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俺の学歴は最強だ?

荒井 修馬……あらい しゅうま

谷村 松穂……たにむら まつほ

山寺 星乃……やまでら ほしの

石井 康彦……いしい やすひこ ←NEW!

(高山 翔太……たかやま しょうた)

(夏川 葵……なつかわ あおい)

飯島 宗太郎……いいじま そうたろう

 廊下の真ん中を、ゆったりとした心持で歩く。

 実に気分がいい。

 窓の外を見ると、雲一つない快晴。

 運動部の規律正しいパワフルな声が聞こえてくる。

 学校に勤めていれば、こんな気持ちを年中味わうことができる。

 慌ただしい日々の中に点在する、安らぎの花だ。

 教師だけが拝むことができる、特別な花たちなのだ。


 なんて考えながら、ものすごくものすごく重たい重たいめちゃくちゃめちゃくちゃ大きい大きい段ボール箱を汗水たらしながら運んでいるのだった。

(クソ重い……)

 六月という時期でも、真夏並みの汗をかかせることができる。

 腕が震えてくる。足も。

 玄関から運んでいる訳なのだが。

 最初に職員室を一回に配置した奴は偉い。

 もし三階とかにあったらと思うと、冷汗までかいてしまいそうだ。

 地面を恨めしそうに見つめながら、左右によろけながら歩く。

 すると、視界が陰に覆われたように暗くなった。

 見上げると、腕組みをした年配の女が立っていた。

「誰が年配ですって? 言ってごらんなさい、ほら」

 松穂だった。

 そしてこの女、俺の思考をぴたりと当ててきやがった。

「誰が年配って? もちろん、俺のことさ」

 努めて冷静に言い放った。

「努めて冷静に言われると、著しく怪しいわね……」

「んなことより、そこをどいてくれ。邪魔だ」

「あら、荒井さんったら、私に何か言うことはないのかしら?」

 うーん、何かあっただろうか。

「お前そんな金持ちのマダムみたいな喋り方してたら、ますます年配の方みたいな印象を与えるぞ」

「あら、一番にそれが出てくるなんて、正直者ですわね」

 何故か薄笑いを浮かべて言ってきた。

「ご年配で結構。時が過ぎて歳を取るのはごく自然のことだもの。五十には五十の生き方があるものね」

 こいつは俺とは年齢が等しい。

 俺と松穂とのライバル関係は、そのことにも起因しているのだ。

「それ以外に何か訊きたいことはないのかしら?」

 考えてみる。

 ああ、あるにはある。

 一年A組のあの一件について。

 向こうから聞いてきたことで、俺の中にあるひとつの疑念は確証に変わった。

「お前、知ってて隠してただろ。飯島宗太郎について」


 松穂は、俺の授業をのぞき見したときから見抜いていた、と言い放った。


『まさか。やはり私こそがカリスマだということを確信したまで、ですわ』


 このセリフは、つまり、成績優秀者に振り回されて飯島の心情を見抜けないなんて滑稽なざまだな、という意味合いを含んでいたのだ。

「結局お前は知ってて放っておいただろ」

「まああれぐらいの不登校なら、荒井先生の手にかかればあっという間に解決するだろうと踏んでいましたから」

「あんなのは不登校のカテゴリには入らない。本当の不登校はもっと解決するのが難しいものだ」

「同感ですわ。その『本当の不登校』とやらな状況にまで発展しなくてよかったですわね」

 よかったですわね、という文面が与える印象とは違った、人を小馬鹿にするような表情だった。

「冗談じゃねえ。そうならないためにも、気づいたことはさっさと教えやがれってんだ」

「あら、あなたこそご冗談を」

 マダムはその眼光炯々な目つきをもって、得意の薄笑いをして、言った。

「私とあなたはライバル。違ったかしら?」


 午後七時。

 まだ仕事は終わらない。

 俺は昨日まで飯島の件に追われていたのもあって、タスクが山積みであった。

「あら、忙しそうですわね」

「またお前か、松穂。忙しそうに見えるんだったら帰ればいいだろ」

「まあごめんあそばせ。今日はあなたをお誘いしようと思ってましたのよ」

 珍しい。興味が微量だけ注がれる。

「どこへ」

「永劫の焼き鳥屋へ、ですわよ」


 学校に残っていた教職員のうち、四名のみが行くことになった。

 俺と松穂、山寺先生。それと……誰だっけ? なんかおじいちゃんみたいな人。

「石井だが」

「ああ、石井先生」

 一年A組の担任。男性教師だ。

 ちなみにこの前ちょっと話した。

 しわしわのお顔が、俺よりも年上だということを物語っているが、正直それ以外は何も知らない。

「かといって、名前まで忘れるのはどうかと思うがね」

「す、すみません」

 あまり自分以外の人に興味が無かったので、知らなかった。

 生徒の名前はそらんじているが……。

 それよりも、このお方も俺の心をナチュラルに読み取ってくる。松穂といい、歳を食った教師は危険だ。

「先輩。私たちは今どこへ向かっているんでしょうか」

 山寺先生が尋ねてくる。

 この人は若いので、安全だ。おそらくは。

「ありゃ、松穂に聞いてねえの?」

「うまいところへ行くとだけ」

「ああ、永劫の焼き鳥屋だよ」

「永劫の焼き鳥屋といいますと、有史以前から営まれているくらいの古ーい歴史をもっていて、しかも地球が滅びるまで存在しそうなイメージがしますね!」

「永劫ってそういう意味じゃなく、ただの地名みたいなもんだからな。言っとくけど」

「あ、そうなんすか。そりゃ残念です」

「そうか」

 永劫神社の近くに位置する。知る人ぞ知る焼き鳥屋という印象がある。少なくとも、山寺先生の妄想とはかけ離れた佇まいである。

「着きましたわ」

「久しぶりだな」

 大通りからは外れた場所にある。店内から明々と光が漏れていた。

 耳をすませば肉を焼く音や客の笑い声などが耳を満たす。忘れられた小道が夜にだけ見せる、味のある風情であった。

「なんだかうるさいですねえ。夜だというのに」

(おおう……。さすが山寺先生。思ったことはズバズバというタイプか……。しかも平気な顔で)

「あ、申し訳ありません先輩方! あまりこういう店に慣れていないもので……」

「い、いや、気にするな」

 まあ、若い人と年寄りの感覚は違うか。

「入りましょう」


 ちょうど空いている席があったので、座る。

 俺の隣が山寺先生。真正面が松穂。その隣が……えっと……。

「石井だ」

「すみませんでした」

 また心を読まれてしまった。

「ちなみに下の名は康彦だ」

 こりゃまた覚えずらい名前。

「わかったかね」

「わが心に刻んでおきます」

 各々着ている上着を取り払い、メニューを眺める。

「先輩、私は何を食せばよいのでしょう?」

「まあ、適当に頼めば?」

「先輩、これは割り勘なのでしょうか?」

「いや、松穂が払ってくれるってさ」

 そう言って松穂にウィンクをかます。

「あなたが払いなさいよ。あなた先輩でしょ? 山寺先生の」

「あんただって先輩でしょ……」

「教師は教師どうしの上下関係を好まないのですわ」

「……まあいいけど」

 どうも納得がいかない。

「先輩、本当によろしいのでしょうか」

「まあな」

「ありがとうございます、先輩!」

 まあこう先輩先輩と呼ばれると、奢るのも悪い気はしない。

(それに、貸しを作っとくとあとあと便利だからな……。俺がカリスマになるために、精々利用させてもらうぜ……)

 覇王の風格を帯びた笑みを浮かべようとしたが。

(でもよく考えたら飯島の住所教えてもらった借りがあったわ。ダメじゃん)

 うっかりしていた。

「荒井先生、利害関係を前提とした人間関係を職場に持ち込まないでくれ……」

 老人教師がまた俺の心を読んでいた。


「では、学歴発表会としゃれこみましょうか」

「はあ?」

 食事もたけなわといったタイミングで、機は熟したと言わんばかりに、松穂が言った。

「聞こえませんでした? 学歴発表会ですわよ」

「いやまあ、それは聞こえたが」

「あなた、もしかしてご自身の学歴にコンプレックスでもおあり?」

「ふん。俺は教師界のカリスマ。コンプレックスなんてある訳ないね」

「あら、豪語しましたわね。面白いですわ」

 俺たちはじゃんけんをする。

「わ、私もやるんですか?」

 じゃんけんの合図に山寺先生は焦り気味に手を出した。

 初手が松穂、二番目が俺、三番目が山寺先生、四番目がおじいちゃんとなった。

「私の名は石井康彦だ……」

 そうだった。

「では私から発表しますね」

 松穂は姿勢を正す。

 もったいぶった表情としぐさをする。

 俺はその間、あたりをつけておくことにした。

 国公立か私立か。なんとなく後者だろうか。

 俺よりは学歴が低いことを願う。

 私立なら、このあたりなら錦山数理大、竹山大、水無総合大などが有名か。

 特に水無総合大はさまざまな学問において国内でもとりわけ評価が高く、海外のありとあらゆる大学と連携した研究も盛んに行われていると言われている。

 私立の中でも、入学試験はトップクラスの難易度だ。

 まあ、こいつなら、少なくともそれよりは下だろう。

「私はなんと……水無総合大、物理学科出身ですわ!」

「ダウト」

 俺はすかさず冷静に指摘した。

「あら、聞こえませんでして? み・ず・な・し・そ・う・ご・う大学ですわ」

「じゃあコネだコネ」

「先輩、失礼ですが、それはあまりに見苦しいっす……」

「すまん、山寺先生。五十年生きてきて一番理不尽な事実に出くわしたんだ。いささか冷静さを欠いてしまったようだよ」

「酒の入ったコップ持ちながら直立で立ち上がってましたけど、いささかってレベルっすか?」

 松穂は勝利の笑みを見せつけながら恭しく着席なさった。

「じゃあ、次はあなたね」

 私を越えるなんて無理でしょうけど、という顔でギラギラと見つめてきた。

 俺はまた立ち上がり、語部のように聞かせてやった。

「なあ、松穂。世の中って学歴だけじゃないと思うんだ。いや、学歴というのは人間を評価する数ある指標の中の、たった一つに過ぎないのであって、それ以外で突出した才を持つものもこの世の中に存在しているのであり、ひいては俺たち教師は学歴至上主義の思考を直ちに撤廃し、多様性を育む教育環境を未来ある子供たちの為に整えてあげることこそが急務であるのではないだろうか」

 静寂が生まれる。

 この店の中にいる誰もが耳を傾けるほどの、ありがたい話であった。

 そうだ。

 このことが、このことこそが、教師に求められている最大のことなんだ。

 大切なモノ……やっと見つけたよ。

 次世代に伝えるべき、大切なことを。

「なるほど確かにその意見には私も同感ですわそれであなたの学歴はなんですの?」

「僕こいつ嫌い」

 涙目で山寺先生を見つめる。

 一見、笑みを浮かべているように見えるが、いい歳して見苦しいですね、という意味の苦笑をしていた。

「修馬くうん。あなたの学歴はな・ん・で・す・の?」

 鳥肌を立たせるような声色で催促してくる。

 しかたがない。

「聞いて驚け……」

 清水の舞台から飛び降りる気持ちで叫んだ。

「俺は、三峡システム学科大学教育学部出身だ!」

 今度こそ、本当の静寂が訪れた気がした。

 俺は両手両足を目一杯広げて、天井に向かって叫んでいた。

 シーン、としている。

 ひそひそと何やら聞こえ始めた。

 他のお客さんの声みたい。

「え、そんな名前の大学あったっけ? お前わかる?」

「今検索してるとこ」

「単科大学か総合大学かどうかすら知らん」

「俺の息子受験生なんだけど、そんな名前の大学、最近目にしたっけなあ……」

 そんな感じの会話が聞こえてくる。

 泣きそう。

「……次、山寺先生、どうぞ」

 心がずたずたに引き裂かれた俺は、消え入るように隣の人にバトンタッチすることにした。

「えーと、私も別にたいしたとこじゃないんすけど……」

 山寺先生はおもむろに立ち上がり、俺の方をチラッチラッと見ながら言う。俺を同情してくれているようだ。

 ありがとう。君は俺の最高の味方だよ。真正面のエリートババアとは違って。

「えと、竹山大っす……」

 あ、敵だった。

 ここらの文系向け大学の中の最強クラスじゃん。

 松穂がこっちを向く。

「……ですってよ、せ・ん・ぱ・い」

「……今は喧嘩を買う気力がアリマセン」

 俺はうなだれてしまった。

 水無総合大も竹山大も、それこそ国公立の最難関、西京大学くらいでないと上回れないよ。

 世知辛いよ人生。

「ああ、今ので最後か……。この中の全員に裏切られたよ、俺は」

「あの、荒井先生。ナチュラルに人のこと忘れんでください」

 声のした方を見ると、おじいちゃんがいた。

 そうだ。俺にはまだおじいちゃん先生がいた!

「ありがとう救世主! 頼みますおじいちゃん先生! 高らかに言っちゃってください!」

「感謝の情を感じるんなら人の名前ぐらい覚えんかい……」

 石井先生はそう言って、向き直る。

「どんな大学出身なのか見当もつかないっす」

 俺より無名な大学でありますように俺より無名な大学でありますように俺より無名な大学でありますように!

「えーと」

 俺はつばを飲み込む。

 そして石井先生は重い口を開いた!


「西京大学医学部出身です。あ、大学院出ました」



 翌日。

 昨晩完膚なきまでに叩きのめされた俺は、心の傷を引きずりながら出勤することとなった。

 ついでに一抹の二日酔いもセットで。

 ふらふら自転車をこいでいると、小鳥さんが飛んでいた。

 僕も飛びたいと思いました。

 そう。

 学歴という概念を失った世界へ。

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