第1話
アピを出発して一週間程度経った頃、一行は火山の麓に作られた街に辿り着いた。
ここは、この世界唯一の温泉街・ブランタ。現実世界の温泉街のような和風のホテルや旅館などではなく、レンガ造りやログハウスのような西洋建築物が立ち並び、所々に軽食や果物を売る屋台風の店も見えるそこは、温泉街と言われなければただの観光地に見えただろう。
「わあ……! おっきい街だね!」
しかし、この街全体に立ち込める“匂い”が、まごうことなき温泉街であるという事実を裏付けていた。
「……なんだ、この匂い?」
「それが硫黄の匂いだ。この街でなら、どこでも嗅げるぞ」
「うえー……そうそう嗅ぎたいもんじゃねーぜ……」
腐ったタマゴのような匂い――と称されるこの匂いは、硫黄の匂いだ(アキ曰く、正確には硫化水素らしいが)。そして、この場にいる人間のほぼ全員が軽く顔をしかめる程度の、いわば悪臭に属する匂いでもある。温泉に行けば嫌でも嗅ぐことになる匂いだが、正直今は嫌いじゃない。別に温泉街生まれや育ちでもないし、温泉に頻繁に行ける程の時間や懐の余裕があるわけでもないが、なまじ馴染みのある匂いだけに懐かしい気持ちにさせられるのだ。
「……嬉しそうですね?」
「そりゃ、温泉自体は好きだしな」
それが顔に出ていたらしく、盛り上がる他の面々には聞こえないようにアキがこっそり耳打ちしてくる。特に否定する理由もないため素直に頷いて見せれば、アキは羨ましいと零しながら一度街の中を見渡し、再び俺に視線を合わせてきた。
「私、温泉はあまり経験がないので、実はそれほど馴染みがないんですよね」
「旅行とか行かないのか?」
「うーん、国内は行きませんね」
学生なのだから、旅行自体行く機会があまりないというのなら分かるが、「国内は」とわざわざ主張するところが気になる。国内でない所には旅行に行くというのなら、海外旅行はするというのか。もしかしてこいつ、金持ちのボンボンなんだろうか。
一瞬でそこまで考えて言葉を失った俺は、ただ首を振ることしかできなかった。
「……あら、メディナちゃんじゃない!」
その直後、歩いていた大通りの脇から顔を出した人物がメディナを引き留めたため、俺達も足を止めたのだった。
「おばさん……お久しぶりです」
「旅に出てたって聞いてたけど、帰ってきたのかい?」
「いいえ。まだ、旅の途中なんです」
その人物は中年ほどの恰幅の良い女性だったが、笑顔を絶やさない人の良い雰囲気を纏っていた。メディナも僅かに驚き言葉を探していたようだが、俺達に背を向けるとその声色を柔らかいものに変えたため、良い人だろうとすぐに察することが出来る。
たしかこの女性は、メディナを子供の頃から知っている人物だった筈だ。
「そうかい。お母さんも心配してたから、体には気を付けるんだよ」
「ええ……」
すぐそばを歩いていた俺達が同行者であるとは思わなかったらしく、その後も少しの間引き留められていたメディナを待ちながら、ヨシュが空腹を訴えたため残りの面々は適当に屋台で軽食を買って食べることしたのである。
早速肉類を買っている元気な若者の姿を眺めながら俺は適当にフライドポテトをつまんでいたが、この手の料理は基本的にどこへ行っても大差ない味に仕上がるため比較的安パイだろう。ここでは調味料もお好みでかけるスタイルだから、仮にこの世界や土地がビネガーあたりをぶっかける文化圏だとしてもあまり問題ない筈だ。
「……さっきの人、知り合い?」
「実家の近所の人よ。母と仲が良いの」
そんなこんなで数分後、ようやく解放されたメディナが戻ってくると、興味津々といった様子で早速フィーが声を掛ける。それに気だるげにしながらも誤魔化すことなく答え、メディナは一瞬ニールに視線を向けた。
フィーは家族全員を失っており、ニールは家族どころか故郷そのものを失っているため、この二人の前で身内に関する話は避けたかったのかもしれない。といっても、ゲーム中でも理由が語られることはなかったから、結局のところこれは俺の憶測になるのだが。
「ふーん。アンタここが故郷だったのか」
「顔を出さなくて大丈夫?」
「いいわよ。この旅が終われば、戻るつもりだから」
それを特に気にする様子もなくヨシュとニールは彼女を案じていたが、深く詮索されたくないのかメディナは話をそこで止めると街へ視線を向けた。そこに、そろそろ今日の宿ぐらいは決めておいた方がいいだろうと、グレイが助け舟を出したため、俺も便乗しておくことにした。
「じゃあ、宿を決めようぜ。どこがいいんだ?」
「そうね――」