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俺の仕事は最高だ。

荒井 修馬……あらい しゅうま

谷村 松穂……たにむら まつほ

山寺 星乃……やまでら ほしの ←NEW!

(高山 翔太……たかやま しょうた)

(夏川 葵……なつかわ あおい)

飯島 宗太郎……いいじま そうたろう

「おい、待て!」

 俺の眼前で、教え子が踏切へ向かって身を投げようとしていた。

 彼は腹を決めて一歩前へ踏み出す。

 ほぼ同時に、俺も前へ飛び出ていた。

 決死の覚悟だった。

 俺は飯島を乱暴に抱え上げ、踏切の外へ逃げ出す。

 邪魔な踏切棒は、ほぼ地面にくっつくくらい身体を倒れこませることで、何とか通り抜けることが出来た。

 我ながら、ナイスアクション。しかし、五十歳には堪える運動であった。

「おい、いったいどうしたんだ?」

 俺は息も絶え絶えに、なるべく声色を落ち着かせるように努めて言った。

 しばらく無言だった、と思うと、いきなり俺の腕の中で暴れだした。

「あ、ちょ、お前!」

 体育会系の生徒ではないのだろうが、やはり男子高校生。あっさりと俺の包囲から逃れてしまった。

「事情を説明してくれ事情を」

 俺は膝を手につきながら、飯島を見上げた。

「なんだなんだ、何があった。俺は今暇だから、言いたいことがあったら言ってくれよ」

 言葉を変えいろいろと言ってみるが、むしろ彼の顔色はますます青くなっていったように思えた。

 発汗が著しい。彼は後ずさりした。

 そして、一気に身を翻して駆けていった。

「おい、待てって!」

 追いかけるが、先ほどの一連の動きで体力を消耗してしまったようで、思うように体が前へ進まなかった。

 彼は時々不安そうに俺の方を見ていた。

 やがて曲がり角へたどり着き、俺が同じ場所へ着いた頃には、俺の視界から消えてしまった。


 それから小一時間ほどあたりを探して回ったが、飯島宗太郎どころか、同じ高校の生徒ひとり見かけることが出来なかった。

 だが、まだ俺は諦めていなかった。

(ここで諦めたら、教師界のカリスマは名乗れねえ……!)

 意地があった。

 という訳で、探して探して探しまくった。

 まずは徹底的な聞き込み。

 さしあたり近所の老婆に話しかけてみる。

「誰ともすれ違わなかったと思うけどねえ……。あ、そうだ、修馬ちゃん、小さいころにあたしとよく行った永劫神社にまた……」

「ありがとうおばちゃん。用はそれだけだ。それじゃ」

 俺は腰を曲げ頭を投げるように礼をした後、すぐにその場を離れた。


 その後も街を練り歩き、必死に聞き込みを続けるが、効果なし。

 とうに自宅へ帰っている可能性も高い。

 しかし俺は、飯島宗太郎の住所を知らなかった。

(ああ、ちくしょうどうする……?)

 焦りが募って爆発寸前だ、というところで、視線を道路の先へ据えてみると、若い女性を見つけた。

 その姿を俺は何度も見たことがある。

「山寺先生、こんにちは」

 水無高等学校の教師の一人だからだ。

「あ、荒井先輩! こんにちはです!」

 名は山寺星乃。まだ教師経験は三年間だそうだが、その割には生徒からの人気は高い。

 若い女性教師というステータスに加え、若干天真爛漫なところがあることも、性別問わず人を惹きつける要因になっているのだろう。

「すまんが、飯島宗一郎見かけなかった?」

「いえ、見かけてませんが」

「そうか。なら住所知ってる?」

 彼女は一年A組の副担任である。ここで巡り会えたのは幸いだった。

「はい、あの子の家は近いっすよ。すぐそこですし案内しましょか?」

 俺は首肯して、彼女について行くことにする。

 それにしても、山寺先生の言葉遣いは少々変わっている。俺のことは先輩って言うし。そういうところもまた、彼女の魅力の一つなのかもしれない。

(まあ、まだまだ俺にはかなわんがな)

 そう思ったが、あまり敵は作りたくないので、口には出さなかった。

 敵は今のところは松穂だけで十分だ。


 案内されてたどり着いたのは、みすぼらしい一軒の住宅であった。

「ここですよ」

「ありがとう山寺先生」

「それにしても何かあったんですか、先輩」

「実はさっき踏切のところで見かけたんだ。あいつ、もうすぐ電車が来そうだってのに線路の上に出ようとして……」

「まじですか! それは一大事ですね!」

「俺が何とかヤツを止めて話を聞こうと思ったんだが逃げられて……。もう家に帰ってるだろうと思って、探してたんだ」

「そうっすか……。私も副担任ですし、話がしたいですね……飯島君と」

 山寺先生は手を顎に添えて真剣な表情をしていた。こうしていると凛々しい。

「山寺先生、ここは俺に任せてくれないか? 二人で押し掛けるのはちょっと気が引けるしな」

「ああ確かに、二人で押し掛けたら迷惑ですもんね。分かりました」

 山寺先生はそう言って、玄関から見えない範囲へ隠れるように移動した。

「恩に着る」

 そう言いながら、俺は呼び鈴を鳴らす。

 ピンポーン、と景気よい音が鳴るが、それ以外は静寂であった。

 できるだけ間をおいてから、二度目、三度目と鳴らすが、出ない。

 留守か?

 と思った刹那、玄関の扉が開いた。

「よう、飯島。ちょっと失礼」

 俺は強引に家の中に入った。

「え、ちょっと先生」

 飯島の抵抗をも押しのけて。

「あ、お邪魔しまーーす!」

 家の中全体に聞こえるように、声を張り上げて言った。

 それにしても、言葉通り、本当にお邪魔かもしれない。

 飯島の方へ見やると、困惑した表情をしていた。

「すまない。お前とどうしても話をしたくてな。親御さんは?」

「今はいませんけど……」

 それは都合がいい。面倒ごとが省けた。


 外観からなんとなく予想は出来ていたが、家の中は狭かった。

 でも広い空間があると感じた。

 物が少ない。

 ところどころ、写真が置いてあったり、冷蔵庫にプリントがまとめてマグネットでくっつけられているのが目につくくらいだ。

 あとは本棚やごみ箱などが点在していた。しかし、森の中の木のように同化していて目立たない。

 そんな家の中で比較的広い部屋へ行った。

 古びた椅子があったので、二人はそれぞれに座った。

「飯島。最近、なんか楽しいことはあったか?」

 俺は敢えて世間話から話を深めていくことにした。

 飯島は頭をあっちへ向けたりこっちへ向けたりして、悩んでいる。

 このような漠然とした質問に対して、即答できる人間は少ない。

「俺はそうだなあ。何があるだろ……。三年前に担任を持ったクラスが、体育祭で一位になったことかなあ……」

 よって、助け舟として俺が解答例を与えることにした。もっとも、三年前の話であって、最近の出来事ではないが。

 飯島はしばらく逡巡してから、言った。

「えっと、特にはありません……」

「そうか。俺もねえな。最近は松穂にバカにされてばっかだし」

 言いながら、松穂との思い出を脳内によみがえらせる。

 エコー付き、表情付きで思い出された。


『ふふふ、愚かな人。ああ愚かだわ。あなた、教師失格ではなくて?』

『相変わらずカスですわね』


「あああ今思い出すとやっぱりうぜええええ!」

 思わず声に出してしまった。

 飯島が驚きのあまりカタカタ震えていた。

「あ、すまん。ちょっと不愉快なことを思い出していただけだ。気にするな」

 そういえば、と思う。

 こんなことも言っていた。


『学校や生徒の問題に関しては、ここ、そう、学校でしか解決できませんもの』


 その発言の三日後、こうなるとは。

 もしかして予言だったのだろうか。

「最近学校に来てなかったけど、なにかあったのか?」

 質問する。

 さっきの質問で自分の身の回りのことを振り返ってもらったから、答えやすくなっているはずだ。

 彼は口を閉じていた。

 だが、おそらく頭はフル回転しているはずだ。

 俺は見守る。

 見守りながら、俺はある可能性を予想していた。

 松穂は俺の授業をこっそりと見ていた。

 そして件の発言をした。

 つまりそれは……。

 飯島が顔をあげる。

 言った。

「僕、高校に入ってから、全然楽しくないんです。すべてが」


 彼の話はこうだった。

 高校に入学してから、どの教科も難しくなり、ついていけなくなった。

 今はまだ六月。定期テストも一回分終わっただけだ。

 しかし、そのテストの結果は悲惨だったという。

 数学だけは平均点に少し届かないほどであったが、それ以外は赤点に近かった。

 部活に入っておらず、友達も少ない彼は、学業が振るわなければ当然ショックも大きいはずだった。

 しかし、学校へ行かなくなった原因は他にこそあった。

 昼休みに数学を勉強している時、ある生徒に絡まれるようになったという。

 そいつは、一年A組のなかでもトップクラスに数学の成績が良いヤツであった。

 数学が得意な三人の中の一人。受験マニアの気質がある。

 そいつに、あれこれと問題の解き方について言及されていたのだった。


『そこはそう解いたら時間が足りねえだろ。この方法を使えば……』

『それはいちいち考えないで解き方覚えたほうが速いと思うけどなあ』


 このように言われることが大半だったようだ。

 俺は見逃していた。

 それはかすめるようにチラ見しただけでは、数学が得意な生徒が苦手な生徒に教えてやるという、望ましい人間関係の形のようにしか見えないからだ。

 しかし飯島にとっては、たまったものではない。

 苦手な勉強の中で唯一希望があった数学でさえ、ああダメなんだと思うようになってしまった。

 アイデンティティを踏みにじられる思いであった、と彼は付け足した。


「そうか」

 俺は模索する。

 飯島にまた学校に来てもらう方法を。

 今度は、俺が頭をフル回転させる番だった。

 今回の件、おそらく誰も悪くない。

 悪いとしたら、うっかり見過ごしていたこの俺か。

 彼は話している間、時折俺に対して謝罪の言葉をはさんでいた。

 数学に関することが原因で不登校になったことを、数学教師に直接言うことははばかられたのだろう。


 そう、そんな、謙虚なヤツだった。

 だからこそ、救いたいと思った。

 他ならぬ、教師として。

 だから考えた。

 考えに考え抜いて、そして言った。


「飯島、勉強の楽しみ方は一つじゃない。

 どんな勉強にだってさまざまな顔があって、さまざまなドラマを孕んでいるけれど、学校の勉強はそのごくごく一部しか扱わない。

 本当はもっと海みたいに広い。

 けど、高校生がそんな広大な海のかなたまで一人で突き進むのは困難だ。

 教師だって例外じゃない。

 だから、俺たちは海岸で戯れるので精いっぱいだ。

 もちろんそれだけでも吸収できることは多いけれども、学校ではそんなごく狭い範囲で学生は数字で評価される。

 俺も例外なくお前たちに数字で格付けしてお前たちの両親と話し合って進路を考えたりする」

 俺はここまで一気にしゃべった。

「でも、本来は学び方だって様々だし、学校の評価は低くても勉強ができないとは限らない。

 それに、高校生で構成されるコミュニティが求める資質は学業成績だけじゃない。

 部活だけでもないし、話題性だけでもない。

 人格だけでもなければ外見だけでもない。

 そもそも、コミュニティに属する義務があるわけでもない。

 友達がいなくても、学校がつける成績が悪くても、帰宅部でも、それが高校生らしくない学校生活だと判断することは誰にだって不可能だ。

 だから、飯島。

 高校に行ってこい。

 お前の居場所は最初からそこにある。

 コミュニティ的な居場所じゃなくても、もっとそれを超越した、なにかの集団にはきっとお前は属しているはずだから」

 話している間、飯島はずっと俺の顔を見ていた。

 その瞳はぶれることなく、真っ直ぐに。

 それを見て、またはそれと似た状況に立つと、いつも思うのだった。

 やはり、この仕事は最高だと。

「行ってもいいんですか」

 彼は言った。

「本当に、行ってもいいんですか」

 繰り返した。

 これ以上繰り返させないために、言った。

「俺は嘘はつかねえよ」

 背中を押すように、言ってやった。

「俺が話したいことは以上だ。邪魔したな。それじゃあ」

 俺は立ち上がった。そこでふと思い出して、持っていたカバンを漁った。

「そうだ、これを渡しとこう」

 飯島の為に作っておいた二枚のプリントを、手渡しした。


 次の日。つまり、水曜日。

 廊下を歩いていると、山寺先生と会った。

 まだ五時だというのに。

「先輩、おはようございます! 昨日はあれからどうなりましたか?」

「ああ、俺にもわからん」

 山寺先生はずっこけた。

「わからんのですか」

「実際に今日の授業の時間が来るまでは分からんだろ」

 そう言ったが、これでは俺らしくない。

 訂正することにした。

「いや、確実に、百パーセント大丈夫だ。なんせ俺だからな」

 山寺先生は、珍しく柔和な表情を見せた。


 三時間目。

 一年A組の授業だった。

 始業時間一分前。飯島宗一郎の席を見た。

 いた、彼が。

 しっくりくる。

 なぜ俺は、今まで背景同然のように扱っていたのだろうか。

 授業が始まる。

 数学が得意なヤツ三人が、今日も挙手していた。

 そうだ。俺は知らない間に、こいつらにばかり気をとられていたんだ。

 確かにこいつらは広大な大海原を大胆に突き進む可能性はあるだろうが、そいつらにばかり目を追っていては、海岸に残った奴らを誰が見てやるというのだろう。


 授業終了五分前。

 俺は最後に、今日の授業で分からないところはないかと、再度質問した。

 誰も手を挙げない。

 さっき手を挙げていた連中も含めて。

 そのはずだ。これは実に曖昧模糊な質問なのだから。

 でも、そんな透明な質問に対して、必死に手をぷるぷると震わせているヤツがいた。

 徐々に上がっていく。

 生徒たちが何も気づかず、静止しているなかで、俺だけが見て取った。

 彼が、彼自身の手を、何かにあらがうように必死に掲げていた。

 それが、彼自身の居場所なのだ。きっと。

 そして、ついに高々と挙げたのだった。

 胸がいっぱいになった。

 クラスに一抹のどよめきが生まれる。

 俺は明朗な笑顔で、教師としてその生徒の名を呼んだ。


「お、飯島。どこが分からないんだ? 言ってみろ」

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