代まで遡らねばならぬ学者家系の端っこ貴族。それが月子の生まれた源家だった。


「女御! 月子が! この(みなもとの)糸貴(いとたか)の娘が! 帝の女御だぞ」


 父の雄叫びを、何度聞いたかわからない。


「父君」

「いやいや、父君などと恐れ多い。もはや我が娘とも申し上げられぬ。七条大臣の養女ともおなりになった。そして入内。ああ、「カノヱの女御様」今後はそのように申し上げますぞ!」

「やだ。これからも月子って呼ばないと、入内しない」

「なんと! 月子! お前と言うヤツはっ」


 瞬時に真っ赤になる父を御簾の内でくすくすと笑ったのち、「カノヱの女御」となる月子は、檜扇で顔を隠してため息をついた。

 明日迎えの牛車に乗り、帝の女御となれば許しがなければ里にも下がれない。その里だって、この実家ではなくて養女になった七条大臣の屋敷だというのだから、気が休まらないにもほどがある。

 自室に戻った月子は、棚から白い料紙を引き出すと、文机に広げて絵筆を握る。


「ねえ、小蝶々。あの七条の家、どうにも好きになれなくて。仰々しいでしょう、あの部屋も」


 二藍色の単衣だけの気軽な姿で、月子は料紙にするすると絵を描きながら言った。

 細い筆先から、七条大臣が女御の里下がりのためにとせっせと整えた大げさな月子の居室が描き出される。そこには新女御のために集めた女房たちがみっちりと詰まっていた。

 御所に伴う女房の数を減らして貰うのには苦心したものだ。思い出して、また月子はため息をつく。

 時に誇張して描かれるちょっと毒気のある落書きを覗き込み、エヘン、と小蝶々は咳払いした。

 慎みある古参女房の小蝶々は、大笑いするわけにはいかないと、口を引き結ぶ。


「何不自由ないところではないですか。大臣も、北の方さまも心根のやさしい方で」 

「心根のやさしいキツネご夫妻」


 衣の色合わせに凝るあまり、衣を重ね着しすぎて動きづらそうな七条の北の方を、さらりと描きピラリと紙を翻して小蝶々に見せる。キツネ似のか細い女性が、着膨れた衣装を引きずってうんうん唸って膝行している滑稽さに、彼女はブッと噴き出した。


「カノヱさまっ!」


 ピシャリと叱られた月子は、からりと笑って大げさに肩をすくめ、舌を出した。

 流行りの高麗(こま)の易者につけさせた「カノヱ」が月子のこれからの名前になる。


(何が流行りの易者なんだか……。安直じゃない?)


 鹿江(かのえ)は生まれた地、庚午(かのえうま)が月子の生まれ年だ。


「入内の上は、カノヱの女御と申し上げよ」


 なんて、もったいぶった易者の口ぶりをありがたがって平伏した父と母の後ろで、あくびをしていた月子だった。

 目の覚めるような公達と身を焦がすような恋をする。

 月子も、ほんの少しぐらいは夢見ていた。

 けれど、こんなにも選べないまま物事は決まっていく。


「……行きたくないな」


 本当なら下級貴族の娘が行くはずもなかった場所。娘の将来を案じた気の弱い月子の母などは、思い悩んで数日寝込んでしまったほどだ。幾度となく月子も断ったが、父にそうするほかないといわれては仕方がなかった。


「カノヱ様、お家の誉れです。夕月の帝は凛々しく聡明な方で、お年も三つしか離れてはおりません。お話もきっと」

「お話が弾んだりは……、しないんじゃない。私と」


 噂は知っていた。

 月夜野御所の主、夕月の帝。

 世にも尊い生まれの美しい人と田舎生まれで骨太の月子。どこに似つかわしい要素があるのだ。年が近いなんて何ほどのことだろう。貴族の姫君なら必須のたしなみの和歌や箏だって、月子は落第点しかもらえない。

 七条大臣は何を思って、帝の女御に月子を選んだのだろう。繰り返し押し寄せる不安と落胆の様子を見て取り、小蝶々は胸を張って言った。


「いいえいいえ、鏡をご覧ください。目鼻くっきりと、黒髪艶やかに。ほほえみは最上級でございます。そして利発な物言い。我が姫さまはこの上なき女君でいらっしゃる」

「またまたぁ、給金はずむって言われたんでしょう? ね、小蝶々?」

「左様です」


 入内後も月子の身の回りの世話のために側仕えするという小蝶々は、ツンとすまして鏡を持って立ち去った。


 ◇◇◇


 月子の入内というとんでもない果報は、都中を恐怖に突き落とした疫病の後に舞い込んだ。空前絶後のもがさ(天然痘)の大流行は、民草ばかりか貴族たちにも襲いかかった。年ごろの姫君たちの多くが病にかかり、生きながらえたはいいものの、ひどい痘痕を残した顔を嘆き引きこもる者も多いという。尼になった者も少なくないというからよほどだ。

 一昨年まで都から離れた父の任地でのほほんと暮らしていた月子には、自分の知らぬ間の出来事だった。


 入内が決まった時から、父は度々月子の元を訪れ宮中に上がる心構えを言って聞かせた。


「主上は、大切な女御を亡くされ、今はおひとり寂しくておられると聞く。よくお慰めするのだぞ。絵筆はちゃんと捨てたろうな? 内裏に持ち込むことまかりならんぞ。手遊びならともかく、話しかけてもまるで聞こえぬ風に、顔に墨やら色やら付けたまま絵に没頭するなど、女子のすることではないからな。描くとも言うな。間違いの元だ。良き女君は、書をよくし、歌美しく、琴うるわしく奏でるものぞ。月子、そなたならできるっ。たぶんな! わははっ!」


 お妃教育の傍らの父の金言は少し鬱陶しい。

 誰もいなくなったわけでもあるまいに、月子にまで入内の話が回ったのにはわけがある。  

 かつて、今上帝が即位前に東宮妃として入内し、誰も並べぬほどに時めいていた女性がいたという。

 世継ぎを求め、二人三人と女御を立てることも多い今、たった一人だけが夕月の帝の女御だった。


 『雪白の女御』の名は有名だ。

 雪白の女御のあまりの美しさに、帝は彼女が側に上がったその夜から、朝も身分も忘れて局に居続けたんだとか、おそばに置いて離さないんだとか。寵愛の深さを物語る逸話は数知れない。

 不幸にも雪白の女御自身も疫病に倒れ、けれど里下がりも出家も許されず、死の穢れを嫌う大内裏で、帝のお側に息をひきとるほんの間際までいたという。

 以来、ふさぎこんだ帝には、その亡き女御がとり憑いていると噂する輩もいて、姫君不足も相俟って、次の妃が立たぬままだという。

 内裏の実力者七条大臣が、遠縁の源家にまで声をかけたのはこういうわけだった。


「月子よ、かの雪白の女御さまのごと、そなたも愛されるよう努力せねばならんぞ」

「人の心は、思うままにはなりません」

「やってやらずんば虎子はとれぬ。励めよ、月子!」

「父君が入内すればよいのでは?」

「おう、時めいてみせようぞ!」

「えっ」

「無理じゃ! 頑張れ月子!」 


 父源糸貴の機嫌の良さには天井がない。出世だって約束されているらしいから仕方がないのか。

 月子はまた深くため息をつく。

 雪白の女御は、美しく、聡明で、和歌も歌集に取られるほどの腕前で、難しい四弦の琴まで弾きこなしたという。絵ばかり描いて過ごすのが好きな月子とは雲泥の差だ。


「完璧の『璧』よ、まさに」

「これ、みだりに史書の知識をひけらかすな、可愛げがないというもの!」


 耳ざとい父のダメ出しに肩をすくめる。

 そんな人がいたのに、月子が愛されるなんてことあるだろうか。

 それらは全て杞憂に終わって……と結べれば、幸せな物語になったろうが。


 結果としてカノヱの女御と名を変えても、帝に触れられもしないまま今に至る。

 初夜もそうで、翌日もそうで、その翌々日もそのままだった。

 ひとことふたことの会話が何になるだろう。

 にも関わらず結婚の証の三日夜の餅が届けられた時にはカノヱも憤慨した。しかし、消沈を食欲に変え、届いた餅すべてを腹立ちまぎれに平らげ、局の女房たちを仰天させた。


「とても美味しいわよ、このお餅!」


 ほんの少し抱いた希望も夢物語も、儚いものと知ったカノヱの、精一杯の強がりだった。


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