第3話
「はぁ……疲れた……」
フィーの魔の手から何とか逃げのびた俺は、せっかく温泉に入ったのに疲れ切った体をロビー端のソファーに投げ出し伸びていた。疲労の元凶となったフィーとメディナには、いつか仕返しをしようと心に決めていたところに、中身入りの牛乳瓶を持ったアキが現れる。
そういえばヨシュも飲んでいたが、この世界にも牛乳瓶が存在するのか――という突っ込みをする元気は、今の俺にはない。
「牛乳、飲みます?」
「あ、ああ……ありがとう……」
疲労と温泉で火照った体に、冷たい牛乳が染み渡る。なんだかんだ言って、アキのこういう場面で気が利くところは、俺も少し見習いたいものだ。
「他のみなさんは、まだお風呂ですか?」
「ああ、なんかフィーの奴がヒートアップしちゃってさ……ロアと一緒に遊び始めたんだよ」
「メディナさんはお目付け役ということですね」
「そういうこと」
いくら俺でも、温泉で泳ぐなんて本当に子供の頃にしかやった事がなかったが、今女風呂では二人の少女がそれを堪能している真っ最中だ。メディナも注意こそしていたものの、他に入浴客がいなかったからか現状放置しているため、俺はこれ以上の面倒を避けて逃げてきたというわけである。
ロアが元気になりつつあるのは喜ばしいが、一緒になって遊んでるフィーについてはもう少し落ち着いてほしいと愚痴を零せば、思い当たる節があるのかアキも深く頷いたのだった。
「あ……うう……」
そんな女風呂の惨状に思いをはせていた俺の視界に、露骨に挙動不審な人間の姿が入ってくる。心なしか顔を赤くしているそいつは、特徴的な銀髪のせいですぐにニールだと分かったのだが、ロビーの柱に隠れてこちらを覗いたり視線を逸らしたりしていて、これ異常ないほどに不審者だった。
「……なにやってんだ、あいつ」
「ああ……みなさん、露天風呂に入ってましたよね?」
「入ったな」
「その時の会話、こちらまで聞こえていまして」
つまり、俺とフィーのあの押し問答が男風呂に筒抜けだったということである。
今回、俺は当事者というか被害者だったからその事の重大さを忘れていたが、あんなものを聞かされていたら男としては耳をすませないわけにはいかないだろう。
「あー……なるほど。思春期には刺激が強いな」
「ええ。今はそっとしておいてあげてください」
九割九分九厘フィーのせいとはいえ可哀想なことをしたとニールを不憫に思う一方、こんな所でうろついてないでとっとと部屋なりトイレなりにいって鎮めてくるべきだと指摘したいところだが、この姿では言えない。流石に言えない。
というか、あの様子じゃ多分そこまでいきりたってはいない。
「お前は落ち着いてんだな」
「まあ、慣れてますし」
「ふーん。女兄弟でもいんのか?」
対照的に、挙動不審なニールを眺めて満面の笑みを浮かべているアキの奴は、露天風呂の問答については特に何も感じていないようだった。年齢的なものもあるだろうとはいえ、ここまで女に興味がないとなるとひとつの疑惑が頭に浮かばざるを得ないが、それは流石に杞憂だったらしい。
とはいえ、こんなモヤシ男が女に慣れているというのも妙な話だ(断じてひがみではない)。女兄弟がいるのか、それとも本当に慣れているのか、その辺を聞きたくてつい突っ込んでみたが、想定外の回答が返ってきてしまった。
「いえ、私が女なんですよ?」
ほんの一瞬だったが、時が止まったような感覚に陥った。あまりにも理解不能な発言に、頭がついていかなかったんだろう。
「え……? お前……えっ、お、女ぁ……!?」
「はい。女子高生です」
「は……い、いやいや……待ってくれよ……だってさっき風呂に……」
「入りましたね、みなさんと」
思わず立ち上がり叫びそうになったが、すんでのところでなんとか声を抑え、周囲には聞こえないほどの小声で応対することができた自分を褒めてやりたい。
身の丈百八十ほどはある男が女だったと言われても、正直信じられなかった――のは、こんな経験をする前の話だ。冷静に考えれば、今現在まさに俺が成人男性でありながら十六歳の美少女になってしまっているという現実が横たわっているのだから、それと全く同じ状況と言えばそうなのだろう。
そもそも、当事者でありながら今の今までその考えに至らなかった俺自身の考えの浅はかさの方が、アキからすれば驚きかもしれない。
「…………見ても、平気なのか?」
何を心配しているんだという話だが、ナニを心配しているんだとしか答えようがない。
全員がそうとは言わないが、男という生き物は大抵の場合女体に興味がある上、機会に恵まれたなら喜んで拝見させてもらいたがるように出来ている。だが、女の子はあまり男の体(特に下半身)を見たがっているようには思えない。それどころか、女の子が嫌がるからこそ、見せ付けることで精神的快感を満たすような不届きな犯罪者が世の中にはいるぐらいだ。
だから、アキも自分の体にそんなものが付いていることに不快感を抱いていないのかと心配したのだが、本人は何度か瞬きをするとにこりと微笑み口を開いた。
「自分のを散々見たので、慣れました」
「えええ……」
もしかすると、この女子高生はとんでもなく豪胆な奴なのかもしれない。