第10話
慌ただしかった一日から一夜明け、ザハールの家で次の目的地を決めるために地図とにらめっこしていたグレイとメディナは、どちらも唸っていた。
なにせ、このラルタルという村は他の人間や魔物から隠されている都合上、完全に孤立した島の中にあり、他の集落や町に行くための手段もないのだ。加えて、俺達は移動手段なんて自分の足以外に持ち合わせていないため、頭を抱えるしかないというわけである。
「ふーん、孤島ねえ……ここからだと、どこが近いんだ?」
「チュニスでしょうな。しかし、ここには橋も舟もありませんし、どうしたものか……」
こんな状況でも危機感がないのか、あっけらかんとザハールに気の抜けた質問を投げかけるのはヨシュである。そんなことを聞いてどうするんだ、と言わんばかりにメディナの鋭い視線がヨシュに向けられているが、それに全く気付かないのも流石と言うべきか。
だが、それ以上に気の抜けた声を上げた人物によって、みんなの注意は緊迫感のないヨシュからそっちに向けられることになった。
「あ、それなら俺が」
「トマス?」
「俺の魔法で、チュニスの近くまでなら飛ばせますよ」
満面の笑みを浮かべたトマスは、なんでもない事のようにそう言ってのける。
“生き物や物体を飛ばせる魔法”と聞いて、真っ先に出て来るのは、前日も話題に上がったヴァルヴァラの転移魔法だろう。実はトマスも、転移魔法を使いこなすタイプの魔法使いなのだ。
「……お前、いつの間に転移魔法なんて大技を使えるようになったんだ……?」
「元々使えたんだよ。だから、魔法の修行のために旅に出ようとしたら、親父に猛反対されたってわけ」
「親父め……後ろめたくて、俺に言わなかったな……」
「あはは、親父もわけのわからないところで頑固だからなぁ」
親子喧嘩の真実が魔法の修行と聞き、今の今まで聞かされていなかったグレイは頭を抱えて脱力すると、少しの間言葉を失っているようだった。
自分が巻き込まれた喧嘩の理由が、父親の頑固と弟の無謀さによって引き起こされたと聞けば、呆れ果てて何も言えなくもなるだろう。しかもそれを隠されていたのだから、後になってからグレイが怒り出しても誰も文句は言わないし、言えない。
「でも、この人数を一度に転移なんて、大丈夫なんですか?」
「その辺は問題ないよ。大船に乗ったつもりで任せてくれ」
「……なら、任せるか。頼んだ、トマス」
転移魔法なんてヴァルヴァラにされた以外では体験したことのないニールは、不安げにそう疑問を口にしていたが、当のトマスは朗らかに笑いながら胸を張っている。自分の使うよく分からない術にそこまでの自信が持てるんだから、魔法使いというのは並の生き物じゃなさそうだ。
だが、ここで疑問がひとつ生じる。
「……っていうか、なんか一緒にいく流れになってるけど、グレイは弟さんを連れて帰るんじゃないの?」
「これを連れて帰れると思うか?」
そう。目的の八割を達成した筈のグレイが、ニール達の旅についてくるつもりでいることだ。
真っ先にそう問いかけたフィーは、本当に純粋に疑問を抱いたようだったが、質問を質問で返したグレイの言葉に少しだけ考え込むと、小さく「……無理そう」と答えて頷いていた。
「だろう? ロアの父のこともあるし、せっかくだから最後まで付き合わせてもらうさ」
「あんたも大変だなぁ……」
「はは、オヤジとトマスの喧嘩の仲裁よりは楽さ」
自ら苦労に飛び込んでいくタイプの苦労人であるグレイに同情したものの、グレイがいなければ精神的にも戦力的にも不安があるため、誰も止めはしなかった。むしろ大歓迎というやつである。
「どんな喧嘩してるんだよ、アンタら……」
「あはは……本気の殴り合いを少々……」
「そりゃ、グレイも腕っ節が強くなるだろうな」
「いや~ 兄貴よりお袋の方が凄いよ。喧嘩両成敗って言って、どっちも殴られるからね」
魔法使いが父親と本気の殴り合いをしているというだけでも突っ込みどころが満載なのに、それ以上に母親の方が強いというのは、本当にどういう状況なんだろうか。対等な親子喧嘩なんてした記憶のない俺としてはあまり想像のつかない話だが、グレイの苦労ならなんとなく理解できそうな気がした。
「……グレイの家って、激しいのね」
「その言い方は止めてくれないか」
フィーに言葉の足りない同情をされて、グレイも思わず顔を引きつらせていた。