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俺の授業は最強だ。

登場人物の名前↓


荒井 修馬……あらい しゅうま

谷村 松穂……たにむら まつほ

高山 翔太……たかやま しょうた

夏川 葵……なつかわ あおい

飯島 宗太郎……いいじま そうたろう

 俺は水無高等学校の数学教師、荒井修馬だ。

 今年で五十歳の誕生日を迎えんとしているが、まだまだ現役バリバリであると自認している。

「よし、今日の授業プリントはこんなもんだろう」

 朝五時に出勤し、授業に使うプリントをしたため、他の教職員とあいさつを交わし、教室へ向かう。

「先生、おはようございます」

「あ、先生。私、先生の授業、いつも楽しみにしてますよ」

 可愛い生徒たちからの心地良い声援が聞こえてきた。

 そう、この学校の生徒たちの心は我が手のひらの中。

 教師に歯向かう不良生徒も、俺に対しては皆、さわやかな高校生然とした応対をする。

 俺はいわばこの学校のカリスマ。

 ――世の高校教師の最たる理想形、水無高等学校カリスマ数学教師なのだ!

 と、このように毎朝の日課である自画自賛をこなしている時に、ある女性教師から声を投げかけられた。

「あら、その程度でカリスマだなんて、笑止千万にもほどがあるわね」

 振り返る。

 そこには水無高等学校物理教師、谷村松穂が毅然とした態度で立っていた。

「ふん、松穂。それはこっちのセリフだ」

 姿勢を整え、俺と松穂は対峙する。

 舞台は廊下。

 何人かの生徒たちが遠巻きに俺たちを見ていた。

 互いに薄笑いを浮かべる。

 空気が緊張で震えていた。

 俺はさっと左腕を覗き込み、時刻を確認する。

 午前八時半。

 戦いの時だ。

(よし)

 サインを彼女へ送る。そして身構えた。

 呼吸を整えてから、俺は大きく息を取り込んで、静かに言い放った!

「今日は五十四人だ!」

「あら、私は五十七人でしたわよ」

「ぐわああああ!」

 心臓を矢で射抜かれたような苦しみを覚えた。

「ふふふ、愚かな人。ああ愚かだわ。あなた、教師失格ではなくて?」

「くそう……」

 俺と松穂は毎朝、その日八時半までに、自分にあいさつしてきた生徒の数を競うゲームをしているのだった。

「私の方が三人分信頼が厚かったってことね」

「け、たった三人分なんぞ誤差の範疇だ。俺の真骨頂は次の時間から発揮されるんだよ」

「まあ、人間三人の持つ力を軽視するとは。人は一人ひとり力を合わせて生きていくものだ、ということを教える立場である教師であるあなたがそのような発言をするなんて。可哀そうだわ。あなたから教わる可愛い生徒たちのことを思うとね」

 慇懃無礼に長文で相手を貶めていく。彼女のやり方だった。

 しかし俺は、俺だけは、これに屈するわけにはいかない。

「なんとでも言うがいいさ。この学校のカリスマは、この俺だ」

 それだけ言い残して、俺は教室の中へ入った。


 一時間目は二年A組の担当。

 今日は円の方程式とやらを教える日であった。

 シミュレーションは昨日済ませてある。抜かりはない。

 懇切丁寧に作り上げたプリント。入念な予行演習。生徒たちが浮かべるであろう疑問点に対する解説の用意。

 すべてが整った俺の授業に、死角はなかった。

「ここまでの説明の中で、何か質問はないか」

 授業の中盤、俺は教室にそう問いかけた。

 誰一人として手を挙げない。

 だが、予想済みである。

「ここはとにかく重要なポイントだからな。少しでも分からないところがあったら遠慮なく言えよ。一人の勇気ある質問のおかげで、みんなの理解が深まることもあるからな」

 こう言い直すと、男子生徒が一人、高らかに挙手をした。

 長年の経験から、このように生徒に問いかけるのが最も効果的であることを学んでいた。

 手を挙げた男子は、高山翔太であった。

 バスケ部のキャプテンであり、身長は百九十を超える。

 良く通る声で、質問内容を口にした。


 授業終了のチャイムが鳴る。

 この五十分の授業の中で、居眠りをしていた生徒はただ一人としていなかった。

「よし。今日はここまで。夏川、号令を頼む」

「起立、礼」

 夏川葵という女子生徒――二年A組の学級委員長である――が号令をかけ、一時間目は終わった。


 俺はさっきまでの授業に、心底満足感を覚えていた。

 すべての生徒が俺の授業を懸命に受けている。

 もちろん生徒の方が真面目だというのもあるだろうが、やはり俺の教師としての質がそうさせているのだろう。

 ホクホクとした気持ちを抱きながら廊下を歩いていると、白衣を着た女が近づいてきた。

「よう松穂」

「あらあらこれは、負け犬先生。ご機嫌いかがですか?」

 目を細め、腕を組みながら言ってきた。

「おあいにく、最高だな」

「あら」

 少し目を丸くしたが、すぐに表情をもとに戻した。

「随分とご自身の授業に自信がおありのようで。しかし慢心をしていればすぐに寝首を掻かれますよ」

「なんとでも言え。俺の授業は計算された緻密なプランの上に成り立ってる。松穂、それに対してお前はその時々のフィーリングで授業をするタイプだろう」

「まあ、どちらかといえばそうなりますわね。私の授業は教科書もプリントも、精々物理の実験の時くらいにしか使いませんし」

 松穂は教科書に書かれていないことでも、関連した事項はバンバンと教えていくタイプだ。対して俺は、とにかく必要最小限の内容を、つまびらかに丁寧に教えていくタイプ。

「まあ、俺の授業の方が確実に実力が着いていって良いと思うがね。あまり発展的なことを教え込んでも、半年もすれば大半の生徒が忘れてしまうだろう。それなら、基本的なことを時間をかけて教える方が、時間を有効に活用してるってものよ」

「まあ言っていなさい。カリスマはこの私よ」

 そう言いながら、彼女は左腕を天井に突き出すように掲げた。

「あら、もう五分前だわ。それでは失礼」

 そう一方的に言い残して、俺の脇を通り抜けて去っていった。


 無事に二時間目、三時間目も過ぎていった。

 昼休み、俺は持参した弁当を素早く平らげ、書類を整理。

 六時間目は一年A組で授業だった。

 このクラスは特に呑み込みの早い生徒が多かった。

 他クラスのB組、C組よりも、模試の平均点は一、二割ほど高い。

 数学が得意な生徒がざっと三人いたが、それぞれタイプが違った。とにかく大学受験や模試の数学に強い者、数学オリンピックに挑戦しようとする、野心のある者、数学そのものを純粋に愛している者。

 こいつらがクラス平均点を大きく底上げしてくれていたのだ。

 数学教師としては、こいつらの可能性の芽を摘むわけにはいかない。

 よって俺は、A組の授業では例外的に、やや発展的な内容を扱うことにしようと決めていた。

「……いいか、このタイプの問題を見たら場合分けを意識しろよ。では質問のあるやつ、挙手」

 三人が手を挙げた。

 前述した三タイプの生徒たちだった。

 一人ひとり質問内容を聞いていく。

 先ほど解説した例題と少し違うパターンならどう解くか、とか、関連した発展問題とかはあるのか、など、レベルの高い質問が多かった。

 俺は意気揚々と、そして丁寧に解説をした。

 解説をしていると、六時間目が終わった。

 生徒たちにとっては今日の授業はすべて終了。皆明るい面持ちで礼をした。


 職員室へ戻り、事務的な作業に移る。

 今日は金曜日。俺は普段卓球部の顧問を担当しているが、もう少し時間がたってから顔を出すことになっている。

 席に着き、新しいプリント作成のためのソフトをパソコンで立ち上げようとしたとき、背後に彼女がいた。

「今日はよくからんでくるよなあ、松穂」

 俺はタイピングをしながら、ウィンドウに向けて話しかけていた。

「先ほどの授業、見学させてもらいましたわ」

「そういやあんた、金曜の六限は担当なしだったっけか」

「教壇に立っていたあなたの爽快感溢れる表情を見ていて、思いましたわ」

「なんだ、褒め言葉でもくれるのか?」

「まさか。やはり私こそがカリスマだということを確信したまで、ですわ」

 俺はマウスを掴んで、適当な大きさの表を作成する。

「またその話か。悪いが後にしてくれ。それよりあんたは仕事はないのかよ」

「書類仕事など家でもできますわ。けれど学校や生徒の問題に関しては、ここ、そう、学校でしか解決できませんもの」

 その言葉を聞いて、思わず手が止まった。

「どういう意味だ、松穂」

「あら、カリスマ数学教師である荒井修馬さんならお分かりになるはずでは?」

 俺は何もリアクションをとらず、ただ目の前の作業に集中した。

 表を作り、文字を入力し、フォントや字体を変え、また表を作る。

 いくつかの作業をこなしているうちに、とっくに彼女が背後から立ち去っていたことをようやく察知した。


 土曜日は学校へ行き、卓球部の顧問としての仕事、そしていくつかの事務をこなした。


 月曜日、午前五時に学校へ出勤。いつものルーチンワークをこなす。

 八時半になり、廊下で松穂と出くわす。

 にらみ合って対峙する。

 時間さえ静止しているようだ。

 俺は熱い情熱とプライドをかけて、大きく口を開けて叫んだ!

「五十九人!」

「六十人ですわ。相変わらずカスですわね」

「まじかああああ!」

 またもや負けた。

「くそう、バカにするならバカにしやがれ! いや、やっぱバカにすんな!」

「あら、せっかくの機会ですけど、時間がないので今日はこれで失礼しますわ」

 カツカツと靴音を立てながら去っていった。

(ありゃ、いつもと雰囲気違うくねえ?)

 今日の松穂は、これといって挑発の言葉はなかった。


 月曜日の一時間目は一年A組の授業。

 俺は迅速に出欠をとる。

 ある一つのイスに、誰も座っていなった。

(あそこは確か……飯島宗太郎の席だったな)

 眼鏡をかけた、無口でおとなしい男子生徒だ。

 俺は欠席した生徒の気配りも忘れない男だ。

 欠席した生徒には、その日の授業のポイントが書かれた紙をプリントして手渡しするのが俺の流儀だ。

 プリント作成は確かに骨だが、何せ難しい高校数学。このくらいのフォロー無くては落ちこぼれまっしぐらとなりかねない。

 号令ののち、授業を進行させていく。

 授業の中盤、今日も教科書の例題を解説したところ、挙手が三つ挙がった。

 一つひとつ答えていくと、授業が終わった。


 月曜日の授業終了。

 俺は一年A組の担任に当たってみる。

 飯島宗太郎が欠席した理由を尋ねてみたのだが……。

「ああ、実は、今日は彼から何も連絡が無いんだ」

「え、そうなんですか?」

「本人からも親御さんからもねえ。こちらからも電話してみたのだが、応答が無くてね。留守電になっていたわけではないみたいだが……」

 なかなかに奇妙な話だった。

 だが、今までも、特に不良生徒の中にはそういう者はいた。

「ありがとうございました」

 俺は職員室の自分の席に戻った。


 火曜日になっても、彼は姿を現さなかった。

「今日は連絡がありましたか」

「今日も無かったよ。これはいったいどうしたことだろうねえ……」

 たくさんのしわがついたその顔が、悲しそうな表情を呈した。

 俺はパソコンで、彼用の欠席者のためのプリントをもう一枚作成した。

 今日も昨日と同じく、松穂はあまり絡んでこなかった。


 帰り道。

 夕焼けの空の下、自転車をこいで家路を急いでいた。

 自宅と水無高等学校との距離は近いのだ。自転車でもさほど時間はかからなかった。

 人通りの少ない踏切へたどり着く。

 ここからあとはもう五分もすれば、家へたどり着く。

 家へ帰ったら、何を食おうか。

 今日の夕飯のメニューにいろいろと思いを馳せようとした。

 そのときだった。

 ある一つの立ち姿に視線が奪われた。

 それは眼鏡をかけた、覇気のない顔の少年だった。

(あいつ……飯島じゃねえか!)

 制服でないから一瞥しただけでは気づきづらかったが、特徴的な眼鏡のフレームが識別の決め手となった

 踏切をはさんで反対側に彼はいた。

 俺は思わず立ち止まった。

 彼を凝視する。

 何かしらの、不穏な事態の推移を想像した。

 彼は、両肩を大きく落としていた。

 手ぶらだった。

 瞳には灯はなく、しかし、ある一点をしっかと見つめているようでもあった。

 カンカンと不愉快な音が鳴る。

 踏切の音だ。

 二本の棒が、俺と飯島宗太郎との間に割り込んでくる。


 その瞬間。

 彼は自分の身を投げ出すように、前方へ飛び出したのだった。

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