プロローグ
「遊ぶのも良いが、そろそろ礼儀も学ばんといけんな。ハルト、顔色がいつもと違うようだの。なにか・・・そうだな・・・秘密ごとでもあるのか?」
ハルトは驚いてしまう。いったいこの老人は何なのか、彼には一瞬わからなかった。
「まあいい。この村もいつなくなるかわからない。君たちの両親が必死で頑張っている間に、君たちは何ができるか考えなければならない。残念ながらこの世界では、多くのものが自分の身分を変えることができないでいる。なぜなら・・・」
村長の見てくれは相当訓練された兵士のようであった。だぼだぼの服からはみ出すように出ている手は大きく、ところどころに傷が見受けられる。左手は火傷でもしたのだろうか、皮膚組織が周りと明らかに違っていた。どれほどの経験と知識があるのかわからない。母に村長のことを訪ねた時、ハルトはそう言われた。おそらく彼の過去を知る者はここにはいないのだろう。それほど、歳も離れているように見えた。
「変えることはできる! だって・・・」
ユウトが流れるように出ていた村長の言葉を止めた。
「だって? だってなんじゃ。だって、去年騎士軍に連行された「あの男」は、農民から騎士になったから、か?確かにそうだ。じゃが・・・お前も知らないわけではないはずじゃ。そんな未来には、なりたくないじゃろう?」
先ほどまで、手にしていた本を本棚へと戻しながら話していた彼が、ユウトの目見て話し始めた。
「・・・」
ユウトは何も言い返せない。
一同は、かたずをのんで話を聞いている。このような話が出るのはたいてい、央都から何らかの伝令が来た時だと、彼らは知っていたからだ。
「いいな? 多くのものが、身分を変えられないでいる。なぜなら、唯一その機会を得られるところが、央都のコロシアムだからじゃ。競技種は実技から筆記まで様々じゃが・・・なんにせよ、そこで上位三つに入らなければならない。しかし・・・その技術、知識を身に着けるには教育というものがかかわってくる。この世で一番それに与ることができるのは、貴族じゃ。ゆえに、上位貴族ばかりがその権利を奪い・・・悪い長くなったの。まあそうゆうことだ。君たちは別の方法で、生きてゆかねばならない。何か案はあるか?」
村長が最後の本をしまいなおして、子供たちの方へ向き直った。
ユウト曰く、
「もっと金になる農業を」
ハルト曰く、
「・・・もっと金になる武器を」
ナツキ曰く、
「もっと金になる商売を」
アキラ曰く、
「もっと・・・金になる農業を」
「それ俺のパクりだ」
ユウトがアキラを肘でつつく。
彼らはそこそこ自身気に答えたつもりだったらしいが、村長は顔をしかめている。
「あぁ・・・。金になる何かをするには・・・金が必要じゃな」
「俺は、!」
突然、ハルトが声を発した。
「俺はそれでも、騎士になりたいです」
それは彼が常々考えていたことだった。はじめて父親から鍛冶の仕事を教えてもらい、初めて自分で作り上げた長剣を手にしたとき、ふと思ったのだ。これで、もって上へ、と。この時、好奇心だけが、彼を埋め尽くしていたのだった。
「それにはまだ・・・何も足りていないようじゃの」
そう言ってその老人は、ハルトから目をそらす。まるで少しも期待をしていないかのように。
「央都からの伝令だ。君たちの父親は・・・あと二年帰ってこない」
それは、予想だにしていなかった言葉であった。彼らが想像していたのは、例えば新しく村の誰かが兵役に合うだとか、誰かが返ってくるだとか、そういったものであり、決して自分たちの父親が、半年以上も長く帰ってこないなどということは、全く持って頭になかった。なぜならそれは、今まで何事もなかった軍事に、何かしらの亀裂が入ったということなのだから。例えば、戦争。
一同は固まるしかない。ユウトはなぜだろうと熟考していた。フウカは悲しみのあまり、目に涙が浮かんでいる。ナツキはこぶしを握り締め、アキラの表情には、少しずつ不安が募ってゆく。
ハルトだけが、冷静だった。
「どうして・・・」
アキラが声を振り絞って尋ねる。
「理由は・・・まだわからぬただ、その知らせだけを、私は受けた。安心するんじゃ君たちの母親は、すぐに帰るように言おう」
部屋の空気が重い。誰も口を開こうとせず、ただどうしていいかわからずにじっとしていた。
「お前はいいな」
ユウトが去り際に、ハルトに発した言葉だった。
「ハルト、こっちに来なさい」
村長が、一人になった少年を自室へと招き入れた。ハルトは特に抵抗しないまま、ついてゆく。
室内は本棚で囲まれていて、いわゆる図書館のようなものだった。真ん中にはテーブルと椅子が二つ、傷がところどころについている。どれほど使い古したのだろうか、隣の衣装ダンスは扉が傾いていた。
少年は椅子に座るよう指示されたので、それに従う。
「彼らの父親は、二年といったが、実は期限が決められていないのじゃ。お前だけに伝えておく。わかるな? 時期が来れば、話すといい。この世界には、様々な理不尽、不純なことが多すぎる。彼らには申し訳ないの。ハルト、もし騎士になることができれば・・・貴族が今まで隠し通してきた様々な秘密がわかるようになるだろう。それは決していいものではないのが多い。その中で人というのは、確固たる意志、判断力を備え続け、考え、行動しなければならない。―――――――お間にそれができるか?」
その老人は、椅子に深く腰掛ける少年に対して語り掛ける。途中お茶を出してくれたが、一口だけ口にして、おいしいと感じなかったのでこれ以上飲もうとは思わなかったが、無意識にカップへ手が伸びる。
「――――――できます。」
その時、老人がどういう意味で話していたのか、彼にはあまり理解できていなかった。ただ、今、どこか重要な選択を迫られるような気がして、返事をしただけに過ぎなかった。
ふと、不穏な風が窓を揺らした。あたりは薄暗くなってきている。そろそろ夕飯の時間だ。
「そうか。なら試してみるといい。その向上心を、決して忘れてはいけないぞ?」
今日、この老人は初めて笑顔を見せた。いや今日だけではない。ハルトやユウトらは、この老人が笑顔になっているところをほとんど見たことがなかった。どのような冗談でも、「やかましい」と目もくれなかったその老人が見せた笑顔は、ハルトが思っていた以上に温かなものだった。
「さあ、そろそろ夕飯の時間だ。家に帰りなさい」
老人が優しくハルトの頭に手をのせる。少年は、少しだけ心が躍っていた。
翌日、村長の姿はなぜか消えていた。