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気の触れた馬鹿

 ツカサさんより預かった受領書は中身を確認されることもなく部長の手によってゴミ箱に放り込まれた。

「受領書だったのですが……」

「そんなもの分かってる。席に戻れ」

 それに逆らう術があるはずもなく私は静かに下がった。石鍋さんは朝から嬉々とした視線を向けてくる。一体なんのお仕事だったの、教えてよ。言葉にせずともそれは嫌でも伝わってきた。

「ねえ、どうだったの」

「私の口からはちょっと……」

「もったいぶらないでよ」

「本当、ただのお使いだったんです」

 私だって石鍋さんに説明出来るほど何も分かっちゃいないのだ。知っていても口止めされてしまったし、個人情報を全て握られてしまっているし、鬼より怖い部長は近いし。

 言えないんですと首を振ると石鍋さんはそれ以上追求してこなかった。

「先輩も何かと秘密の多い人だったからな。辰巳さんもそうなっちゃうのかな」

 顔は笑顔に崩れているけれど昏い目が揺れる。酷い部長と怪しい男に振り回されて、どうして一番優しい石鍋さんをこんな表情にさせてしまわなければいけないの。ごめんなさいと頭を垂れるしかなくやるせない。

「貴女が謝ることでもないよ。先輩はちょっと特殊だったし。部長のこと命の恩人だなんて言ってさ、媚び売るでもなくベッタリだった」

「あの部長に、ですか?」

「そうそう。私には部長に弄ばれている風にしか見えなかったけど。本人が喜んで奴隷してるんだから仕方ないよ。まあ、サド部長にはお似合いの部下ってところね」

「変わった人だったんですね」

「それ以外は虫も殺さぬ真面目人間だったんだよ。だから前触れもなくバックレちゃったのが本当に不思議で」


 退職理由は度を超した部長のパワハラに堪えかねてのことではないかとも思えた。けれども石鍋さんや他の社員からそのような話は聞こえてこない。三日三晩会社に詰めたきりでも病まないほどの鋼鉄メンタルを持っていたとか、部長が異動すれば自らくっついて行くほど慕っていたとか、そんな評判ばかり。

 確かにそのような人なら、常識に当てはめどころがないツカサさんとも渡り合えたのかもしれない。そんな超人じみた人の後釜に、なぜ私が選ばれたのだろう。



 ようやく足が浮くほどの満員電車にも慣れてきた頃だった。休憩時間の気の緩みからか、相手も確認せずに突然鳴ったスマートフォンの通話ボタンをタップしてしまった。

「ソノカちゃん」

 その声にギョッとして、出てしまったことを後悔する。担保に取られた履歴書には確かに通信先としてこの電話番号を記載していた。

「今から来てくれる?」

「仕事中なので無理です」

「テツオさんに言えば大丈夫だから」

「でも!」

「待ってるから」

 通話が切れたことを伝える電子音を聞きながら私は茫然とした。理由も言わないなんて勝手な人だ。

 まだ残る休憩時間を早めに切り上げて事務室に戻ると、部長は気難しい顔で業界紙に目を通している。恐る恐る近付くと私の気配を察知したのか目玉だけをこちらに向けてきた。

「なんだ」

「ツカサさんから連絡がありまして……」

「分かった、急いで行け。戻らなくていい」

 咎められることを少しだけ期待していたのに、ふたつ返事で外出と直帰の許可が下りてしまう。まだ休憩から戻らない石鍋さんにお詫びの書き置きを残して例のマンションへと向かった。

 およそ二週間ぶりに対峙したツカサさんは、やや長かった髪を整えすっきりした姿に変貌を遂げていた。おかげで白髪も目立たず年齢不詳に拍車がかかっている。

「はい、せーきゅうしょ。テツオさんに渡してね。今日じゃなくていいから」

 ポンとテーブルに置かれたのは先日と全く同じ茶封筒。この前私が持参した書類のことを依頼書と呼んでいたことを思い出す。それに対する請求というわけか。手に取ると厚みなんてほとんどなくて、紙切れ一枚が入っているだけのようだ。カバンにしまい辞去しようとするとそれは片手に制止されてしまう。

「ソノカちゃんさ、マリオネットってお店知ってる?」

「テレビで見たことあります。モンブランが美味しいって」

 繰り出されたのは最近話題の洋菓子店の名前だった。冷蔵庫の化粧箱から取り出されたのは画面越しに見たものと同じ、栗本来の色と風味を生かしたモンブランだ。小腹のなる時間帯に遠慮の二文字は浮かんでこなかった。

 急に呼び出しちゃったお礼だからと言われた時、これは優しく手込めにされただけなのではと悟るがもう遅い。すでに半分以上は胃袋の中に消え、二度目の呼び出しがあっても私はきっと断れない。並んでも買えないと噂のモンブランは最高に美味だった。


「ツカサさん、ひとつ質問して良いですか。私がこの前持ってきた書類って、何だったんですか」

「守秘義務があるからそれは内緒。テツオさんに聞いてみたら」

「聞けるわけないです……」

「だよねえ。それ以外なら何でも答えるよ。色々と話しそびれたことがあるから、今日はそれも伝えないとと思っていてね」

 何でも答えると言われても、聞きたいことなら山ほどある。

 一体何の仕事をしているのですか、今時メールだって宅配便だってあるのにどうして書類は手渡しなんですか。矢継ぎ早に秘めていた疑問を繰り出してみると、一気にくるねえとツカサさんは苦笑いしながら答えてくれた。

「色々やってるけど仲介業がメインかな。お金なら幾らでも出すって輩とお金さえ貰えれば何でもするって輩はたくさんいるからその橋渡し役。でも依頼が増えすぎると俺がパンクしちゃうから。基本的にここまで来てもらって面談しないと受け付けないよ。テツオさんは特別に文書でオーケーにしてるけど」

「なんか怪しいです……」

「胡散臭いことしてるなーって自覚はあるよ? こんなんでも七年やってりゃ今更止めらんないけどね」

「ちょっと待って、ツカサさん一体幾つなんですか」

「ただのおっさんだよー」

 自分のカップを両手に抱え込むようにして啜りツカサさんは微笑んでいる。女子がやっても下手をすれば痛々しいだけのその仕草が様になってしまうただのおっさんを、目の前にいるこの人以外に私は知らない。

「俺からも質問。ソノカちゃん、何で法学部に進んだの?」

「どうして弁護士にならないのとか、言われちゃうんです。法務関係の仕事を……民間企業でもコンプライアンスとかうるさいじゃないですか。そういうことがしたいって、就活では答えてました」

「いかにも就活指南本通りの回答ですって感じがするね」

「だから私はダメだったのでしょうか」

「高校生が普通、そんなことまで考えて大学選ばないだろう」

 尤もすぎる指摘を受けて俯いてしまう。無難で潰しがききそうというだけで決めた選択に潰されてしまったのがそもそもだ。

「本当はもっとくだらない志望動機だったんです」

「へえ、どんな理由だったの?」

 カップを置いて座り直したツカサさんと目線の高さが合う。

「いつだったかも覚えてないくらい昔なんですけど、仕事から帰ってきた父が『法律なんかじゃ救えない人も裁けない人もいる』みたいなことを言ってて。願書を記入してるときにそれを思い出して、なんとなく法学部にしちゃったんです」

「さっきの志望動機よりよっぽど好きだなー。どうしてそれを言わなかったの」

「別に弁護士や裁判官を目指してたわけでもないんですよ。それを突っ込まれたら答えられない」

「世の中色んな人がいると分かりました、これだけでいいんじゃない」

「そんなものですか」

「そんなものだよ。履歴書に書ける職歴がひとつもない俺が言うのもおかしいけどさ」

 再びカップを手にしたツカサさんは一口に煽る。おかしいといったその言葉は胸に刺さった。モンブランのほろ苦さばかりが強く感じる。甘い香りはすっかり飛んでしまった。


「……どこの刑務所にいたのですか」

「仮住まいで川越。そして新潟。最終的に旭川」

「LBだったんですか」

「さすが詳しいね」

 懲役の身分となった者はすべて罪状等でA級かB級に大別され、さらに細かな分類に合わせた刑務所に収容される。人を殺したって初犯ならA級になる可能性がある。犯罪傾向の進んだB級と見做されたということは、一度じゃ懲りなかったとかA級には収まらない悪人だったとか、ただならぬ事情が横たわるのだ。そこに長期刑を意味するLが付加されたら、コソ泥から極悪人まで数多いる中でも『簡単に外へ出すべきではない悪い奴』と判断されたということ。新潟も旭川も、受刑者の多くはそんなLBに分類された人たちだと聞く。

 何も知らなければ物腰柔らかで気さくなお兄さんにしか見えないのに。あと二口ほどのモンブランに手は伸びず、押し黙る私をツカサさんは優しく宥めた。

「気持ち悪ければ来なくて良いんだよ」

「そんなこと、ないです。すみません。なんて言ったらいいか分からなくて」

「それが普通の反応だから。前任の男の子だって、前科者と知ったら一年口もきいてくれなかった」

 えへへと口角を上げたその表情はそれまでとまるで違うものだ。

「一年は長いですね」

「そうかな」

「ちょっとひどいなって思います」

「彼は良い子だったよ。ここ二、三年は誕生日に飯まで食うくらい仲良くなったし」

「それはまた極端な」

 一年も無言を貫いた人が心を開いたとは、ツカサさんはそうするに値した人間ということなのか。まだ私は、ツカサさんの本性を見極めることができないでいる。

「罪を償えばちゃんと人は更生するのでしょうか」

「それを俺に聞いてしまう?」

「ツカサさんはどうだったんですか」

「あんな場所、気の触れた馬鹿が思考停止の馬鹿に変わるだけのところだ」

 声のトーンは一段下がり、反省なんてとんでもないとでも言いたげに鼻を鳴らした。

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