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プロローグ1  彼女は船に乗って


―――やっぱり神様なんていなかった。


 薄れゆく意識に対して抗おうにも十三年物のこの小さな体ではそんな抵抗は虚しいという他なく、意識の主導権は暗闇へと緩やかに、しかし確実に明け渡されていく。強烈な重力といくつもの衝撃に全身が痛めつけられ、殆どの感覚器官が大きなダメージを負っただろうことは、全身の感覚の鈍さから分かってしまう。


 息苦しさを紛らわそうと胸元へと空の右手を伸ばそうとする。しかし、全身を揺らす大きな振動はそんな望みも簡単に叶えさせたくないように、右手を着地させてくれない。なんとか胸元まで伸ばしたものの、胴まで下りている安全装置に阻まれて届かず、それでも何とか大きく呼吸がしたくて身じろぎしていると、圧迫感が少し取り除かれて大きく息を吸い込むことができた。だが肺へと侵入する空気に余計息苦しさを感じて咳き込んでしまう。

 すると、今の少量の酸素補給が刺激となったのか、そのタイミングで遠く離れていた耳と鼻の感覚がゆっくりと戻ってくる。だんだんはっきりとしてきた感覚器が捉えたのは高く響く耳鳴りと焼け焦げたような煙の臭いで、それらは濁流のように二つの器官に押し寄せて蹂躙していく。


「――こ…れは、燃えて…るの…?」


 響く高音と間隙を縫って微かに聞こえる風切り音で自分の声すらほとんど聞こえないのに、掠れている喉をそれでも震わせて呟く。恐らく周囲は煙で覆われているのか、息苦しさを助長するように煙は肺を侵していく。耳鳴りが収まり始めると、今度は耳鳴りに紛れて今まで意識していなかった周囲の音――風を伴った轟音が鼓膜を叩いて頭蓋を揺らす。そこへ金属が呻いているような軋む音が響き――瞬間、砕ける様な破壊音が耳に届く。


 今、何が起こっているのか。何が起きたのか、何をしていたのか、何をすればいいのか、少しの判断にも多大なエネルギーを使ってしまい思考する余裕が生まれない。


「…っあ、熱……っ」


体の前面に熱を感じ、薄い瞼に覆われた目が刺激されるなか、そう独り言ちる――。否、一人じゃない、周囲に誰もいなかった訳では無い。落ちかける意識を何とか堪えて自身の記憶を辿る。そうだ、このポッドに乗る前、知らない人たちが周りに同じように座っていたはずだ。先ほどから言葉を紡いでいるのだ。一人や二人、何かしら反応してくれてもよい頃ではないか―。


 いや、先ほどまでのか細い声ではもしかしたら届いてなかったのかもしれない。何せ鼓膜を叩く大音量のせいで自分の声すら聞こえ辛いのだから。

 ふと、呼吸が楽になっていることに気づく。それが先ほどの破壊音以降からだと脳は記憶しているが、それ以上そのことに対して思考を割くことはできなかった。今その理由に関して考えてもどうしようもないだろうし、それ以上にやるべきことを酸素を取り込み始めた脳が考え付く。今やるべきことは――、


「…大きな……声…で、みんなに…」


 伝えればいいんだ。生きていると、意識があると。状況が呑み込めず死にゆく命に等しい存在も、今はまだ生きているのだと――。そうすればまだ希望がある。絶望しなくて済む。


 そうして、少しでも多く息を吸い込もうとして思い出す。今もヒリヒリと感じている熱さ。それを意識したとき瞼を動かせたことに。ならばまずは周囲の状況を確認してから、それからでも声を出すのは遅くないだろう。炙られた瞼を震わせてゆっくり持ち上げるが右側は暗いままで、やむなく左目だけを少しずつ開けていく。開いた眼が映し出すのは少しの涙に黒い煙を滲ませた少しぼやけた視界で、まだ周囲の状況を伝えるには不向きのようだった。

 先ほどから痛い位の風が体叩いており、このままでいれば瞳に溜まった涙も吹き飛ばすか乾かすかしてくれるだろう。しかし、そんなものを待っていられるほど余裕は続かず、先ほどから安全装置を掴んだままだった右手を左目へと移動させてゴシゴシと拭う。そのまま右目の様子を確認しようと目を覆っていた手を離すと、邪魔をどかして視界を回復させた左目は外の状況を、見たくなかった形で、理解を拒ませるような形で伝えてきた。


「…やっぱり、………神様はいないんだ」


 頭部から血が出ているのか目の前が少し赤い。そんな赤いカーテンの向こう側、目の前には壁があった、迫っていた、ひしゃげて尖った先端をこちらに向けて存在していた。――両隣におかしな形に折れ曲がった大人を携えて。


「………」


 息絶えている、それだけは確かで。こちらへと目を向けて事切れている赤さを増した顔から視線を外し、そっぽを向く青白くなった顔の方を薄目越しに眺める。


 片目が落ちたのか瞳は一つだけで、しかし浮き出たそれが落ちるのも時間の問題に見えた。胸部は前に不自然に突き出ており、脇腹からしまっておくべき赤黒い腸が伸びる。壁が折れた衝撃で片腕は歪な形を保ち肩からの血が滴っている。目の前の大人たちの他に、このポッドにはまだ何人か搭乗していたはずで、未だ声を上げる選択肢がないではなかった。だが既に崩れ始めていた少女の心に思考の放棄という決断をさせるには、これらの光景は十分すぎるほどであった。


「………」


 この凄惨な状況を見てひどく冷静な自分がいることに気づくも、それについて思考する理由も猶予も与えられることはない。迫った壁の隙間から外の景色が見える。速く勢いよく流れる緑色の景色は徐々に近づいており、先ほどとは別の要因で再度の衝撃と痛みに揉まれるのは時間の問題だ。

そのとき、右手に握っていた物を思い出す。激しさを増す揺れに抗ってどうにか視線を落とすと、焦げて赤茶色を帯びた手にグレーの兎人形が握られていた。今より半分ほどの背の時、両親からプレゼントされた真っ白な人型の兎さん。お手入れして、寝る時も一緒で、最近は机に座らせて置くことが多くなったのに避難時には真っ先に手を伸ばしていた人形。大事にしていたのにこんなに黒ずんでしまった。それを胸の前に持ってきて唱える。



 ―――神様なんていない。なんで痛い思いをさせるの。神様なんていない。夢であってください。神様なんていない。悪いことしてないのに。神様なんていない。誰も死なせないでください。神様なんていない。消えて、死んで。神様なんていない。お願いします…お願いします……お願いだから………………。



 存在しないとした神に対して思いつく限りの恨み言と願い事を想う、正気でない思考。しかし、肩を寄せる絶望に対抗する術をもたない少女は、正気の上で、矛盾した状態で、そう唱え続けた。




 ―――神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていない。……。神様なんていな――――――。







 ――――――お父さん、お母さん。












 衝撃が身を包む。





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