第1話「僕」
一応恋愛小説のつもりです。
簡単に申し上げると、ほのぼのとした恋愛小説とは程遠いです。あと、変な設定もあります。
シリアス展開多めなので、そういうのが苦手な方はブラウザバックをお願いします。
誤字脱字があると思います。
その際はご報告いただけるとありがたいです。
今、僕は夢を見ている。
これは夢の中だと、自分でもはっきりわかる。もう何度も見たことがあるのだから。
でも、夢の中というものは不思議なもので、夢を見ている間、自分はその世界の人物なのだと思う。
そう、たとえその夢が現実で見たことだとしても、僕はその夢の時間に生きている。
だから夢なのか、それとも現実なのかわからなくなることもよくある。
僕は、夢の中でばあちゃんに会っている。でも、それは決して僕の空想でも夢想でもなく、僕の過去の記憶から掘り起こされたものに過ぎない。
白い壁に囲われた部屋で、ばあちゃんはベットに横たわっている。心音を伝える電子音が、一定のリズムでその部屋に響く。
ばあちゃんが最後に教えてくれたことを、僕は呪われているかのようにいつも見る。
――――――いいかい航。お前さんはね、神に仕える血を引いているんだよ。私も、お前のお父さんもそう。
お父さんはこの力を持っていなかったけど、お前さんは持っている。だからね、お前さんはこの力でいろんな人を助けるんだよ。
目を覚ますと、あたりはもう暗い。時計を見るともう夜中の12時を回っている。
いつの間に僕は眠ってしまったんだろうか。
辺りは、さっきの夢の中と同じ真っ白な壁に覆われている。
目の前のベットには、体中傷だらけで、包帯を巻かれた彼女がいる。
いつものきれいな肌は傷ついている。それを見るだけで、僕の心をえぐる。
大切な人を守れなかった悲しみより、今僕ができることは3日間眠りにつき、未だ覚醒することのない彼女を見守ることだけ。
静かな病院には、ただ、心音を伝える心電図の電子音だけが、一定のリズムを刻んで鳴り響く。
カーテンを少し開くと、空は雲一つなく、満月がちょうど南の空に昇っている。
そういえば、さっき見た僕の夢も、彼女に初めて会った時にも見た。
そんなことを何となく思い出す。
-----------------2018年5月
ピピピっと音が繰り返され、目が覚める。時計のアラームを止めると僕はうんと背伸びをし、寝ぼけた様子であたりを見回す。
そして、しばらく目をこすったりしながらぼーっとしていると、ふと我に返り誰もいないのに「あ……夢か……」とつぶやく。
あの夢の中の言葉は、ばあちゃんが死ぬ前に言った言葉だ。
言葉だけじゃない。その時の景色も声もくっきりと僕の脳内に焼き付いている。
さっきの夢は決して夢ではない。実際に見た景色だ。
ばあちゃんが死んだばかりのころは、まるで呪われているかのように毎晩同じあの夢を見てうなされていた。
今の僕には、父親も母親も、ましてやばあちゃんや身内もいない。
ばあちゃんが死んだ中学3年生のころから今に至るまで、ずっと一人だ。
その心細さがしばらくの間、僕を苦しめていた。
でも、しばらくして、ある転機が訪れた。
毎日が無気力な僕だったが、やがてばあちゃんの遺品を整理しているとき、一冊の本を見つけた。
その本は、ばあちゃん自作の本だった。ばあちゃんの達筆な字で「航が持つ力について」、と書かれていた。
「力」って何だろうと疑問に思いつつページをめくると、その「力」というものについて書かれていた。
――――力は神に認められた血筋だけが手にするものであり、またそれは代々受け継がれていく。
その血筋を引くものは、常にその人が持つ力を使うことができる。
ただし、これは人のために使うこと
時には人の未来を大きく変えることすらできるということを忘れてはならない
それを読んでいるうちにやっとばあちゃんが死ぬ間際に言っていたことを思い出したのだ。
その本には、この血筋の人が使える力の種類について書かれていた。
・1つ 時間を戻すことができる
・2つ 未来を見ることができる
・3つ 神の声を聴くことができる
その三つだ。
さすがにできることは決められていた。
例え、その血筋とやらを持っていたとしても、これだけしか使えないらしい。
それからというもの、僕はこの力を使いこなせるようになるために努力した。
でも、僕はその中で一つ疑問に思うことがあった。
僕が使えたのは、二つ。「時間を戻すことができる力」と、「未来を見ることができる力」だけだった。
また、「未来を見ることができる力」に関しては、ただ全体的に見ることができるというより、「自分が選んだ特定の人物一人の未来」についてしか見れなかった。細かく見えるというよりは、何かしらのイベントやハプニングが起こると、そのシーンが見えてくる。
あと、僕が見える未来は、12時間先が限界のようで、そこから先はわからない。
「時間を戻すことができる力」は、わずか5分だった。
そう、5分しか戻すことができない。
この力を使う上で、最も大切なものは体力。
この力を使うときにはそれなりの体力、すなわちエネルギーを消費するらしく、僕は一度倒れてしまったこともある。
だからかもしれないけれど、今の僕ではどうあがいても最長5分が限界だった。
「神の声を聴くことができる力」に関しては、何もわからない。ばあちゃんの本によれば、何かが起きた時どうすればいいのか、また人生についてなら何でも教えてくれるらしいけど…。
この力は代々受け継がれてきたとはいえ、その発祥元は不明で、この力について記された本すら残されていないらしい。だから、ばあちゃんもこの力は何なのか、それ以外に何ができるのか、それはわからなかった。
そういえば、最後のページに小さくメモ程度に書かれていた。その文によると、僕と同じ力を持った人は、この世界にほかにも百何十人はいるらしい。
でも、ばあちゃんですら人生の間に会ったことはないみたいだ。
それから数年たった今。
僕は、この力を何とか使いこなすことができている。
でも、実際役に立ったことはあまりない。
手遅れになることや、かえって後悔すること、かえってつらい思いをすることになったこともあった。
でも、僕はこの力を持つ限りおばあちゃんの遺言通り、人を救っていく。
せめて、そのことだけは僕が生きている限り果たさなきゃいけない、そんな使命感があった。
僕は朝ご飯を済ませ、身支度を終わらせると、棚の上に飾ってある父親と母親の写真。そして、ばあちゃんの写真に両手を合わせ、お祈りをする。
そして、誰もいない部屋に向かって、「いってきます」と言う。質素な部屋の中に響くことなく、その部屋は再び静寂に包まれる。
「いってらっしゃい」
その言葉が欲しくなってしまう。人のぬくもりの大切さを、わずかながらに実感している。
僕はゆっくりとドアを閉め、家を後にした。
僕の名前は「渡辺航」。
17歳。
今は高校二年生。