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シュプレヒコール

 騙されてあげたなどというらしくない一言に私は目を丸くした。突然に厄介事を持ち込まれてそれに乗っかるようなお人好しには見えなくて、寧ろツカサさんが首謀者かと疑りたくもなるほどだ。

「自首するつもりなのに死因は不明にして欲しいなんて怪しいと思わない?」

「それはそうですけど……」

「逮捕されりゃ動機から何から洗いざらいぶちまけることになるんだ。小細工なんて無駄だし罪ばかり重くなる。それが分からないほど馬鹿な男じゃなかったよ」

「だったら尚更ツカサさんがリスク負わなくても!」

 リスクというワードは一蹴に付された。この程度の仕事は仕事の内にも入らないというわけみたいだ。

「キレて殺しちゃったなんて大泣きしてたけど、彼はやってないな。本当に隠したいのは死因じゃなくて真犯人だ。そもそも俺を騙くらかそうなんて、それが一番リスクだということも分かってたはずなのに」

「ツカサさんは死体を隠しただけだけど、先輩もそうだってことですか?」

「だってあの子、どんなにキレても殺しだけは無理だね。根拠はないけど、悪人の勘ってやつ?」

 物騒極まりないカミングアウトをしながら一瞬たりとも無邪気な表情は崩れなかった。自ら悪人と名乗ってみせた自嘲の中でもそれは揺るがない。

「実直な奴が全部おっ被る腹積もりなら、目を瞑って加功するくらいやぶさかじゃない」

 手助けのベクトルは圧倒的に誤っているけれど、もしかしてツカサさんは良い人なのかなんている血迷った印象が頭をもたげた。力添えしたい人がいてそれが自分の得意だから引き受けた、本当にその程度のことでしかないのかもしれなかった。

「それにしても死因なんてそうそう偽れるものですか」

「ソノカちゃんも見たでしょ。あれじゃあ殴られたのか絞められたのかそれとも撃たれたのか、もう判らない」

「確かに……」

「殺した勢いのまま棄てたところが、たまたま野生動物がうじゃうじゃいる山中だったことになるんだ。実にシンプルで素人手口な演出でしょ? 首だけよそに転がったのは野良の仕業かな。ほとんど埋まってたのは台風で泥が流れたせいだろう。季節も悪くなかった。食い散らかされて梅雨になればあっという間に白骨化だ。梅雨明け頃には判らなくなると伝えてあったんだけどね、駄目押しにひと夏黙秘で頑張るなんて根性据わってるよ」


 まるで与えられたゲームを上手に攻略してみせた子どものような、そんな笑みをツカサさんは浮かべた。善とか悪とか誰かが決めた線引きを恐れない人に説法なんて意味がないことをまざまざ見せつけられた心地だ。

「なんだか、ツカサさんと先輩だけ貧乏クジ引かされてるように聞こえます」

「貧乏クジかどうかは他人が決めることじゃないでしょ」

 喉を鳴らしてツカサさんは残りのサイダーを一気に流し込んだ。出発の合図だ。

 知りたいのは本音だけで、思いがけず饒舌に語ってくれたものの余計に分からなくなった気がする。

「今度はソノカちゃんの話をお聞かせ願おうか」

「はい……?」

「俺ばかりペラペラ喋ってキチガイみたいだろ」

 吹かされたエンジン音とツカサさんの意地悪な声が重なった。話ってなに、見せられ聞かされたことの感想でも述べればいいの?

「私の話なんか聞いたら、ツカサさん絶対に引きます」

「滅多なことじゃ驚かないよ?」


 こんなやりとり、以前にもあったなあと流れゆく景色に目くれてしまう。

 パパについてあまり人に話すべきではないと感づいたのは小学生になった頃だ。熱に浮かされた初めての夏休みがシュプレヒコールによって無残に打ち砕かれたあの日からだ。

 間もなくしてパパの単身赴任をきっかけにママと私はいま住む朝霞の家に居つくことになった。それでママの不安は解消されたはずなのに、私の就活失敗が穏やかな水面に小波を立ててしまった。これはいつか大波となって我が家を飲み込んでしまうかも、あの時はそれとなくやり過ごした『お見合い』という言葉がじわりと心を蝕んでいる。

「ツカサさんだからこそ、引くと思います」

「まあ話してみてよ」

 なんて言おう、どうやって話そう。ずっと誰にでも秘密にしてきたから言葉選びが難しい。逡巡してやっぱり黙っておこうとも思うのに、ツカサさんにせき立てられるとつい口は開いてしまった。

「私、ツカサさんが犯したのは殺人だったのかなって思ってます」

 一連の所業に横たわる哲学めいた思考とか死生観とかそんなものから想像した勝手な結論に、ツカサさんは黙って頷いた。

「ツカサさんは人殺しって人から言われたことありますか」

「……ほとんどないよ。ニュースにもならないような事件だったら、他人には分からないもんだね」

「気楽なものですね」

 何か言いかけたのか、ツカサさんの唇が微かに動いたのが見えた。でもそれが静かに結び直されて無言が通される。

「ツカサさん、引くんじゃなければ田中さんみたいに私を放りたくなりますよ。それでも……」

「続けて」

 小さく浮き出た喉仏が上下している。尊大な振る舞いしかしてこなかったツカサさんが緊張している様子が嫌でも伝わり、無意識に顔を背けてしまった。


「ママは、私の就活失敗はパパの仕事が原因だと思ってます。本当は私がダメだっただけなのに、ママはそうは考えない。お見合いしたらとも言われました。ママは、私は普通に恋愛して結婚なんて出来ないと思ってるかもしれません。確かにいまは彼氏もいないけど、もし良い人が現れたのに破談にでもなれば、きっとそれはパパの仕事のせいになっちゃうんです。ママは呪いとかオカルトとか信じてる人なんで。私のパパは、人殺しって言われるから。だから私はこれ以上失敗できないんです」

 私は顔を背けたままだ。ツカサさんがどこを見てどんな顔をしてるのかなんて知りたくもない。私が何を言っても即座に議論を吹っかけてきたくせに黙ったきりで、まだまだ私に話せということのようだ。

「パパが人を殺す時は、必ずニュースになるんです。テレビでも速報のテロップが流れて、新聞にも載ります。なんだか職場の周りもやかましくなって人権派を名乗る人が大勢集まってきて、国家が人を殺してもいいのかーって叫ぶんです」

「……参ったな、刑務官か」

 深く息吐かれ、再びツカサさんの側を向いて驚いた。空調の効いた車内は快適なのに水でも被ったように顔面が汗に濡れている。

「ツカサさんはいいじゃないですか、自業自得でもそんな風に罵倒されたこと、どうせないんでしょう?」

 見晴らしのよい直線道路にも関わらず手本の如き安全運転が明らかにブレている。微かに唸ったかと思えば、車は静かに路肩で停車した。ハンドルを握る手は力が篭もりすぎて真っ白になっている。それと同じくらい結んだ唇を強く噛み締めているものだから、うっすらと血が滲んでいた。

「私が覚えてるのは夏休みの一回だけです。丸々一週間くらい、外が大騒ぎだったんです。ずっとずっと後に知ったけど、弁護士団とか支援団体とか宗教家がいっぱい寄ってくるような有名人が執行された時だったみたいで」

 私はまた顔をよそに向けた。浅い息遣いがあるだけで黙りこくるなんて本当に卑怯だとも思う。

「前から遊園地に行く約束してた日なんです。まだ騒ぎは続いてたけど、私が楽しみにしてることは知っていたからパパたち無理しちゃったんだと思う。朝早く人が集まってくる前に出れば大丈夫と思ってたんでしょう、でも官舎出たらもういたんですよ。大騒ぎしてる連中が、取り囲んできました」

 ママがさっと目の前に立ってその視線から私を遠ざけたことだけは鮮明に覚えていた。パパが「今日はやめよう」と言って、私は大泣きした。そこら辺で記憶はぼんやりしている。

「遊園地が中止になったのが悲しくて泣いてただけです。その集団はパパに向かって随分酷いこと言ってたようだけど、私は泣いてたからあんまり聞いてませんでした。遊園地は本当に楽しみにしてたから二、三日泣いてました。でも誕生日が来てケーキ食べた頃にはケロッとしてるんですけど。パパとママは囲まれたショックで泣いたと今でも思ってるみたい」


 その一件がトラウマとなるには、私は幼すぎた。もう何年か後の出来事だったなら尾を引いただろうけど、私にとっては雨で遠足が中止になったとかその程度の思い出だ。問題は他にあって、私が本当にショックだったのは大好きなパパと暮らせなくなってしまったこと。


「ママがもう官舎には住めないって言うから今の家に引越したんです。だからパパはほとんど単身赴任状態で、悪人と取り巻きのせいでとばっちりもいいとこですよ。あんな連中、大嫌い」

 今ならいくらでも嫌味を言えそうだ。黙るなんて卑怯だと煽れば、俯いて「そうだよね」と呟きが漏れた。

 俺には関係ないことだろと吐き捨てるだろうか。それとも歯の浮くような台詞で同情するだろうか。どちらにしても蹴っ飛ばしてやるんだから。


「……お父さんは立派な刑務官なんだろうね。それほどの有名人じゃあ暴れられて失敗でもしたらそれこそスキャンダルだ。そんな奴だったら特に信頼できる刑務官がピックアップされたはずだ」

「ママはなんて運の悪い時に当番になってしまったのと思ってますよ。私だってパパじゃなくてもいいのにって思いました。全く損な役回りです」

「それが貧乏クジだったかどうか、お父さんに聞いてごらん」

 なんて蹴っ飛ばしにくい回答なんだ。面を向けると、またいつものシニカルな薄笑みを浮かべていた。

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