第14話「話」
僕は机に座っている。
正面には中島さんのお母さんがいる。
中島さんのお母さんは、コーヒーを口にしている。でも、何もしゃべらない。
座るように促されてから2分が経った。
こうなったのはほんのさっきだ。
僕と中島さんと妹さんは、そのあとも僕は帰ることなく遊んでいた。
三時ごろになったとき、中島さんのお母さんはお菓子でも買ってきなさいと、お金を渡した。
でも、その時に僕だけ残るように言われ、そしてさらに座るように言われて今に至る。
内心僕は何を言われるんだろうかとガクブルしていた。でも、逃げ出せる状況でもないのでとりあえずここにいる。
それからさらに1分が経った頃、やっと口を開いた。
「君が渡辺君だよね」
「はい!渡辺です!」
元気よく返事をするも、ものすごく声は震えている。
今の緊張を紛らわそうと必死だった。
「君は…、木葉の彼氏なの?」
「え…?あ…いや…その…」
その質問に僕が戸惑っていると、お母さんの目つきは鋭くなっていった。
これは早く言ったほうがいい、そう察し、とりあえず今の状態について話すことにした。
「彼女とは…お付き合いしていません…」
「そう…」
それだけ言ってお母さんは無言になった。
また、しばらく沈黙が続いた。
この沈黙は僕の緊張を大きくさせた。帰れるなら今すぐにでも帰りたい。
やはり、母親としては男友達か彼氏として付き合っているのか気になるのだろうか、そう思いつつ僕は渡されていた紅茶を口にした。
母親のいない僕にとって今どんな心境なのか見当もつかなかったが、表情を伺うに落胆はいない。でも、だからと言ってうれしい様子もなく、ただずっと無の表情で言うならばクールだった。
「あの子ね。今まで、家に友達を入れたことがなかったのよ。君が初めて」
僕は固まった。いつもあれだけ友達のいる中島さんが家にだれも入れたことがない?不思議に思った。でも、もしかしたらもともと家に人は入れないタイプの家庭なのかもしれない。そう自分で納得させた。
「あの子…。ちゃんと友達いる?一人になったりしてない?」
「はい、彼女は…、友達もたくさんいますし、クラスの人気者ですよ。本当…とても僕とは釣り合わない…」
ポロっと本音が出る。親の前でなんでそんな言葉が出てしまったのかわからなかったが、この時の僕は気づきもしなかった。
「君は友達がいないの?」
少し嘲笑したように言う。
「い、いますよ」
少し張り合ったように言う。お母さんはアハハと笑う。
「冗談よ、冗談」
「あ、いえその…。でも、僕は元々人と話すのが苦手で…、あまり関わりたくないんです」
「じゃああの子も?」
「あ、いえ!中島さんはそんなことはないんです。ただ、中学の頃から友達があまりできなくて、それで気づいたら友達があまりいないなーと」
「ふーん」
お母さんは何か納得したように言った。
正直、今でこそ僕は中島さんと話すようになっている。それに、彼女に誘われて遊んでもいる。でも、未だになぜあれほど友達の多い彼女が僕に関わるのかわからない。それに、彼女がどうしてそんなにも僕と遊ぶのかもわからない。
どう考えても、僕では彼女に釣り合わない。なのにどうしてこんな風に僕に接してくれるのか理解できなかった。
きっと、お母さんも同じような考えなのだろうと思った。
「何となく…、君を見ていてわかったわ。あの子が言ってたこと」
「え?」
何の話だろうと疑問に思ったところで、すぐにそれに答えた。
「あの子は昔は学校のこととか家に帰っても話さなかったのよ。でも、ここ最近数か月、よく学校のことを話すようになったの。それも全部君のこと」
少し口が開いた。彼女が僕のことを家で話す、それはともかく家で学校のことをあまり話さないというのに疑問を抱いた。
普段の彼女は誰とでも仲良く話し、いつも元気だ。学校では暗い姿なんて見たことがない。いつも楽しくて青春を謳歌している。そんな彼女が家では学校のことをあまり話さない。僕の想像とあまりに真逆だった。
「家ではあまり話さないって…。あんなに普段学校では楽しそうなのにですか?」
「ええ…。学校で楽しそうにしてるなら何よりだけど、あの子家に帰ってきて学校のこと聞いても一言だけ言ってそれ以上は特に何も言ってくれないのよ。だから、少し聞いて安心したわ」
このお母さんはきっと、娘のことを大切に思っているんだろう。
話し方、表情だけからでも見て取れる。
「この間あの子が言っていたんだけど、君と何だか似ているって」
「え?」
僕と中島さんが似ている?意味が分からない。どう見たって正反対だ。
僕の中では、中島さんが光り輝く宝石とするならば、僕は単なる石ころ。差は歴然だ。
「似ているってどういうことですか?」
「さあ。私もそう聞いただけだからわからないけどね、でも、あの子の中では何かしらの共通点があるって思ったらしいわよ。私もよくわからないけれど、今日君を見ていてなんとなくその意味が分かったわ」
「はあ…」
中島さんも意味がよくわからないことを言うなと思った。だから、こうして今まで関わってくれていたのだろうか。僕からしてみれば歓喜だけれど、その一方で謎が生まれる。
僕が訳が分からずポカンとしていると、お母さんはふふっと笑った。
「まあ、あまり気にしなくていいのよ。あの子たまに変な事言ったりするから」
僕はなんだかよくわからなくなって頭を掻いた。
とりあえず、紅茶を飲んで落ち着こう。
「あの子…、君のことが好きなんじゃないの?」
思わず吹きそうになってむせた。
しばらくせき込んでいる僕を「大丈夫?」と言いながら、お母さんは笑っている。
どうして、僕は最近こうもむせたりするんだ。タイミングが悪すぎる。
「そんな、なんでいきなりそんなことを⁇」
「はは、君は案外鈍感さんなのかな?
まあ、判断は君に任せるけどね」
僕は中島さんが僕のことを好きだということを想像してみる。
なんだか無性に恥ずかしくなった。
いや、僕のことを好きなわけがない。中島さんはきっと少し変なだけで、単純に僕と関わっているだけだ。友達以上の何にでもないんだ。
そんな僕をよそにお母さんはいきなり神妙な面持ちで僕に話し始めた。
「でも…、君が思ってる以上に…あの子は繊細だから。
もし、今後も仲良くするなら、何かあったときは助けてあげてね」
声色が変わったことに僕は驚き、お母さんの顔を見る。
目が合うと、少し不安そうな顔をしている。でも、なんだか恐れているような、前にも見たことがある気がした。
「ただいまー!」
二人が元気よくあいさつをして帰ってきた。
「あれ、お母さんと渡辺くん、二人で座って何してるの?」
「あ、いや別に何も」
僕は何とかごまかす。
お母さんの顔をちらりと見ると、いつもの表情に戻っていた。
さっきのあの顔は気のせいだったんだろうか。
「ほら、これ!懐かしいでしょ!ねるやつ!あと、クッキーにチョコとかデコレーションできるやつとか。
色々買ってきたよー」
それからもゲームをしたりして、時間を過ごしていた。
相変わらず妹さんはゲームがうまかった。
でも、僕はずっとさっきのあのお母さんの顔が気になり、あまり楽しめなかった。
深刻な何かが迫っているのだろうか、それとも彼女はガラスのように簡単に壊れてしまうのだろうか。
僕の中で思考がグルグルと回った。
彼女に何があるんだろう。僕は何を知っているんだろう。いや、僕は何も知らない。
初めて会ってから、今に至るまでのことしか知らない。表の部分は見てきたつもりだ。でも、その裏側の影の部分はどうなっているんだろうか。
いつか、そこに光を照らし、彼女を見ることができるんだろうか。
少し、僕には知らない中島さんが怖くなった。
気が付いたら消えてしまいそうな、ろうそくの火のような彼女に怖くなった。
「ただいま~」
知らない男性の声が聞こえた。いや、僕は知らないだけだ。
きっと、中島さん、妹さん、お母さんは知っている人。
多分、中島さんのお父さんが帰ってきたのだ。
「健さん、おかえりなさい」
「あ、お父さんお帰り~」
「お父さんおかえりなさい~‼‼」
家族それぞれが挨拶をしていく。
リビングにその顔が見えた時、ふと目が合った。
一瞬目をそらしそうになったが、それは失礼だと思い頭を下げる。
すると、お父さんは手に持っていたカバンを落とした。
「か、母さん…。あの男の子は誰だ!何者だ‼」
お父さんはお母さんのもとまで駆け寄り、僕を指さして聞いていた。
お父さんは怒った様子というよりは少し悲しそうな声をしている。
多分、僕のことを中島さんの彼氏か何かだと勘違いしているんだろう。
「あ、そうそう。あの子木葉の彼氏。ね?」
え?さっき否定したばっかりなのになんでいきなり彼氏認定されているんだ?
僕が否定しようとしたとき、中島さんが先に発言した。
「うん、そうそう!この子が私の彼氏!渡辺航くんっていうの!ね?航?」
航…。航?ワタル?わたる?wataru?
中島さんが僕を「航」と呼んだ言葉が、頭の中でやまびこのようにいつまでも反射していた。航なんて呼ばれたのは初めてだ。動揺して、頭が真っ白だ。
僕は、不意打ちの攻撃に無性に恥ずかしくなって顔が真っ赤になった。
すごくうれしいけど、同時にすごく恥ずかしい。
「え、あ、うん」
僕は訳が分からずとりあえず返事をしていた。
完全に上の空だ。
お父さんはそれを聞いて口をあんぐりと開けたまま愕然と立ち尽くしている。
お父さんは力なく椅子に座り、机に突っ伏した。
「木葉に…木葉に彼氏がぁ……」
そう言って、悲しみ始めた。
今になってやっとお父さんをからかっているのかと理解した。
「気にしないでね渡辺君。この人ちょっと親バカだから。いや、単純な馬鹿なだけかも。
ほらお父さん、さっきのは嘘よ。はい、麦茶」
中島さんとお母さんは可笑しそうに笑っている。
妹さんはよくわからなそうだった。
数秒経って、嘘だと脳内でやっと変換されたのか、お父さんはガバっと顔を上げた。
「なんだあ…ウソかよ…。本当かと思たじゃんか~…」
そう言って、麦茶を飲む。
中島さんとお母さんはおかしそうに笑っている。
なんだか賑やかでほほえましかった。
さっき航と下の名前で呼ばれて正気を失いかけていたのは、誰にもバレていなさそうだ。
すると、中島さんは僕が今日いる経緯について説明してくれた。
そして、きちんと二人は友達であるということも説明していた。ちょっと内心寂しかった。
「なるほどなるほど、それはそれは渡辺君、娘をありがとうね。いやあご迷惑をおかけして申し訳ない」
お父さんの顔は穏やかで優しそうな顔をしていた。でも、さっきの感じを見るに少し子供っぽいのかもしれない。
「というか木葉、お母さん、さっきので俺の威厳が丸つぶれじゃないか。少しは俺もこう、威厳のある父を…」
「いいのよ、お父さんにはそんなの無理だから」
「ひ、ひどい…」
そして、また少し落ち込んだ。一同が笑っていた。楽しい家族だ。
もう時間は6時半を過ぎていて、帰ろうと思ったがお母さんに夕飯を食べていくように言われ、お言葉に甘えていただくことにした。
そして、夕飯をいただいた後、僕は帰ることにした。
リビングで妹さんやお父さんお母さんにあいさつした後、中島さんが玄関まで送ってくれた。
「今日は、ありがとうね!本当にいろいろとご迷惑をおかけしました」
そういって、中島さんは頭を下げる。
こちらこそと僕も頭を下げる。
じゃあといって、僕が去ろうとしたとき中島さんが僕を呼び止めた。
「渡辺くんさ、携帯持ってるよね?」
一応僕は持っている。このご時世には合わない開閉式の携帯だけれど…。
「うん、持ってるよ」
そう言って僕はポケットから携帯を取り出した。
「メールアドレス、交換しようよ!そのほうが今後も連絡しやすいし!すっごい今更だけどね」
そう言って彼女は笑う。
こうして、僕と中島さんに小さなつながりができたような気がした。
家に帰って風呂を出たころ、中島さんからメールが届いていた。
『今日はありがとうございました!いろいろと迷惑かけちゃってごめんね(>_<)
お父さんもお母さんもまたいつでもおいでって言ってたよ!
また今度、ちゃんと遊ぼうね!』
僕からしてみれば今日はちょっと予想外のことが多かったけれど、それでも十分楽しい一日だった。
僕は、『こちらこそありがとう。また遊ぼうね』とだけ返して、布団にもぐった。
そう言えば帰る少し前に妹さんから2枚の写真を渡された。
ポラロイドカメラだから写真を撮るとすぐにその場で印刷される。
だから、今日遊んでいた内にこっそり撮ったのだろう。
彼女の笑顔が映る写真と、そして僕と彼女がテレビ画面をみて笑っている姿だった。
そういえば、自分の写真なんて持っていなかったなと内心思いつつ、僕はそれを部屋の写真立てのそばに並べた。