3話
数える事さえ億劫になる程の数多の本。その中から数冊を選び、机の上にそれ等を並べた男は満足そうな笑みを浮かべた。
「咲夜。あれは一体何?」
「分かりかねます」
「貴女にしては珍しい回答ね」
「八雲紫程度の知識があったとしても答えられるか否か分からない段階ですね」
「冗談にしては面白くないわ。ところで、レミィはほっといて大丈夫なの?」
ピタリ。その言葉が当てはまるほど突然に動きを止めた十六夜咲夜は満面の笑みで親指を立てた。言葉はいらぬと鼻から滴る忠誠心が物語っている。
そんな彼女に呆れの溜息をひとつプレゼントした図書館の主パチュリーは改めて黙々と読書に耽る男を視界に入れる。外来人が来たと風の噂で聞いたが、噂と本物にはかけ離れた奇妙な違和感を彼女は感じていた。しかし、それが何かが未だ理解出来ていないのもまた事実で。この館に来て何食わぬ顔で本を読む人間などいるはずが無いと鷹をくくっていたのだが。
「食料にはしないのね」
「しないのでは無く、出来なかったと言ったらパチュリー様は信じますか?」
「あれを見てしまった以上はやむを得ないわね。どうせ何をしても無駄だったのでしょうし」
「はい。私の能力を持ってさえ傷一つ付けられませんでした。当の本人は全く気づいてないようですが、全くそのままの意味で、刃が立ちません」
咲夜の能力は時間を操る程度の能力である。時を操り、止まった時の中で唯一活動することが出来るこの人外、妖、化物が勢揃いする幻想郷に置いても一二を争える能力を持ってしてさえ彼女は彼に一ミリの傷も負わせる事は出来なかった。
「本当に彼は人間なのかしら」
「妖力や魔力、神力、霊力といった類のものは全くと言っていいほど。辛うじて巫力に似た何かを感じるほどですね」
「博麗の巫女のところにでも連れていく?」
「この状況では余計不利になりかねません。飽きたら外へ戻しましょう」
姓名も生まれも年も知らぬ人間を恐れるように咲夜はわざとらしく首を竦めた。件の異変の時でさえここまで面倒では無かったのに、とパチュリーぼやいた。
無論、こうして語り部がいる以上何も起こらない筈もなく。物語に都合良く、凄まじい爆音とともにゴスロリ白黒の魔法使いが勢いよく飛び込んできたりする。
「邪魔するぜ!」
「本当に邪魔だから帰ってほしいのだけれど」
「そう言うなってパチュリー。私は本を借りに来ただけなんだから」
「借用と言うよりも強奪という言葉を使いなさい。まだ一冊も帰ってきてないわよ」
「あー、死んだら返すぜ」
「ふふふ。じゃあ今すぐ殺して上げるわ」
光と光がぶつかり、再び大きな爆音と風が図書館を荒らす。例外なく本を読んでいた男も大きな被害を受ける。
カエルが潰れたような呻き声が二人分咲夜の耳に届いた。
「咲夜さん何とかしてくださいよぉ...」
「貴女が魔理沙を食い止めればよかっただけの話よ」
「無理ですってばぁ...。妹様にも勝てる連中を4中ボスの私なんかには荷が重すぎます...」
「戦える人員が少ないからその立ち位置になっただけで、貴女なんかチルノやそこらと変わらないからね」
「そんなぁ...流石の私でも傷つきますよぉ...」
「...霧雨さん?」
小悪魔の泣き声に混じってふと、咲夜の耳に男の声が届いた。つい先程まで耳を劈くように響いていた爆音が止んでいる事に2人は気づく。そして、その視界には笑顔で霧雨魔理沙の顔を掴みかかる男の姿が映っていた。
「人が本を読んでる時にやかましいんだけど?」
「わかった!わかっあだだだ!!いだっ痛いから一旦離しで!!」
「図書館では静かにするのがマナーだろ?」
「いや、先にうるさくしたのは小悪魔の方で...。私はその弾幕ごっこに応戦したテンションのまま図書館に突っ込んじまっただけ」
「御託はいい。人の楽しみを邪魔した罰としてアイアンクローをプレゼントしてあげよう」
「ちょっおま力入れんなって!痛い痛いいたたたたたたたああああああああっっっ!!!」
絶叫する魔理沙からパチュリーは目を背けた。咲夜と小悪魔でさえ口をへの字に曲げ微妙な表情を浮かべてしまっている。
数分後、叫ぶ事さえ出来なくなった魔理沙は無造作に図書館の床に捨てられていた。
「次やったらブレーンバスターキメてやっからな。覚悟しとけよ」
返答は無い。当の本人は痛みに悶え苦しみそれどころではなく、加えて館の住人さえも被害を受けていたにも関わらず魔理沙を若干の哀れみを孕んだ視線で眺めていた。
***
「もう読書はいいのですか?」
帰りは門番の目が覚めていたようで、門から出た一歩目の彼に、そう問いかけた。男は驚いた様にその額を凝視している。
「安心してください、あんなんじゃ死にませんから」
「なら良かった。うん、で遅れたけどもう用事はすんだよ」
「それは何よりです」
門番はぎこちない笑みを浮かべた。普段笑って人を見送ることがないのか、はたまた咲夜やパチュリーと同様に彼に得体の知れない違和感を感じているのかはその表情から読み取ることはできない。
「次来る時は獲物ではなくちゃんと客人としてお出迎えいたしますから」
「......へぇ」
「無論、貴方ともなればどちらで迎え入れられても問題は無いのでしょうけど」
「根拠のない自信、では無さそうだね。いつから気付いてた?」
「最初からです」
男はまるで狐の様に目を細め、門番の正面へ移動した。人里で霧雨魔理沙と談笑していた時のような、あるいは図書館で嬉々として読書をしていた時のような良くも悪くもマイペースな印象が今の彼からは全く感じられない。
「敵意の無い者に番をする必要はありませんからね」
「それは僕が殺気を隠していたとは考えないのかな?」
「可能性は零と言い切ることは難いでしょうが、貴方も私と同じで家族に仇なす者以外にはどうせ手出しはしない。そんな匂いがしました」
「随分と直感で事を捉える人だ。......しかしその答えは9割方正解。流石は気を使う程度の能力保持者、と言ってみようかな」
「まあ、咲夜さん達がわからなかった理由も分かりますけどね。だって貴方のそれは...」
その続きの言葉に、彼は目を見開いた。博麗の巫女にバレたのならまだ納得が容易にできた、と後の彼は忌々しそうに語る。こんな所に伏兵が潜んでいたとは、そう呟いた男は嬉しそうに笑いながら紅魔館を後にした。