ss #011 『ロデオドライブ』
「ねえちょっとぉ~! 誰かこれ貰ってくれなぁ~い?」
そう言いながらグレナシンが持ってきたのは、大量の化粧品だった。大きな段ボール箱の中に隙間なくみっちりと詰められている。グレナシンはそれをオフィスの作業台に置き、手近な椅子に腰を下ろす。
「あー、もう、やんなっちゃう。いきなり送り付けてくるんじゃないわよねー、こんなクソ重たいモンをさぁー。ハイみんなー、集合してー」
なんだなんだと集まってきた隊員たち。今日オフィスにいたのはロドニーとチョコ、レインの三人だった。三人は箱の中の化粧品を手に取り、物珍し気に観察する。
「どうしたんです? こんなにいっぱい」
「事件の証拠物品ですか?」
「高級品ばかりですね」
隊員たちの常識的な反応に、グレナシンは深い溜息を吐く。
「そうよねー。普通はそういう反応よねー」
「え?」
「どういうことですか?」
「普通は、と言いますと……?」
グレナシンは上着のポケットから数通の封書を取り出し、隊員たちに配っていく。
同じ封書ではない。それぞれ別の差出人から送られてきたものだ。
「読んでごらんなさい」
「あ、はい。……拝啓、セレンゲティ・グレナシン様」
「えーと……初秋の候、特務部隊におかれましてはますますご清栄のことと存じます……」
「先日の武術大会でのご活躍を拝見し、ぜひ当社の製品をお使いいただけたらと思い……?」
「今以上にお美しく、透明感のあるお肌を手に入れられることをお約束いたします??」
「ぜひご友人の皆様にもご紹介ください……?」
「……って、なんですかこれ? 製薬会社からのサンプル品……?」
「ええ、そうよ。ほら、自分で言うのもなんだけど、アタシ、三十代半ばのオトコとしてはお肌ピッチピチで美人すぎるじゃない? アタシを美肌化粧品のイメージキャラクターにしたいと思っちゃった企業がこんなにあったみたいなのよねー。いやー、参っちゃうわー」
「で、本部宛てにこういうのがジャンジャン・バンバン届いている、と」
「そーゆーこと。アタシ一人じゃ使い切れないから、誰か使ってよ」
「と、言われましても……」
「俺たち化粧なんてしませんし……」
「あら、こんなのまだまだ『化粧』のうちに入らないわよ? 基礎化粧品なんて単なる保湿剤みたいなモンなんだから。アンタたちだって、冬場にリップクリームとハンドクリームくらい塗るでしょ? あれと同じよ」
「えーと、その、でも……」
「どう見ても、これ……」
「女の子用ですしぃ~……」
筋肉質な人狼族、ロドニー。
半農半漁の寒村から中央昇進を果たしたド平民、チョコ。
謎多き海棲種族、レイン。
この三人にとって、洗顔後に化粧水を塗るという行為は異世界の文化に等しい。どんな強敵にも臆することなく挑んでいく勇敢な騎士たちが、今、化粧品のボトルを前にしり込みしている。
「だ、誰か使ってみろよ……」
「いやいやいや! ここはやっぱり、先輩に先陣を切っていただきたいところですよ、後輩的には!」
「一番槍の誉はお譲りいたします!」
「なんでこういうときばっかり先輩ファーストなんだっつーの!」
「ちょっとアンタ達ぃ~! ごちゃごちゃ言ってないで、実践あるのみ! うりゃうりゃうりゃあああぁぁぁ~っ!」
「ギャッ! ちょっ! あっ……!」
「先輩ファイト! ってゆーかいい匂い!」
「蓋開けた瞬間に女の子の匂いがしました!」
「そんな匂いのオオカミ男なんて格好良くねえっつーの! 副隊長! もういいですよね!?」
「ノンノン。化粧水の次は乳液よ~♪」
「えぇっ!?」
「うわぁ! もっといい匂い!」
「さすがは高級品!」
「ひえええぇぇぇ~っ! 副隊長っ! やめてえええぇぇぇ~っ!」
半泣きの抗議もむなしく、その後ロドニーは保湿クリーム、日焼け止め、ベタつきやテカりを抑えるパウダースプレーを施され、完璧な『美肌男子』に仕上げられてしまった。
化粧品の使用前、普段の顔を見慣れているチョコとレインは、あまりの変化に驚きを隠せない。
「毛穴は!? 毛穴はどこに行ったんですか!?」
「先輩、モデルさんか俳優さんみたいですよ!」
「やっぱ普段何もしてない子は変化が大きいわねー。ってゆーかアンタ童顔だし、今中学生くらいに見えるわよ?」
「中学生!? それって犯罪者にナメられるだけじゃないですか!?」
「でも先輩、二十代でオッサン呼ばわりされる老け顔より、童顔のほうがずっとマシだと思いますよ? 良いじゃないですか、マイナス十歳肌!」
「先輩が化粧品のCM出たほうが、効果が誇張されてイイ感じになると思います!」
「嬉しくねー。全っ然、嬉しくねー……」
そんな調子で箱の中の化粧品を漁っていると、他の隊員たちも外回りの任務を終えてオフィスに戻ってきた。そして全員、例外なく同じことを言う。
「なんだ!? 女の子の匂いがする!?」
「誰か女子来てたんスか!? 三人娘の匂いじゃねえッスよ!?」
「美女の匂い……っ!?」
高級化粧品に使用される最高品質の香料について、格調高い美辞麗句を用いてその香りを形容できる隊員はいない。彼らの表現力で言い表せるのは、これが女性用化粧品の香りであるという事実のみだ。
グレナシンからこの状況について説明されると、隊員たちの意見は二つに分かれた。
「もったいないし、使っちゃえば良いんじゃないッスか?」
「はあっ!? やだよ! 何言ってんだよお前、これ女の子用だぞ!?」
ゴヤとチョコが一番わかりやすい反応を示したが、他の隊員らもおおむね同じことを言っている。
小瓶一本で数万から数十万もする最高級化粧品を、未使用のまま捨ててしまうのはもったいない。しかし、誰もが一瞬で『女の子の匂い』と認識する香料が使用されているため、自分たちが使うことは難しい。
ならば知り合いの女性に配ってしまえば、という意見もあったが、即座にNGが出る。
「この手紙よ~く見なさいよ~。『ぜひご友人の皆様にもご紹介ください』って書かれてるでしょ? アタシはモデルや俳優じゃないから、おおっぴらに企業CMには出られないの。企業側が狙ってるのは、女の子たちが『特務の人からもらった』って友達に自慢しまくることよ。王子様ブーム、特務部隊ブームに乗っかって、口コミで売上を伸ばしたいんじゃないかしら?」
「あ~……そっか。俺らの知り合いって、貴族のお嬢様とかクラブDJとかですからね……」
「拡散力ありまくりだもんなー……」
「もったいないと思って配った時点で、あっちの思う壺かぁ……」
対処を一つ誤れば、そこから特定企業との癒着が始まる。本人たちにその気がなくとも、第三者目線では企業からの援助を受け、女にプレゼントを配って回ったように見えるのだ。
ありもしない不正を疑われることだけは何としても避けねばならない。一方的に送り付けられた化粧品の処分法について、特務部隊内での緊急ミーティングが行われる。
「だから、やっぱりこれ、ハンドクリーム代わりに塗っちゃえば良いんじゃないスか?」
「馬鹿かよ! 無理だっつーの! こんなマッチョ連中が超イイ匂いの女の子用化粧品使ってるなんて、どう考えてもおかしいだろ!?」
「でも先輩、捨てたらもったいないッスよ?」
「もともと何もなかったと思えばプラスマイナスゼロ! 誰も得してねえし、損もしてねえ!」
「あ、ハイハイ! 事務の女の子たちに使ってもらうとかどうです?」
「あらチョコ、いいアイディアね! と、言いたいところだけど、一通り配ってきた残りがこれなのよ~」
「じゃあ、他の部署の女性にも配ってみるとか」
「それが、そっちに配るには数が足りないの。ランドリー部門のスタッフって、ほぼ全員女性じゃない? 全員に平等に配るには十倍くらい必要だし、かといって人数の少ないクリーンスタッフのほうに持って行ったら、『あっちばっかり優遇されてずるい』ってなっちゃうし……」
「なら、事務の子たちにもうワンセットずつ渡すのは……」
「それもビミョーに数が足りなくて、もらえない子が出て来ちゃうのよ。ざっと頭数数えると足りるように見えるんだけど、今日が非番の子もいるわけじゃない? その子たちの分が無いの。そういうの、後々角が立つわよね?」
「あー、そうですね。非番の日に何万もする超高級品がプレゼントされてたら……」
「なんで自分だけもらえないの!? って思うでしょ?」
「はい。めっちゃ思います。てゆーか、ガチな逆恨み案件になりそう……」
今ここにある化粧品は、本当にどこにも持っていけない端数。
その事実を再認識し、隊員たちは眉間のしわを深めていく。
「キール先輩のお母様に使っていただくのはいかがでしょう? 同じ市内ですから、すぐにでもお届けできますし」
「駄目だレイン。こんなに渡したら、絶対ご近所に配って回る」
「それなら、お母様の分だけお渡しすれば?」
「こんなにいい匂いがしていて、おばちゃんコミュニティで話題にされないと思うか?」
「あー……企業名が明確に宣伝されますね……」
「同じ理由で、他の隊員の家族もNGだ」
「貴族でもダメでしょうか? 例えば、ロドニー先輩の妹さんとか……」
「ダメダメ! うちの妹おしゃべりだから! 非売品とか限定品とかゲットしたら自慢せずにはいられないタイプだぜ?」
「うぅ~ん? それなら、あまり人前に出なくて、お友達とコスメの話をしない感じの女性がいたらいいんですよね……?」
「いるかよ、そんな女」
「誰か身内に漫画家とか絵本作家とかいるか?」
キールに問われ、全員一斉に首を横に振る。いるところにはいくらでもいるが、いないところには本当に一人もいない。それが引き籠りタイプのオタクの特徴だ。特務部隊の身内には、根明で外交的な女性しかいないようである。
沈黙に包まれた特務部隊オフィス。
誰か何か言え。
言ってくれ。
そんな視線が飛び交う中、ゴヤが何かを思いついたように手を叩いた。
「いた! 誰とも会わない人!」
「え、誰だよ?」
「そんな感じの子、知り合いにいたっけ?」
「うん! ジルチ!」
「……ん?」
「……あれ?」
「……えーと……?」
自分たちが話し合っていたのは女性用化粧品の譲渡先ではなかったか。
そこでなぜ、表向きは存在しないことになっている幽霊部隊が出てくるのか。
顔中に疑問符を貼り付けた仲間たちを華麗にスルーし、ゴヤは言う。
「あの人たちなら誰とも会わないから、女の子の匂い漂わせてても何の問題もねえッス!」
「あ! そっち!? 確かに誰とも会わない人たちだけども……??」
「いや、オッサンが女子高生みたいな残り香漂わせてるって、かなり重大な問題だろ!?」
「フローラルアロマの殺戮部隊ってアリなんですか!?」
「無しだろ! 無し無し! 絶対ねえっつーの!」
「でも先輩! 一応本人に聞いてみたほうがいいッスよ! 俺、電話してみます!」
「え、あ、おい! マジかよ!?」
ゴヤはさっさと内線端末を手に取り、旧本部にかける。
「あ、レノさんッスか? 特務のゴヤッス! ちわッス! あのー、今うちの副隊長宛てに化粧品がドカドカ届いてて、事務の子に配ってもまだ余ってんスよねー。良かったらハンドクリーム代わりにどうッスか? 高級品だけあって、メッチャしっとりッスよ! ……あ、はい……ええ、あ、そうッスね! 確かに備品請求は……はい! 分りました! じゃあ、今から持っていきます!」
ゴヤは内線を切り、笑顔で言う。
「幽霊部隊だから、ハンドクリームとか備品請求できなくて困ってたみたいッス! 全部もらってくれるって!」
「あ、そ、そうか……」
「それは良かった……のか?」
「フローラル殺戮おじさん、爆誕……?」
「副隊長、俺、これ届けてきます!」
「あ、うん、行ってらっしゃい……って、本当に行っちゃったわぁ~……」
「大丈夫なんでしょうか?」
「ん~……匂いが気に入らなかったら、あっちで処分してくれると思うけど……」
本当に大丈夫なのだろうか。
彼らの心配が現実のものとなるのは、それから数日後のことである。
ある日の午後、特務部隊オフィスの扉がノックされた。
「どうぞ、お入りください」
いつものように答えるマルコ。
いつものように姿を見せるシアン。
しかし、その表情がおかしい。
「いかがされました? お体の具合でも?」
心配したマルコの問いに、シアンは首を横に振る。
「いえ……ここに来る前に旧本部に資料を届けてきたのですが、匂いがひどくて……」
「におい? ええと……カビ臭さとか、汗臭さとか、そういったものでしょうか?」
「違うんです。いい匂いなんです」
「いい匂いなのに、匂いがひどい?」
「はい。あれは口では説明できないものです。お時間がございましたら、ご自分でお確かめになられるのがよろしいかと。こちら、情報部からの定期報告になります」
「ありがとうございます。しかし、いい匂いなのにひどいとは想像がつきませんね。今すぐにでも確かめたいところですが……」
「オフィスの電話番ならば私が引き受けますが?」
「お願いできますか?」
「はい。この後は予定もありませんし」
「ではお願いします。すぐに戻りますので」
「いえ、私のことはお気になさらず、どうぞごゆっくり」
シアンに電話番を頼み、マルコは旧本部へ向かった。しかし、それはマルコの人生の中でトップ10にランクインするほどの判断ミスだった。
「……王子も悪夢を見てください……」
闇堕ち一歩手前のような目で呟くシアン。
何も知らずに死地へと向かうマルコ。
のちにマルコは、この日のことをこう語る。
「香りはうら若き貴族のご令嬢です。目の前にいるのは無精ひげを生やしたマッチョタンクの中年男性たちなのに、香りだけは清楚なご令嬢なのです。香りから連想される光景は、最高級の調度品をそろえ、花や美術品で飾り立てた明るいティールームとでも申しましょうか。ですが、実際そこにあるのはトレーニングマシンとサンドバッグと脱ぎ散らかしたジャージやスウェットで……視覚情報と嗅覚情報の不一致から、脳が誤作動を起こしっぱなしになるのです。思い出すだけで頭痛がします……」
その後しばらくの間、情報部と特務部隊では何らかの連絡業務を押し付け合う醜い争いが多発した。しかし本部職員たちが何を尋ねても、誰一人、その詳細を語ることは無かったという。