2話
遊んで欲しいな、と少女は暗闇の中ボソリと呟いた。家族がそれぞれ忙しい事は彼女自身重々理解しているつもりだ。だからこそ少女は「でも」と続ける。この手を伸ばした先にあるものが壊れたら、家族は来てくれるのかな、と。キュッと掌を握りしめて、少女は落胆したようにその腕を下ろした。
「違う。...壊したらまたお姉様に閉じ込められちゃう」
薄らと浮かぶ涙を拭うこと無く、少女はその淡い光の消え変えた瞳で閉じた扉の向こうを眺めた。たった壁数枚を隔てた先にいる最愛の家族が少しでも自分の元へ来てくれることを希って。
ふと、何かに気がついたかのようにレミリア・スカーレットはドアを凝視した。つい数刻前から読み耽っていた本からさえ目を離して。
「どうされましたか?」
「.........いや何でもないわ。誰かに呼ばれたような気がしたのだけれど気のせいだったみたいだ」
「虫の予感、かも知れませんね」
「良い事なら歓迎するわ」
読書に現を抜かし温くなった紅茶を一気に流し込む。気のせいだったと自分に言い聞かせたレミリアは背後で笑みを浮かべるメイドに空になったカップを押し付けた。
「温くなってたわ」
「折角淹れたてをお持ちしましたのに、飲まずに放置していらっしゃいましたし、てっきり猫舌なのかと」
「何年一緒にいたらそんな結論に至るんだお前は」
「おや、それは失礼致しました。では次からは私自らフーフーさせていただきます」
「お前は馬鹿なのか?」
不機嫌そうな表情を浮かべ、レミリアは本を開く手を止めた。その本を机の上へ乱雑に投げ出した彼女は小さな溜息を漏らし、椅子から立ち上がり先に視界に入れたドアへと向かう。まるでその重い足取りを汲み取ったかのようにドアは重くゆっくりと開いた。
「気が利くわね咲夜」
「幾年もお嬢様のメイドをしていればその考えくらい読むことは容易いことです」
「ハハ、言ってくれるじゃないか。そうだ咲夜、ひとつ頼みたいことがあるわ」
「何なりと」
ニヤリ、とレミリアは牙を見せるようにして笑みを浮かべた。
暗闇に大きな欠伸が響いた。どうやら少女は寝てしまっていたらしい。手の甲で目を擦って尚彼女はもう一度惰眠を貪ろうとベッドに転がり直した。が、何かを思い出したように飛び起き、小さなテーブルの上に置かれた袋を手に取る。少し前に家で騒ぎを起こした霧雨魔理沙という魔女に貰ったものだ。そっと袋の中を覗いた少女は驚いた様に目を見開いた。
「お姉様...」
姉、レミリアを模した人形が入っていた。中に綿が詰められているであろうそれはとても柔らかく、優しげな笑みを浮かべている。人形を嬉しそうに抱きしめた彼女はうっすらと暗闇に光が差し込んでいることに気づいた。
「フ、フラン...?」
頬を赤く染めた少女の姉が覗き込んでいるつもりだったのだ。まさか部屋の明かりを消しているとは思わなかったし、自分の人形を愛おしく抱きしめている姿等もっと想像出来なかったのだろう。気まずさに頬を染めながらも、人形を抱いた時の妹、フランの嬉しそうな表情とそっくりの笑顔を浮かべながら、レミリアは部屋の中へ入った。
「何しに来たのお姉様」
「用が無いと来ては行けないのかしら?」
「忙しいのは分かってるわ。こんな所に来る余裕なんて無いでしょ」
「...今用事ができたわ」
「何」
「フラン、久しぶりに私とーーー」
***
門の前で女性が寝ている。門前払いでもされた腹いせにも見えるが、あの幸せそうな寝顔を見る限り、それをされたわけでは無いのだろう。
「少し邪魔だな...」
男は首を傾げた。この門の先に図書館があるという話を聞いて訪れてみたものの門の前に転がる物体のせいで開くことが出来ない。退かすか否か、女性を眺めては門に手を伸ばしてを繰り返す。
10分ほど時間が経った頃、ふと男の背中に問いが投げかけられた。
「どうされましたか?」
「うわっ!」
突然の事に男は少し大きな声を出してビクンと体を震わせた。恐る恐る振り返った先に居たのは青と白を基調としたメイド服を身に纏った銀髪の少女であった。
「およそ10分ほど繰り返していられましたけど、この館に何か御用件でしょうか?」
「よかった...ここの人か。って、そんなに見てたのならもっと早く声をかけてくれても」
「失礼致しました。しかし後ろから見てて実に可愛らしかったですよ」
「.........」
「おっと失言ですね。では、改めましてもう一度お聞き致します。何か御用でしょうか?」
「里で霧雨さんに霧の湖に図書館がある館がある、という事を聞いて少し行ってみようかと」
「とてつもなく嫌な予感がするわね...。でもまあ、本当に図書館に用があるのでしたらどうぞお入りください」
門の前には女性が転がっていたはず、そう止めようとした男は何事も無く開いた門を見て目を丸めた。
「ここに転がっていたのは一応門番ですよ。見ての通り約立たずではありますが」
額に深々と銀のナイフが突き刺さった門番は痛みに悶え苦しみ、別の意味で転がっている。そんな門番を尻目にメイドは門の中の誘導を続ける。
「ほっといて大丈夫...?」
「ええ。いつもの事ですから」
「へ、へぇ...」
「では、ようやくではありますが。ようこそ紅魔館へ。貴方を客人として迎えましょう」
その言葉と共に、館の扉がゆっくりと音を立てて開かれる。
「無論、食料として丁重に」
紅い館の中へ進む男の背に向けて加えて呟かれたその一言が扉を開く音にかき消された事は言うまでもなく。