剣聖の称号
リシテアは、剣聖と対峙するリアムの姿を見ていた。
(この男、どうして剣聖と向かい合えるんだ!?)
剣を手に取った剣聖は、鍛えている自分でも震えが来るほどの威圧感を持っていた。
一流を超えて、武の頂点を目指すために生きているような人間たちだ。
人外に足を踏み入れたような存在を前に、リアムは余裕すら見せている。
リアムは刀をクルクルと回し、剣聖に笑みを見せていた。
「いや~、さっき部下から話を聞いて楽しみにしていたんだ。剣聖と戦えると聞いて年甲斐もなくワクワクしているよ」
実力差が分からないのか!?
そう思ったリシテアだったが、剣聖の反応が今までと違った。
リアムよりも獰猛な笑みを浮かべて、剣の柄を握りしめる手からミシミシと音が聞こえてきていた。
今は、ティアにすらまったく興味を示していない。
「お前がリアムか?」
剣聖がリアムに近付く。
互いの間合いに入ると、身長差は大人と子供だった。
「様を付けろ。俺は次期公爵だ」
剣聖を見上げるリアムは、まるで格下を相手にしているような態度だった。
どこまでも太々しい。
世間知らずの子供にも見えるし、その態度は大物にも見える。
(幾ら強かろうが、剣聖相手では無理だ。剣豪が数人いても勝てないのが剣聖だ。そのような相手に、いくらバンフィールド伯爵だろうと勝てるわけがない)
噂に聞く一閃流も、剣聖相手にどこまで通用するのか分からない。
実際、凄腕のティアですら負けたのだ。
そんな相手にリアムがどこまでやれるのか?
リシテアは不安でしょうがなかった。
剣聖がリアムを前にして剣を構える。
「小僧、流派は一閃流だったな? 師は?」
真剣な表情をする剣聖を前に、リアムは自然体で構えなかった。
「師は安士――この世でもっとも強い男だ」
剣聖が目を細める。
「やすし? 聞かない名だな」
それを聞いたリアムの表情が変わる。
「会うこともないから覚える必要もないぞ。お前は今日、ここで死ね」
二人の間で先程よりも大きな火花が散った。
二人の動きが速すぎて残像が見えてしまう。
剣がぶつかり合う度に、ティアの時よりも大きな火花が飛び散るのだ。
互いに至近距離で剣を振り回し、その余波で室内に風が巻き起こる。
リシテアは剣聖を前に一歩も引かないリアムを見て、信じられなかった。
(馬鹿な。帝国が認めた剣聖だぞ。どうして立っていられる!?)
慌てているリシテアに、クレオが声をかける。
「姉上、すぐにティアの手当を!」
「わ、分かった」
弟に言われてすぐに動き出すリシテアは、壁に埋まったティアに近付いた。
すぐに壁から引き剥がすと、ティアは傷だらけながらウットリとリアムを見つめている。
(この女、何を考えている!? 今の状況が理解できないのか!?)
真面目な女性騎士かと思ったが、この非常時にリアムに見惚れている姿に幻滅した。
しかし、ティアは装備のポーチから取り出した小瓶を口に含むと、少し飲んだ後に怪我に吹きかけた。
そして口を開く。
「リシテア殿、リアム様の凜々しいお姿が見えますか?」
「お、お前、こんな時に何を言っている! すぐにこの状況をどうにかしなければ、我々は皆殺しにされるんだぞ!」
リシテアが激怒するのも無理はなく、警備隊が常駐する施設に乗り込んできた凄腕の騎士たち。
しかも、剣聖までいるのだ。
生きて出られる可能性の方が低い。
そもそも、これだけの騒ぎが起きているのに、助けが来ないのもおかしかった。
(ライナス兄上だけじゃない。もっと上が絡んでいると考えるべきか? そうまでして――クレオを消したいのか!)
ライナスだけで剣聖を動かせるとは思えず、そうなるとライナスよりも上――カルヴァンや、下手をしたら更に上が絡んでいる可能性もある。
自分たちがこの場を生きて出られるのか?
リシテアは半ば諦めていた。
ただ、ティアは薬で怪我が治ってくると、武器を持つ。
「慌てる必要はありません。見ていてください。私が知る中で、この世でもっとも強い人間はリアム様ですから」
◇
剣聖と剣を交えて分かったことがある。
「この程度で剣聖を名乗れるのか? なら、今日から俺が剣聖を名乗ってもいいよね!」
笑ってやると、目の前の大男は歯を食いしばっていた。
俺と打ち合っているようで、その手足にはかすり傷が増えている。
もちろん、俺は無傷だ。
「まだ百年も生きていない小僧が!」
「その程度の小僧に打ち負ける! お前はその程度なんだよ! 一閃流が強いと分かったか? 最後に最強の剣術を知れてよかったな!」
「ほざけ!」
本当に一閃流とは素晴らしい剣術だ。
この世界でも最高の剣術だろう。
そんな立派な剣術が、悪人である俺に授けられてしまったのはこの世界の不幸である。
それにしても、こうして剣で打ち合うのはいつ以来か?
修業先でクルトと試合をした頃か?
あの頃は手加減の仕方を考えるために苦労したものだ。
一閃流の弱点を上げるとすれば、手加減が極端に苦手というところだろう。
何しろ剣を抜くイコール、相手を殺す剣術だ。
試合で相手の手足を斬れば大問題だし、見えない斬撃など素人には何が起きているのか分からない。
さて、そしてわざわざ俺が刀を抜いた状態で構えている理由だが、純粋な舐めプである。
本来なら鞘から抜いた瞬間に勝敗が決しているのが一閃流だ。
それを、わざわざ剣聖に付き合っているのは、その実力を見るために他ならない。
後は――俺がどれだけ強くなっているか見るためだ。
すると、剣聖が飛び退いて俺から距離を取った。
その行動に目の細い糸目男が驚いている。
「剣聖殿、いつまで遊んでおられるのか!」
だが、剣聖はそんな糸目男を一喝する。
「黙れ! ――少し頭に血が上ったが、まさかここまで俺に付き合える男がいるとは思わなかった。こんな感覚は久しぶりだ。最高だ。お前は最高だよ!」
この男――戦いを楽しむタイプだ。
時としてこの手の騎士がいる。
どこまで強くなれるのか? もっとスリルのある戦いをしたい。もっと強い相手はいないのか?
そうした欲求に忠実な悲しい存在がいる。
俺にはまったく理解できない。
剣聖が八相の構えを取ると、一瞬だけ危険だと俺の勘が告げる。
「この技を本気で放てる相手がまた出てくるとは思わなかった。頼むから、しばらくは耐えてくれよ!」
笑いながら斬撃を飛ばしてくる剣聖だが、その斬撃が酷い。
まるで網のような斬撃だ。
一瞬の内に何度も斬撃を飛ばし、それらが重なって網目状になっている。
面で制圧するような斬撃だった。
「何て酷さだ」
剣聖が笑っている。
「勝つための必勝の剣! この斬撃から逃れられるものかよ!」
そんな斬撃を何度も放ってくるのだ。
――いや、本当に酷い。
この程度の斬撃に危険を感じた俺が馬鹿みたいである。
一閃流の免許皆伝を持つ俺が、この程度で驚くなど師匠に申し訳ない。
そんな斬撃を一振りでなぎ払うと、剣聖が動きを止めた。
「――これも斬るか」
「何て残念な剣だ。お前、本当に強いのか?」
疑わしくなってくる。
そもそも、こんな後ろ暗い仕事をしている奴が剣聖とかあり得るのか?
実はなんちゃって剣聖ではないだろうか?
俺は怪しくなってきた。
ガッカリである。
剣聖がまた構えを変えた。
片手持ちにして、自然体に構える。
そして口をすぼめて長く息を吐くと、剣聖の体の筋肉が一気に膨れ上がり――また縮んだ。
一瞬で膨れ上がったと思ったら、元の状態よりも細くなっていた。
服がブカブカになっており、剣聖は着ているものを斬り裂いてパンイチスタイルになる。
ふざけた格好をしているが、体から湯気がまるでアニメや漫画のオーラのように揺らめいている。
――それ、湯気にする必要あるの? 魔法でよくね?
「姿が変わったな」
剣聖は笑っているが、体に負担がかかっているのか少し苦しそうだ。
「俺の剣が辿り着いた極地だ。純粋な力を追い求め、そして辿り着いた答え! 爆発的な身体能力と引き換えに命を削る奥義だよ!」
剣聖が一歩踏み出すと、次の瞬間には俺がいた場所に剣が振り下ろされていた。
剣聖の踏み込みで脚がめり込み、剣が突き刺さった床は爆発したように破裂した。
避けた俺は目を見開く。
振り下ろした瞬間に、もう俺の胴体を横に両断しようと剣が迫っていたのだ。
それも避けると、今度は違う方から斬りかかってきた。
「どうだ、小僧! これでも俺が弱いと思うか! 今の俺は機動騎士すら両断できる! これが人間を超えた力だ!」
斬りかかってくる剣聖の一撃を受け止めると、俺の足が床にめり込んでしまった。
一撃が凄く重い。
だが、俺の心にはまったく響かない。
「極地、ね。――お前は目指す場所を間違えたな」
「あぁ?」
何度も斬りかかってくる剣聖の一撃を受け流すと、俺の持って来た刀がボロボロになる。
これならお気に入りの刀を持って来て、一撃で終わらせればよかった。
「抵抗も出来ないお前が、これからどうやって勝利を掴むつもりだ! 俺が疲れるのを待つなら残念だったな。この状態でも丸一日は戦える!」
剣聖は一撃を放つ度に、皮膚が切れてそこから血が少しだけ出ていた。
丸一日も持つのか? それは凄いと感心するのだが――。
「非常に残念だ。何か参考になればいいと思ったが、お前の剣は雑すぎる」
全ての動きが力任せ。
綺麗じゃないのだ。
何かためになる動きでもないかと探っていたが、これでは見るべきところが何もない。
――参考にならない。
「俺の剣を愚弄するのか、小僧!」
俺が刀を下げて無抵抗になると、剣聖の振り下ろした剣が俺を――斬れなかった。
目を見開いて驚いている剣聖の剣は、根元から折れていた。
刃が空中をクルクルと回転し、落ちると床に突き刺さる。
熱を持っていたのか少し赤くなっている。
俺は床から足を抜いて、刀をしまって背伸びをする。
「お疲れさまでした。今日からは俺がお前の代わりに剣聖を名乗ってやる」
剣聖が俺を見ている。
「まだだ。まだ終わって――いな――い」
ポトリと首が落ちると、剣聖の大きな体が倒れて血を噴き出した。
噴き出た大量の血を浴びたのは、糸目の男だ。
俺の方を見て殺気を向けてくる。
「どうした? 命乞いをしないのか?」
近付くと剣の柄に手をかけたので、両腕を斬り飛ばしてやった。
それを見て、糸目の男は笑う。
「最初に一閃流の名や技を聞いた時は、大道芸か何かかと笑ったが――こうして実演されても笑うしかないな」
見えない斬撃。
いつ斬られたかも分からない一閃流の奥義だ。
糸目の男は抵抗しない。
男は俺の顔を見ずに話しかけてきた。
「誰が黒幕か知りたいか?」
このような男が本当のことを言うとは思えないし、意味がない。
「必要ない」
「お前の敵が、帝国そのものだったとしても?」
顔を上げた男は何でもないように微笑んでいた。
気のよさそうな男に見える。
そんな男の首を斬り飛ばした。
「むしろ望むところだ」
帝国そのものが敵? それがどうした?
この世界は俺の遊び場だ。
敵対するなら潰すだけだ。
戦いが終わると、リシテアが俺に詰め寄ってきた。
「おま、お前! どうして殺したんだ!? 取り調べをすれば、何か分かったかも知れないだろうが!」
まったくその通りだが、無意味なことはしない主義だ。
「今更敵を知ってどうする? そもそも、周りが敵だらけだろうが」
「そ、それはそうだが」
「そもそも、こいつが喋ると思うのか? 嘘を言って混乱させるだけだ。この手の男は厄介なんだよ」
クレオが襲われているのに助けに来ない警備隊。
ライナス殿下だけが動いているとは思えない事が多かった。
実際、あいつが剣聖を動かせるとは思っていない。
やはり、敵はカルヴァンか皇帝――敵対してくれてむしろスッキリした。
リシテアが俯いてしまうと、ティアが俺のもとにやって来て膝をつく。
「見苦しい姿を見せてしまいました」
まぁ、剣聖相手に時間稼ぎをしただけでも十分な働きだろう。
これで俺も今日から剣聖を名乗れる。
剣聖――いい響きだ。
「お前にしては頑張ったな。褒めてやる。それに今日の俺は気分がいいから全て許そう。何しろ、剣聖になれたんだからな」
「リアム様! 何と寛大なお方なのでしょう」
本当だよ。
お前を雇っている時点でかなり寛大だよ。
ティアが手を組んで目を輝かせ俺を見ている。
実に気分がいい。
威張っていると、話を聞いていたクレオ殿下が首をかしげる。
「剣聖? ――伯爵は知らないのか?」
「何を?」
クレオは倒れた剣聖へと視線を向ける。
「帝国では剣聖を任命できるのは皇帝陛下だけだ。もちろん、推薦などを受ければ陛下が吟味するが、剣聖を倒したからと名乗れる称号ではないぞ」
それを聞いた俺は、剣聖を倒しても何の得もなかったことに絶望した。
得られるものはなく、ただ勝負をしただけだ。
「――嘘だろ?」
唖然としている俺を見るティアは、頬を染めていた。
「予定が外れたリアム様もす、て、き!」
何だかやる気がなくなった。
今日はもう帰る。
「もういいや。ほら、撤収するぞ」
帰ろうとする俺を見て、リシテアが待ったをかけてきた。
「この状況を放置するつもりか! クレオの安全を確保するのが先だろうが!」
こいつは何も分かっていない。
どうして俺がわざわざ遊んだと思っているのか?
そんなの、全て終わっているからだ。
「外の敵は殲滅したし、俺の部下たちがここを守っている。偉い奴らにも報告済みだ。もう終わっているんだよ」
こういう時、上と繋がっているのは役に立つ。
宰相に連絡して手を打ってもらった。
「お、終わっただと?」
舐めプをするためには、全ての面倒を終わらせるべきなのだ。
勝った状態で舐めプをするから意味がある。
勝敗が決する前に遊ぶのは、ただの油断だ。
仕事が残っているのに遊ぶべきではない。
後はこの場に乗り込んで剣聖と戦うだけだから、わざわざ舐めプしたのだ。
舐めプをするのは勝ってから! ――何だか名言っぽいな。
俺の格言にしておこう。
ブライアン(´;ω;`)「リアム様――剣聖と戦う時点で舐めプではありません。辛いです。リアム様がスリルを求めて生きているように見えて――辛いです」