黒い瞳と白い月
遅くなり申し訳ありません、これからは不定期で行かせてもらいます。
黒い扉のドアノブに触れてドアノブの程よい冷たさに手のひらが馴染み捻って引く。
温度の感じない感触を通り越して明るいオレンジ色の電球に照らされ人肌の温もりを感じさせる光だが修一はこの家の温もりに自分は当てはまらないと思いながら靴のかかとを踏んで無理やり脱ぎ、かかとを掴んでむきを揃えるとフローリングの床に照らされるオレンジ色を疎まし気に踏みしめて歩く。
頭から放火の単語が消えず、燃えるなら勝手に燃えてしまえと思い、その後直ぐに幾つかの顔が脳内に浮かび上がりかぶりを振って修一は階段を一歩ずつゆっくりとした動作で上がって自室に入る。
来ていた制服を乱雑に床に脱ぎ落すと壁に掛けてあったハンガーを手に取り藍色の制服の紅い襟元を掴みハンガーを中に入れて壁に入れる。
安っぽい黒いベルトを手に取りついでに掛けたズボンのハンガーに吊るし終えるとドアを大きな音を立てて開け閉めもせずに階段を大きな音を立てながら降りていく。
大きな動作で修一の素行の悪さを体現した動きをし終えると台所のドアが開き玄関まで突き抜けた廊下に降りた修一を見て鈴奈は柔らかい笑みを浮かべて声をかける。
「もうすぐご飯だよお兄ちゃん」
「そうかよ」
「出掛けないでよ?」
「…出掛けねぇよ」
修一の言葉を聞いて驚いたように目を丸くし、鈴奈は嬉しそうにドアを閉めてその奥にいるであろう女性に明るい声色で何かしら会話をしている声が修一の耳に入る。
流石に放火に遭うと聞いて外出できるほど修一は図太くなく、冷血ではない。
せめて時間帯さえ聞いていれば、そう思いながら修一は苛立たし気にドアを開けて中に入ると嬉しそうに笑う鈴奈に本当にいるのかという目を向ける女性。
舌打ちを鳴らして席に座る修一の目の前に鈴奈も腰を下ろし机に両肘を下ろして手のひらで顎を支える。
少女とは対照的に修一は鋭く力の抜けた顔を睨み、鈴奈は修一の鬼のように取り繕った顔を見て困ったように微笑んで声を落として語り掛ける。
「そんな顔しないでよ、久しぶりに三人でご飯食べれるのに…」
「好きでいるわけじゃねぇんだよ」
「えっ? もしかして私に話があるの?」
「ねぇよ、テメェ等には関係ねぇ話だ」
苛立たし気にそう吐き捨てると修一は手元にあったスマホの電源を入れて画面を触りニュースサイトを移し目に通していく。
女性が料理する音が場を支配するが修一は妙な居心地の悪さを感じず、目の前で優しく修一を見つめる鈴奈が原因だろうとどこか他人事のように思い浮かべ次々とニュースを読み飛ばしていく。
最寄りの駅で痴漢騒ぎがあった、新種の昆虫を日本人が発見した、話題のドラマについて出演者が発言したという如何にもどうでもいい内容の文字の羅列を流し読みして行くとスマホの画面にアプリのドットを通して通知が入る。
目の前から感じる視線にいら立ちを感じ頭の熱が徐々に上がるのに乗じてスマホをタップする指の速度が上がっていく。
興味なさげにスマホの電源を落としてズボンのポケットに入れ、何気なく顔を上げて鈴奈と視線がぶつかる、笑みを深めた顔に目じりを釣り上げてからわざとらしい動きを見せる芸人達のテレビを眺めつつ先ほどとは違い気が抜けた表情を向ける。
香ばしい匂いが辺りに充満して鉄と鉄が軽くこすれる音がする中炒め物が音を鳴らし空腹感を誘う。
不意に何時もなら適当な飲食店に入り何かを頼んでいる頃だと思い、今日は臨時収入を得なくても食べられると思うと懐かしい記憶が修一の頭の中に映し出される。
首を左右に振って頭の中から追い出そうとする中自分の手元に水色に蓮の葉が絵で描かれた小皿が置かれて顔を見上げ、相も変わらず柔らかく微笑む笑顔に修一は顔を歪ませた。
「はいお兄ちゃん………えへへ、なんだか久しぶりだね、お兄ちゃんと一緒に夜ご飯食べるのって」
「だったらなんだ」
「ううん………別になんでもないよ」
口から出そうになった言葉を鈴奈は飲み込んで修一にそう柔らかい声色で返して白い茶碗に山盛りの白米を付けていく。
修一自身鈴奈が何を言いたいのか理解していて、しかしそれに触れられると自分を抑えられる自信が無い為眉間の皺を深くして左の奥歯を強く噛みしめる。
手が拳になっていないか確かめて、中途半端に曲がった指をゆっくりと伸ばし軽く息を口の中から出すと横目で少女を伺う。
楽しそうに、軽やかに食器を用意する様は年相応の姿でそんな姿に懐かしさを感じ、それだけ関わっていなかった事を修一は思いだからどうしたと自身に問う。
何も言葉が思い浮かばずはぐらかす様にフライパンから縁が緑色の大皿に豆腐と茄子に豚肉のみそ炒めをよそうのを見て苛立たし気に席を立ちその場を離れようと歩く。
突然出ていく修一に鈴奈は急いで食器を机の上に乱雑に置くと急いで修一を追いかけそのまま玄関
に向かう背中に呼びかける。
「出ていくの? 今日は出掛けないんじゃなかったの?」
「うるせぇな、気が変わったんだよ」
「そんな…お母さん量を増やしちゃったのに、あんなに食べられないよ………」
「父さんにやればいいだろ、つうか分けて食えよ」
修一はそう後ろを振り向かずに吐き捨てるとドアノブを押して外に出ていく。
春先ではあるが肌寒い風が修一の全身を撫でて通り過ぎていく、そのまま外に出ていきたくなる思いを抑えて軽く俯き地面に視線を寄せる。
薄暗い中外から自分の後ろに向けて伸びている焼き石に白い溝の様な線が浮き出ていて自然と見惚れ、軽く顔を背けて舌打ちしその音が夜の暗闇に吸い込まれていく。
少しして車が通り過ぎていく音でかき消されて修一は玄関の石塀に腰を静かに下ろして右足の膝を軽く曲げてから左足を伸ばす。
静かとも言えないが騒がしいとも言えない雑音を耳に入れながらズボンのポケットに手を入れた所で明りを付けたら意味が無い事に気づき軽く眉間に力を入れてからどうでもよさげに力を抜く。腹部から軽快な音が鳴りスマホも使えず気軽に体を動かすことが出来ない状況が修一の心に平安をもたらす。
駅にいたら思わず浮浪者なのかと思ってしまう程力なく、燃え尽きた後のへび花火を思わせる姿に力なく沈む瞳、廃人と言われてもおかしくないいで立ちを修一は自覚し目の前で小さく蠢くダンゴムシを何の気なく右手に乗せて左手の人差し指で軽く詰る。
弱弱しく動く足の感触が手のひらから消えて丸まるのを確認すると手のひらの上で静かに優しく転がす、数回繰り返すと今度は左手の甲に乗せてダンゴムシを這わせる。
自由気ままに動く姿を暗い中朧気に捉えた修一は思わず顔をほころばせて和やかな気分になると右手で優しくつまみ地面に下ろしてダンゴムシを観察する。
丸まった体を徐々に解き平たくなるとせわしなく触覚を動かし修一から静かに離れていく、ダンゴムシを確認できなくなると修一は夜空を見上げて白く綺麗な満月を瞳で捉えた。
頭の中に夕方寝起きに見た瞳と満月が重なる。黒く、淀んだ瞳と綺麗に儚く浮かんだ白い月と重なる事などあり得はしないが色が抜け落ちた白の中あそこまで純粋な白色を修一は今まで見たことが無かった。
浮き上がる月と同じように人を寄せ付けない、周りから浮いた存在だと思いその後に少女から言われた内容を頭の中に思い浮かべる。
(せめて時間帯ぐらいは言えよ…クソッ)
ただじっと座っていることに馬鹿馬鹿しさを感じて余計に空腹感が増す。
財布を自室に置いてきているので外に出て何時ものように自分と同じような人種の肩にぶつかりに行くかゲームセンターに行き臨時収入を得るか、取りたくはないが最悪の場合太めの少年か愛に連絡し奢ってもらうのも選択肢にある。
重苦しい鉄の音が静かにして顔を上げると男性が敷地内に足を踏み入れ、修一と視線をぶつけて足を止める。見つめる事数秒修一が恨めし気に睨む中男性は修一を眺めて黒いスーツの中に手を入れて静かに布がこすれる音が場に流れ始める。
懐が腕の形に歪んで何かを掴むと腕を出し黒い長財布を開けて男性は修一に千円札を二枚差し出す。
「いらねぇよ」
「…取っておけ、家で食べるつもりは無いんだろ」
「いらねぇって言ってんだろ!!!」
勢いよく立ち上がり風を切る音が耳に入る。無視して修一は男性の胸元を掴んで自分に寄せて目を血走らせる。
対照的に男性は表情を動かさず静かに冷たく修一に目を向ける、修一は鼻息を荒くさせながら男性を後ろに投げると苛立たし気に顎を家の方に向ける。
「これを受け取るまで私は家に入るつもりは無い」
「んだよウゼェ………頑なだなおい」
「よそ様に迷惑をかけるなら身内にかけろ…鈴奈にされたら困るが」
「チッ………解ったよ受け取ってやる」
乱雑に千円札を二枚男性の手から奪い取ると乱暴にズボンのポケットの中に押し込む、男性は何も言わずに修一から離れて家に入っていく。
四つに分かれたドアから流れる温かい光が扉を開けたことにより面積を増やし、男性が扉を閉じた事によりまた光が消えていく。
ポケットの中のひしゃげた千円札から手を離して外に出すと外気に触れて寒さを感じ冷たい温度が修一の苛立ちを募らせる。
血走らせた目で外を見回すと茶色いフードを被りギリギリ目が見えない人物を目にする、視線がぶつかると男性は怯えたように足早にその場を後にするのを見て修一は放火魔の文字が頭に浮かぶ。
感情に任せて足を一歩踏み出した所で男性の冷ややかな目線が頭の中に浮かび体の動きを止めて修一は遠ざかる茶色い背中を見やる。
(…駄目だ、本当に放火魔か解らねぇし謹慎が解けたばかりに問題を起こすわけにはいかねぇ)
自分が今の行いを第三者として見ていたとしてその人物が視線を向けてきたらどうするのだろうか、そう考えた時に同じような行動をとるんじゃないか。
これが修一の選んだ答え、逃げる様な事はしないが何事も無いように立ち去るぐらいはするだろう。
そのまま眺めているようなことをするのはまず関わってはいけない人種である、まともな人間なら今の行動をとっても何らおかしくはない。
その場に力なく座り込み静かに流れる風をその身に受け続けることを再開させて息を吐く。
息が白く染まるかもしれないと一瞬期待するがそこまで気温は低くなく無色の吐息が漏れていくだけ、後何時間これを続けて行けばいいのか、修一の頭の中にその言葉が思い浮かびスマホの電源を付けて画面を見るがまだ食事時、とてもではないがその場を離れるわけにはいかない。
少なくとも深夜、それも2時か3時になってみなければ安心できない。
あくまでもあの腹の立つ少女のいう事を信じるならではあるがまるっきり無視できない辺り本当に腹立たしい、修一は顔を歪ませスマホの電源を切って千円札の入っていない方のポケットに入れなおす。
もう一度静かに息を虚空に吹きかけるがやはり白色になることは無かった。