何気ない日常
呼吸を荒々しくしながら自身に出せる全力で白い廊下を走り抜ける、周りから飛ぶ好奇や迷惑そうな視線を気にする余裕は少年には無く扉の横についている部屋番号を一から確認していく。
目的の部屋番号を確認すると少年は勢いよくドアノブを捻り中に押し入り泣き崩れる女性、苦虫をかみつぶしたような表情で暗い室内で嫌に明るく光を反射している白いベッドを見下ろす男性。
(お兄ちゃん、ぼく買い物に行ってくるんだけどさ、荷物が多くなりそうだからついてきてくれない?)
「………嘘だ」
(何だよもう、何時も何時もそうやって頼んできてさ…解ったよイチゴ味で良いんだよね?じゃあ行ってくるね)
「嘘だ」
少年の脳内に仕方ないと言いたげに黒く四つのガラスがはめ込まれたドアを開けて外に出ていく少年の弟の姿が思い浮かび、顔にかぶさっている白い布がずれてそこからうかがえる顔と重なる。
立ち尽くす少年の横に少女が小走りにキュキュと音を鳴らしながら子供に人気のアニメキャラクターがマジックテープの全面に描かれている靴を鳴らし近寄る。
「起きて」と狂ったように言い続ける女性の声が何処か遠くから聞こえると少年は体から力が抜けていきふらつく、倒れそうになるも近寄った少女が少年の腕を強く腕で抱きしめていたので体制を立て直し何とか転ばずに済み少女を見下ろす。
赤い二つの球が付いた髪留めでツインテールにしている少女は髪を揺らしながら少年の腕に力強く抱き着き少年の服の裾を力強く握り細く小さな指が黄色く変色させて固く閉じられている。
「ねぇしゅうじおにいちゃんいつ起きるの? じょうだんだよねいつもの、すずなのことをからかってるんだよね?」
その痛々しい言葉を聞くと男性は三人の近くを離れてドアを開けて室内から外に出ていく。
女性は繰り返す言葉を「ごめんね」に変えて今なおベッドの上にある肉袋にしがみつき声を上ずらせる。
女性がしがみ付く白いシーツが黒く変色していく中少年はいまだに裾を引っ張る少女に視線を落としその時初めて自分の両手が力強く閉じられていることに気づく。
少年の顔を見上げていた少女は裾から手を離すと怯えの色を瞳に宿して離れ、女性を一瞥すると走って男性の後を追いかけて室内から出ていく。
コミカルな音が暗く淀んだ室内に良く響いた、女性に触れないようにベッドの上にある白い布を静かに取り上げ、その時に起きた音に女性が反応し瞬時に顔をあげる。
反射的に少年はその顔に向く視線を必死に反らし布の下に視線を向ける、視界がぼやけてしっかりと輪郭が取られられない中顔つきを見た所でようやく少年にはそれが弟だと認識できて自身が置かれた状況を把握することが出来た。
瞳の歪みが形を変えていき少年の頬に熱い線が走り服の裾を引っ張る感触に女性の声を少年は受け止めきれない。
段々と増す力に声に変化が起きて瞳を開けると霞む視野に先ほどよりも大人びた少女の顔が飛び込む。
自分の見ていた夢と区切りをつける様にその顔を睨むと少年の泣きはらした顔に触れず少女はにこやかにほほ笑みながら口を開く。
「朝だよ~?」
明るい声を鬱陶し気にわざとらしく舌打ちを鳴らすと少年は少女の胸を押して体を押し退けゆっくりと立ち上がる。
朝の日課である目元を拭う動作をしてから何やら胸を隠す動作をして非難気に目線を送る少女を親の仇の如く鋭く睨み首を部屋の扉に向ける。
一瞬だけ表情を固まらせた少女はすぐに笑顔を取り戻し何事か呟き少年の下から去るが少年にはその言葉がどこか遠くから囀る様に耳にうまく入らない。
寝起きはいつもそうだと苛立たしい思いに心中を支配され着ている寝間着を脱いで急いで着替え始める。
遅いと少女が入ってくる可能性を少しでも潰し、身だしなみを黒い姿見で確認すると切れた唇に人差し指でなぞらせると鋭い痛みが走り少年は一気に眠気が吹き飛んで意識が覚醒した。
何故痛いと解っていながら触れたのか、少年はその思いをぶつける為右腕を振り上げて姿見に殴りかかる為思いっきりにらみつける。
姿見に移る姿を見て苦痛そうに顔を歪めると少年は盛大に舌打ちを鳴らしベッドの下に乱雑に置かれた雑誌をどかし黒が主体のカバンを持ち上げてドアノブを回す。
大きな音を立てながら階段を下りてそのまま玄関に体を向けるが直ぐに振り返り空きっぱなしのドアを潜って台所に入る。
朝一の日光を浴びて眩しそうに眼を細め、その顔を見て笑みを深める少女に女性と男性が一斉に少年に目線を向け、直ぐに所々に視線を落とす。
少女は変わらず少年を見ているが女性は無言で手に木の木目模様が濃い黒の容器でみそ汁を啜り
男性は無言で経営新聞を広げて銀色で出来た眼鏡を通して眺めている。
「遅いよお兄ちゃん、ご飯冷めちゃうからもっと速く来ないと」
むーと唸りながら如何にもわざとと言いたげに頬をリスのように膨らませ少年に抗議するも少年はその事に何も告げずに不愉快そうな顔で自分の分であろう食事が置いてある空席に腰を下ろす。
少年が何も言わない事に少女はジト目で見つめて観察する、同世代の異性に慣れていない少年ならば何かしらの動きがあるだろうが少年からすればそれが実妹でなくとも反応が変わることは無い。
「キモイ、歳考えろよ? そういうのが許されるのはな、小学生までなんだよ」
「ひっど! ねぇお母さん聞いた今のセリフ!!!」
「はいはい…ちゃっちゃと食べちゃいなさい」
そういうと女性は疲れたような表情を浮かべてみそ汁を啜り初めて子どもの小競り合いを無視し始めた。
少年は小声で頂きますと言うと味噌汁を啜り、口の中に広がる味が何時もと違い濃いと感じるのと同時にさっきまでジト目でにらんできた妹がニコニコと笑顔を浮かべ少年に顔を向ける、女性を見ると少し笑いながら少女と同じような笑顔を浮かべる、間違いなく少女は女性になんだろうと思いながらも男性を見ると無関心とでも言いたいのかいつの間にか新聞紙を畳み黙々と卵焼きを口に放り込む。
(茶番だ)
小さく舌を鳴らすとゆっくりと目線を女性に向けて睨みつける。
「母さん、今日のみそ汁辛いんだけど」
「えぇ!? ちゃんと味見したのに………」
「冷めちゃったから味が変わっちゃったのね…どうする? 温めなおす?」
「いらねぇ」
目を瞑り冷めたみそ汁を一気飲みすると他のおかずに手を付けずに席を立ち椅子の下におろしていたカバンを掴んで外に出ていく少年に少女が声を出す。
しかし少年の耳に入る事は無く少年は白い運動靴を履くと黒い玄関を開けて外に足を踏み入れる。
何回も渡った通学路を心半ばで歩き、目に入る物体の色が抜け落ちて白色に少年には見えた。色そのものは勿論あるのだが何処か淡く、何色なのかと聞かれると即答できない。
何かを落としてしまった少年はあの日以降欠けたまま日々をただ生きている、それを探すことはしないしもし見つけてもどうでもよさげに少年は通り過ぎていく。
家から15分程歩いたら少年の目の前に白い景色の中突然薄い紫色の長髪が目に入る、その身長の小ささと合わさってまず間違いなく知り合いだろうと後ろから声をかけた。
「おいそこの糞チビ、なにパジャマで出歩いてるんだよ」
「えっ!? ………ってちゃんと制服だから! 変な事言わないでよ!!!」
一瞬頭を下げて服装を確かめ、それから勢いよく後ろを振り向く少女に少年は何時ものように煩い奴だとランドセルを背負っていても違和感のない友人を見下ろす。
少年の腹部を力なくポコポコと擬音がなるように手を丸めて叩く少女を無視して歩き始める少年に少女は急ぎ足で横に並び少年を笑顔で見上げ口を開く。
「鈴奈ちゃんは? この時間帯だと何時も一緒に歩いてるの」
「あいつはまだ飯でも食ってんだろ」
「待ってあげなよ…鈴奈ちゃん可哀そう」
「知るかよ」
鬱陶しそうに一掃する少年に少女は慣れたように乾いた笑い声を出して二人で肩を突き合わせて歩き出す。
少年から歩幅を合わせることは無く、また少女もそんな事は解っているので額に軽く汗をかきながら微笑み、表情をころころと一人百面相を繰り広げる少女に少年は横目で鬱陶し気に見ながら何気なく周りに視線を走らせる。
少年と少女の周り、正確には少年の周りに空間を開ける様に人々が歩きそれを忌々しそうに眺める中隣の百面相が終わらない事に耐えられず少年は少女を強く睨みながら声色を低くして言葉をぶつける。
「おい」
「な、なに?」
「一々ウザいんだよ、聞きたいことがあったらさっさと言え」
「………えーっと、修君さ、最近学校に行けてる?」
切れた唇に腫れて青ざめた右目を一瞥しながら聞いていい言葉なのか修一の顔色を探りながら言葉を続ける少女。
顔色が変わったり修一が会話を拒否する流れに持って行こうとするとすぐさま否定できる言葉を用意しているのがありありと少年にはその表情から伝わってきた。
伊達に少女と長く付き合ってきてはいない、修一は見た目に言動から誤解されるが人の感情の動きには聡い方で、良く見知った相手ならば想像する事も難しくはない。
朝日が照らす中2人の間の空気は深夜より暗く淀む。
何も発さない少年にしびれを切らした少女が話題を変えようと動くのを察知した修一は気を遣われることにいら立ちを感じてつい言葉を走らせる。
「はっ、何だよ疑ってるのか? 信用ねぇなおい」
「ち、違うよ!? なんていうかね…そのね………最近会ってなかったから」
「俺が行ってようが行ってなかろうがお前には関係ないだろ」
「あるよ!!!」
突然大声で叫ぶ少女に修一は突き放し過ぎたと思い面倒くさそうに立ち止まって下を向いた少女に視線を落とす。
道を行きかう人々が興味深そうに修一と少女に視線を向けて修一の制服を見た途端視線を切ってそこに見えない壁があるかのように避けて通る。
決して視線に入れず、かといってぶつからないように渡るときは下を向いて確認するのをうざったく思い下に水滴を垂らす少女の頭を修一は軽く叩き歩みを再開させる。
少年にとっては軽いつもりだが小学生と比べても変わりない身長の少女からするとそれは大きい衝撃でありよろけて前のめりで倒れ手に持っていたカバンをアスファルトに落とす。
綺麗に黒く、日光を反射するアスファルトを力なく見つめて涙の量を増やす少女はカバンを掴んですぐに立ち上がり少年の後ろに走って近づき再度小走りになりながら少年の横になり濡れる目元と頬を腕の袖で拭って少年を見上げる。
「行き成り女の子を叩くなんて酷いよ!!!」
「女だろうが男だろうが気に入らなかったら殴る、当たり前だろ?」
「レディーファースト!!!」
「レディーファースト関係ないだろ馬鹿が」
軽く愚痴を叩き合いバス停の目印である丸い立て板を見て会話を切り上げて通り過ぎようとする修一は突然下の方向から力を感じ下を見下ろす。
列に並ぶために歩く少女に何故か合わせて修一は歩き服の裾を掴む少女と修一は傍目から見たら年の離れた兄妹に見えて微笑ましい景色に見える。当然そんなものに抵抗しない修一ではなく例の通りに少女の掴んでいる腕を振り払おうとそちらに視線を落とし修一の動きが止まった。
その小さな手を黄色くなるほど力いっぱいに掴む姿、服の裾を引っ張り自身を見上げる少女と夢の中の少女の姿が重なり目頭が熱くなって少年は憎々し気に表情を変えて少女に向かい口を開く。
「んだよ行けねぇだろ」
「………私も修君に幸君と一緒の学校に通った方が良かった?」
「お前みたいなのが俺らのとこに来たらレ――」
「ちょ、ちょっと修君人前でなに言おうとしてるの!?」
顔を赤くして慌てふためく姿に修一はこれで襲われない方が無理があるんだろうなと思い顔を顰め、言葉をつづけようとすると明るいオレンジ色のバスが近づいてきたのを視野に入りゆっくりとその場に停止するとドアを開き人が入るよう促す。
修一と少女の後ろから咳払いが聞こえそちらに向けて体を向けようとしている修一に少女が慌しく両手を修一に向けて振りその動きを阻止させる。
「わーわー!!! 私もう行くね! 修君も遅刻しないように速く学校に行こ?」
「誰が引き留めたと思ってんだよおら」
「ちょっと気になって…ごめんね?」
「…チッ、じゃあな糞チビ」
急いで走りバスの中に入る少女に続いて怯えたように黒いスーツを着た男性が小走りに後を続く。
その姿を見て制服の胸の位置にある紅葉を催したバッチを見下ろし修一は憎々しく空を見上げた。
どこまでも青く澄み切っている空が忌々しい、同時に思う、一体何処から狂ったのかと。
答えが解り切った自身の問いを修一は一瞬で脳内から削除すると先ほどよりも小さな歩幅で色が失われていく景色を歩いていく。
視界に移る青空はいつの間には真っ白に染まっていた。
ラブコメです(憤怒)