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俺の気分は安穏だ。

荒井 修馬……あらい しゅうま

谷村 松穂……たにむら まつほ

山寺 星乃……やまでら ほしの

石井 康彦……いしい やすひこ

高山 翔太……たかやま しょうた

(夏川 葵……なつかわ あおい)

飯島 宗太郎……いいじま そうたろう

夏川 桜……なつかわ さくら

「僕、できるだけ自分だけで頑張ってみます」

 飯島はそう言ってくれた。

「ああ、お前ならできる。精一杯かましてやれ」


 七月十五日から、胸がすっと軽くなったような心地だった。

 これから、俺は学生気分で仕事をすることになる。

(って、そう言うと何かアレだな)

 でも実際に無責任な行動をとったのだから、仕方ない。

 確かに、教師としては不必要に介入しすぎた。


 結局、松穂は最初から俺のことをライバル視していなかったのかもしれない。

 あの女なら、揺れ動く俺のポジションをも見抜いていただろう。

 不戦敗の気分だが、まあそれはそれだ。

 生まれ変わった俺の仕事ぶりによっては、もう一度アイツに追いついて、追い抜くこともできるはずだ。

 『教師界』ではない、何かのカリスマにでもなれれば。

 それにしても、今の俺、なんでもできちゃうかも。

 屋上から飛び降りようとしている生徒を見かけたら、代わりに俺が飛び降りちゃうくらいの気分。

 ……よし。

 今日から頑張ろう!


「えー、明日から我が校は夏季長期休暇に入りますが」

 なんて思った矢先、体育館で生徒指導担当の教師がおっしゃった。

 生徒たちが歓声をあげる。

「って、夏休みかい!」

 生徒たちの歓声がやんだ。

「あの、壇上で先生が喋ってるときはお静かに」

「……ごめんさい」

 隣の山寺先生にとがめられてしまった。

 今日は夏休み前日、つまり終業式で、全生徒と多くの教師が体育館に集まっていた。

「はめを外しすぎないように。ゲームセンターは禁止です。友達の家に泊まりに行くのも禁止……」

(うーん、今話している人、誰だっけ?)

「例年、少数とはいえいるんですね。浮かれすぎて肌だけでなく髪まで日焼けしてる人がね。節度を持った夏休みを送りましょう……」

(あーあれあれ。学歴がヤバい人)

「学生の本分は勉強ですから。毎日コツコツと勉強と宿題をやりましょうね」

(あーあ。あんなこと言ったら生徒の気分冷めちゃうんじゃないの? なんとまあ年配の先生らしい……)

 と思ったら俺もいい歳してたわ。

 一通り話し終えたようで、壇上の教師は一礼してコツコツと段を降りていった。

「以上、生徒指導の石井先生のお話でした。次は……」

 そう聞こえたとき。

「ああああああああああ石井だったああああああ! 下の名前は何だっけ! えーと、さ、さ……貞丸!」

 そう叫んでいた。

「あ、あの、確かに今は壇上で誰も話してませんが、会の間はお静かに願います……」

「……すみませんでした」

「私の名前は石井康彦だ……」

 ついでにテレパシーめいた電波が石井先生から飛んできた。

「……すみませんでした」


 終業式が終わり、生徒たちはまばらに帰宅したり部活行ったりしていた。

 俺は遠巻きに生徒たちを見ていた。

「学校終わったしカラオケ行こうぜ!」

(制服でカラオケはダメだろ……)

「えーゲーセンの方がいいだろ」

(ゲーセンも行ったらダメだってさっき体育館で言われただろ……)

「えーダメダメー。それより場末の博物館にでも行ってこの街の文化でも学ぼうぜー」

(まあそれはいいだろうが、いきなり真面目な意見が出たな……)

 なんて感じに、皆浮かれていた。

「俺もどっか行きてーなー」

 なんて言った途端、背後からデーモンババアが現れた。

「荒井先生には仕事がたーんまりとおありですわ」

「……松穂め」

 相変わらずの微笑を浮かべて悠然と立っていた。

「……学生気分で教師の仕事をするのも大変だなあ」

 いくら同じ空間にいても、教師と生徒とでは休みの量も、義務の内容もまるで違う。

 長期休業が始まると、特にそれを意識せざるを得ない。

「確かに、教師になったばかりの時は大変でしたわね」

「ああ」

 なるほど。今の俺は、その当時の気持ちに近いものを持っているのかも。

「なら、山寺先生をサポートする必要があるな」

「あら、何でですの?」

「何でって、山寺先生だって教師になったばかりじゃん」

「その必要はないと思いますわ」

 その言葉だけなら良かったのだが。

 松穂は普段見せない満面の笑みで言った。

「荒井先生なんかが下手なサポートしたら、山寺先生も大変ですし」

「言ってくれたなてめえ」

「あらいけない、『荒井先生も大変ですし』というところを間違えましたわ」

「仮にそうだったとしても、それじゃあ『荒井先生なんかが下手なサポートしたら』っていう部分に微妙につながらねーじゃねえか!」

「まあ冗談は置いておくにしても、山寺先生はもう三年くらいは経つんですから、平気でしょう」

「ま、そうかもな」

 でも、七月十五日の一件も山寺先生に助けられたし、何かしらで恩を返す必要はある。

 そんなことを松穂に言うのははばかられたので、心の中だけで思っておいた。


 卓球部に顔を出す。

 終業式だというのに。大変なのは教師だけではないようだ。

 夏川桜との関係は、思ったより良好だった。

 数学の質問に来てくれる機会は減ったが、おそらく今の状況が二人の正しい距離なのだろうな、と思った。

 という訳で、俺も思い切り気を抜くことができる。

 気を抜くことができるって、幸せ。

「あ、すみませーん」

「へ?」

 顔をあげると、なぜか目の前にバスケットボールらしきものが迫っていた。

「ぐおおお!」

 手などで防ぐ間もなく、俺の顔はあっさりと吹き飛ばされてしまった。

「だ、大丈夫ですか!?」

「……お、おう……」

 周囲からどよめきも聞こえてきた。

 俺、そんなにヤバい状況なのか?

 見ると、背の高い男子生徒が申し訳なさそうに立っていた。

「高山か……なんでバスケのボールがここまで来るんだよ……」

「えーと、それは……」

「ま、いいけどな。次から気を付けてくれ」

「はい! すみませんでした!」

 運動部らしい良い返事をしながらバスケットボールを受け取り、駆け足で奥へ走っていった。

 しかし、卓球部とバスケットボール部が同じ体育館を使っているとはいえ、ネットで仕切ってあるのに、どうやって飛んできたんだろう?

 気になったので、さっき飛んできたボールの軌跡を脳内で想像して、その部分を見つめることにした。

 もしかしたら、また飛んでくるかもしれない……。

 全然気が抜けないなんて、不幸せ。

 なんて思っていたら。

「あー! すみませーん!」

「どわあああ!」

 本当にまた飛んできた!

 予想が当たっても、ボールが当たるのは避けたい。

 今度はより早く気づけたので、何とか腕で頭を防ぐことができた。

 それでも「ドン!」と大きな音が鳴って、結構痛い。

 また高山翔太がこちらに滑り込んでくる。せわしないな。

「重ね重ねすみませんでした!」

「いや、気にしないでくれ」

「そういう訳にはいかないです! すみません!」

「いいからいいから」

「いえいえそんな訳には! 本当に、本当にすみませんでした!」

「……いいっつってんだろ」

「……すみません」

 つい怒気を帯びたような声を返してしまった。

「あ、悪い。別に怒ってはないんだが、何度も謝る姿を見て、『謝るくらいなら問題起こすんじゃねえよ』ってほんのちょっとばかり思っただけで……っていねえ」

 高山翔太はすでに練習場所へ帰っていく途中だった。

 俺への当てつけのようにとぼとぼした足取りだ。

 まるでその周りだけ冬が訪れたみたいに、寂しい背中だった。

 ちょっと男子何やってんのーなんて言われそうなシチュだ。

「まあ、見たところバリバリの運動部っぽかったし、大丈夫か……多分」

 俺なんかよりもメンタルは強い方だろう。

 しかし、バリバリのバスケット部員がうっかり二度もボールを飛ばしてくるなんてあるか?

 二度の襲撃で理解したが、ボールはネット付近の壁にいったんぶつかってから、反射して俺の方へ向かっていたようだ。

 ずぶの素人ですら、そんなことしない……というかできない。

 見ると、何やら山寺先生がフォローに回っている。

 その間に他の部員たちは思い思いに練習している。バスケの詳しいことは知らないが……パス回しからシュートにつなぐ練習だろうか?

 もう一度高山翔太が練習に入る。

 今度は順調にパスを回している……と思いきや三度目のパスで思いっきり外していた。

 今度は超速で一直線に山寺先生の上半身あたりへ向かっている!

(やべえ……)

 そのままぶつかれば胸骨粉砕もかくや、と思ったが。

 山寺先生はなんとそれをたやす~くキャッチして、投げ返した。

(まじかよ……あんな普通のキャッチの仕方でどうやってボールの勢いをしずめたんだ?)

 というか、普通にバスケ顧問にも飛んでいくらしい。あそこだけ戦場みたいだ。他人ごとではないが。

 しかしこれで、確信したことがある。

 高山翔太は、あんな高身長の割にはバスケが下手な素人よりも下手ということ。

 そして、山寺先生は、普段の天真爛漫さ(今思うとそれほど天真爛漫でもないかも)の割には、結構運動ができるということだ。

 山寺先生はあくまで世界史の教師なのだが……。


 卓球部の活動の時間も終了し、解散の合図で皆散り散りになる。

 山寺先生の方を見やると、ちょうど部員たちの視線を浴びながら何やら話している最中だった。

 その姿がとてもしっくりくる。

 山寺先生がバスケ部の顧問をいつ始めたのかは覚えていないが、仮に勤め始めた初日からやっていたとしてもたった三年だ。

 その割には、板についていると思った。

 話し終えると号令がかかり、あちらさんも散り散りになった。


「あの、先輩、今日はすみませんでした。うちの部員が」

 山寺先生から帰り際にそう言われた。

 本当は部活中に言ってくるべきな気もするが……まあいいか。

「まあ別に気にしてないけど……そういえばすごかったなあのボールの受け止め方」

「そうっすか? いやー照れますね」

「運動とか得意なのか?」

「得意かどうかは知りませんが、好きですねえ。小学生の時はサッカーにテニスに水泳に全力投入してましたし。でも特に打ち込んだのは中学でやったバスケですね。やっぱり中学生は一番部活に精を出せて良いスねえ」

「高校では何をやったんだ?」

「高校に入ると目に見えて成績がガタ落ちし始めたので、親に部活をやめろと言われましてね……」

 遠い目をして言った。

「そりゃお気の毒というか……」

「全部数学と物理が悪いんです……」

「俺も数学教師として、教え子にそう言われないよう最善を尽くすよ……。でも確か竹山大を出てるんだろ? 割と難しい大学だし。勉強できない訳じゃなかったんだろ」

「当時は親を見返すために勉強してましたし、私立だから数学や物理ができなくても何とかなりましたしね。でも、おかげで結局高校でバスケやった思い出がほとんどないんスねえ……。でも」

「でも?」

「だからこそ、高校で先生やって、部活の楽しさを生徒に教えてあげたいですね」

「それが教師になろうとした理由だったり?」

「理由の一つではありますね」

 自分のできなかったことを、未来を担う生徒にさせてあげたい、ということだろう。

 自分のできなかったことを自分自身が疑似体験したいと思って教師になった俺とは、似て非なる動機であった。

「山寺先生はすごいな」

「先輩もすごい先生ですよ。私なんかまだ視野も狭いし教え方も下手だし……」

「仮にそうだったとしても、それを自覚できてるなら向上もあっという間だろう」

「何なんすか、先輩らしくないっすよ。普段の先輩はもっと偉そうで遠慮が無くて口が悪いっすよ。良い意味で」

「それのどこが良い意味なんだよ……。でも何となく言いたいことは伝わるわ」


 そのあといくらか話して、山寺先生と別れた。

 俺は自転車置き場に向かうが……。

「トイレ行きたい」

 引き返すことにした。


 夏とはいえ、夜は暗い。

 ……建物から漏れた光を簡単に認知できるほどには。

(体育館?)

 体育館の生徒はもう全員帰宅していると思ったが……。

 行ってみることにした。


「あ、高山じゃん……」

 言おうとしたが、その言葉を大きな声で言うことはできなかった。

 高山翔太が、誰の手も借りず黙々とボールを拾い、放っていた。

 一人でシュート練習をしているようだ。

 相変わらず目を疑うほど下手だが……それでもマナーよく黙って見るべきと思った。

 細かく見ていくと、一つのシュートには無数の要素が構成していると気付く。

 ボールを拾い、ゴールに向き合い、フォームを作り、手を高く上げ、重心を落とし、重心を持ち上げて、手首を利かせて、精神を集中させて……投げる。

 その一連の動作の軌跡を描く背中が、声をかけるなと言っていた。

 あらぬ方向へ飛んでいくボールもあったが、それでもいくつかはネットを通過していた。

 しかしその成功体験にはわき目も振らず練習していた。

 その表情には、余裕というものがない。

 放課後の時間を削って練習しているのだから、余裕がないのは当然か。

(山寺先生は知っているんだろうか?)

 思ったが、どちらにせよ高山翔太に話しかけるのはためらわれた。

 俺はスポーツマンではないし、専門のことは専門の人にまかせるのが良いだろう。

 という訳で、俺は黙って帰宅することにした。

 俺は入り口へ向かう。

 しかしその時!

「ぐわあああああ!?」

 顔面に衝撃が……何だ、何が起こった!?

「今の声はひょっとして……荒井先生!?」

 高山翔太が俺の身を案じて寄ってくる。

「忘れていた……お前がありえないほどノーコンだったことを」

「すみません! すみません!」

「別にいいけど、もう遅いから適当に切り上げて帰れよ……。あと、シュート練習でこんなに速くボールが飛ぶわけねえだろ……。もうちょっとゆっくり投げた方が良いんでは?」

「はい!」

 相変わらず返事は良い。

 彼はボールを素早く拾い上げて、ゴール前に立つ。

「帰らないのか……。せめて水分補給はちゃんとしてくれよ……」

 とにかく今日は顔面が二度も爆発したので早く帰りたい。

 俺は気を取り直して入り口から出ようとするが、その前にもう一度高山の方を見た。

(それにしてもやけに熱心だな……)

 ……これだけ一生懸命なのだから、いつか上達するだろう。

 そう安心することにした。

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