第4話
迷いの森を抜けた先に見えてきたのは、石造りの古城だった。壁面に生える苔や蔦植物、風化したレンガなどを見れば、いくら知識のない俺でもその建物に人が住まなくなってから長い年月が経っていることは分かる。たしか、ここは数百年ほど前の王族の城だった筈だが、その情報自体にはゲーム中でも特に意味はなかった。そもそも、今の王族とは別の一族所有のもののため、歴史研究家以外の人間が食いつくこともほとんどないらしい。
むしろ、そんな場所を陣取って基地として使っているのが魔王軍である――という事実の方が、現代では重要なのだ。
「ここがウルム基地……」
「こっちに来て。隠し通路をあたってみるから」
城に隣接する木々をかき分けてメディナが先導すると、岩の影になっている壁面の一箇所に木製の扉が設置されていた。一見普通の扉に見えるが、実はこれはただの扉ではなくメディナが魔法で隠していた扉だ。
どういうことかというと、メディナの得意とする魔法は基本的には回復補助、つまり彼女はバフ魔法を使えるヒーラーなのだが、その他にも僅かながら攻撃魔法や幻を見せるデバフ魔法も使用できるのだ。そして今回は、その幻の魔法を応用して扉を隠していたらしい。
「準備いいな」
「まあね…………ここはまだ見つかっていないみたい、行きましょう」
「うん、みんな静かにね」
何か言いたげに少し黙り込んだメディナだったが、流石に少年少女達はその変化には気付いていないようだ。そのまま何事もなかったかのように静かに扉を開き先に進む美女の背中を見守りながら、俺は「ああ、やっぱりいい女だな」などと見惚れていた。
「この基地の所長、ブレンダンを探すわ。狡猾な奴だから、気を付けて」
「ああ」
「っ……待って! まずいわ、この気配は――」
建物内に入った瞬間、何かを察知したメディナは慌てて俺達を制したが、残念ながら一歩遅かった。
「うあぁっ!」
「ヨシュ!?」
先陣を切って歩いていたヨシュは、悲鳴を上げその場に倒れこむと息苦しそうに荒々しい呼吸を繰り返していた。しかし、ニールが駆け寄ると急に半身を起こし殴りかかったのだ。
確かにヨシュは粗暴だし直情径行の男だが、少なくとも味方に手を上げるような奴ではない。それを分かっているニールとフィーだからこそ、突然殴りかかってきた兄貴分の変貌に酷く狼狽えていたのだった。
「ま、待ってよ! なんでボクを殴るの……!?」
「……アニー……アニーが呼んでんだ。こっちに来いって……おまえらを、殺せって……!!」
「ヨシュ!」
虚ろな目で一切の加減なくニールに殴りかかるヨシュを取り押さえようとしたが、暴れる男相手では流石に今の俺では体格差があり過ぎて手こずってしまった。背後から俺が両腕を掴みニールが脚を押さえたことでなんとか大人しくさせたものの、俺の馬鹿力をもってしても、二人がかりでないと“アニー”という女の名前を呼びながら暴れ出す始末だ。
ちなみに“アニー”とは、死んだヨシュの妹である。今のこいつは、敵に見せられている幻の中にいるのだ。
「おい、俺の声が聞こえないのか! ヨシュ!」
「アニー……今、行くからな……」
「……少し眠っててもらいましょう」
距離を取りながら様子を窺っていたらしいアキが冷静にそんなことを呟き、懐から宝石のような石を取り出しほんの少し詠唱したかと思えば、石から放たれた光がヨシュに直撃すると脱力し崩れ落ちてしまった。動揺しているニールの代わりに俺が確認してみたところ、ヨシュは穏やかな寝息を立てている。どうやらアキは、魔法でヨシュを眠らせたらしい。
そんな訳の分からない騒動に気を取られていた俺達とは異なり、メディナはじっと部屋の隅に設置されている階段を見つめていた。その先から、例の奴の気配がするからだろう。
「……やっぱり、あんたなのね」
「どんなネズミが入り込んだのかと思えば、先日我が兵を虐殺し脱走したばかりの軍師殿ではありませんか。心を入れ替えて、我々に手を貸す気になりましたかな?」
コツコツと嫌味ったらしく足音を立てて階段を下りてきたのは、白髪の紳士――のような見た目をした、極悪非道な魔王の幹部・ブレンダン。この基地のトップに立つ魔族であり、幹部の中でも指折りの畜生であり、ゲーム中では序盤の小ボスである。この世界の魔族は、別に魔界から来た生き物とか、昔から潜んでいた種族とかそういうものではなく、魔物が自我・理性・知恵を持って進化した姿である。
つまり、魔王が長年好き勝手にやったせいで生まれた、他より強い魔物というわけだ。
「あの人を殺したあんた達になんて、手を貸すわけないでしょ……わざわざ殺しに来てやったのよ!」
そう啖呵をきったメディナは本を片手に何らかの魔法を唱えたが、ブレンダンには効果が無いようだった。
まあ、回復と補助を得意とするヒーラーが攻撃をするというのは、どう考えても無茶が過ぎると言うほかない。世の中のゲームには多くの攻撃手段を持つヒーラーもいるだろうが、彼女は攻撃手段を持っていると言っても終盤まではほぼ回復専門なのだ。その代わり、終盤に覚える攻撃魔法は優秀な魔法使いの彼女らしく、威力が破格ではあるのだが。
「まさか、そんな子供ばかりを従えて私を殺そうなどと? はは、これはとんだお笑いだ!」
「おい、メディナ! こいつがブレンダンか!?」
「そうよ! そして、ヨシュを幻で惑わしているのもこいつ!」
咄嗟に背中に抱えていた大剣を構えメディナの前に出ると、ヨシュの傍に座り込んでいた筈のニールもすぐに俺の隣に駆け寄ってくる。流石は主人公、切り替えが早くて頼もしい。
「よし、分かった! フィー、ヨシュを診ててくれ!」
「う、うん! 任せて!」
眠らせているヨシュを動かすわけにもいかないため、フィーにヨシュを守ってもらい俺は更に一歩踏み出した。正直めちゃくちゃ怖いが、美少女になってしまっているとはいえ憧れのメディナの前で情けない姿は見せたくない俺は、今までの人生で一番の虚勢を張っていた。これが主人公側の人間でなければ、間違いなく一撃で斬り捨てられる雑魚だろう。
「どうするつもり?」
「ヨシュの命がかかってんだ、ぶっ倒すに決まってんだろ」
「……ハルさん。あなた、まだ……」
「し、心配すんな。何とか乗り切るぞ!」
いつの間にか傍まで近寄っていたアキの心配の種は俺が戦い慣れていないことに終始するのだろうが、今はそんなことで躊躇している場合じゃない。ヨシュが戦えない今、前に出れるのはニールと俺だけなのだ。まさか十六歳の子供一人に、前線で戦わせるわけにはいかないだろう(ゲームではヨシュは気絶させられており、フィーが戦線に入っているとはいえ前衛はニール一人だが)。
「うん、いくよ! みんな!」
とりあえず、とどめは刺せなくても弱らせるぐらいの貢献はしなければいけない。と、真っ先に斬りかかったニールに続き、俺も覚悟を決めて剣ごとブレンダンに突っ込んだ。