檻の外から
先輩がツカサさんの所に居候していた一ヶ月ばかりの詳細については触れないでおこう。半ばヒステリーを起こしながらもツカサさんが居候を許していたのは部長の頼みだったから。灰皿で殴られ続けながらも先輩がアルコールの類を処分し続けたのは部長からの指示だったから。それだけのことなのだ。
数日おきに様子を見に行けと命じられていた私は、この一ヶ月で使いどころの分からない度胸を備えてしまったように思う。キレる、殴るの無限ループに突入しているツカサさんと寝食を共にできる先輩の悟りっぷりには及ばないだろうが、以前と比べれば驚くほど物怖じしなくなっていた。大袈裟でなく今なら死体を見ても平然としていられる気がする。
住処を確保した先輩が出た後のツカサさんはまるで抜け殻のようだった。一ヶ月ブチ切れ続けていれば燃料が枯渇するのも無理はない。基本的に誰かと寝食を共にするような生活が無理な人のようで、それでよく刑務所暮らしをこなせたものだと要らぬ心配をしてしまったほどだ。以前、深夜に押しかけた私に向けた行為もそれが原因だった。
生活が離れたらふたりの関係は良好そのもの、というよりも先輩のコミュニケーション能力の高さと完璧すぎる大人の対応を見せつけられただけだった。怒り出すより先回りでツカサさんを手玉にとるやり方は天晴れだ。実際に仕事をする姿は見ていないが、部長が全幅の信頼を寄せていたことにも納得できる。先輩は「何事も慣れだよね」なんて笑うけれども、ただの慣れでは片付けられないほどの適応力はまっさらな赤子にも負けぬほどのものだ。
これだけの出来事があったにも関わらず、私の生活を大きく変えてしまうことはなかった。
部長の要請があったにも関わらず先輩は断固拒否で復職することはなかった。当分困らない程度の蓄えはあるそうで、しばらくは大人しく日陰にこもっていたい気分なのだそうだ。ツカサさんに言わせれば「フリーランスでも食えるだろ」ということで、復職せずとも困窮はしないようだ。
石鍋さんが復職拒否のことを知ればひどくガッカリするだろうけれど私は内心ほっとしていた。あんな人に戻ってこられてしまえば私の存在意義はたちまち消えて無くなる。申し訳ないけれども先輩には当分引きこもっていて欲しいと思ってしまった。
「世の中にはいるよねー、色々な人が」
これまでのことを天沼くんに話したら、こんなに濃ゆい登場人物の面々だというのに驚くほど薄い反応しか返ってこなかった。プレイ中の廃墟フィールドに蠢くゾンビには声を上げるのに、驚く基準がちょっとズレている。どちらかといえば小心者に分類されるタイプなのに。街なかでも目立つ程度に大きな身体に見合わぬインドアっぷりは性格の穏やかさにも強く影響しているみたいで、小柄な身体にそぐわぬ過激思想を持つツカサさんとは真反対でかえって刺激的でもあった。
アサルトライフルを放ちながら天沼くんが呟いた。
「俺の母さんに会ったら驚くと思う。その男の人より我が強いんじゃないかな」
「まさかぁ」
ツカサさんより強烈なのがそうそういるものなのか。穏やかな彼の母親像としては信じられず、油断した隙に私のアイコンはゾンビの餌食になってしまった。むしゃむしゃと顔から喰われて私はコントローラーを手放した。
「本当だって。そのゾンビより肉食な感じ。父さん尻に敷かれっぱなしだし」
「あんまり想像つかないね。天沼くんはお父さん似なの?」
「人にはよく言われるけど自覚はないよ? ソノカちゃんのお父さんはどんな人?」
出会い当初は伏せていたけれども、彼のビックリハードルには大したことではないのかもしれない。まあいいかと、パパの話をしてみることにした。
「結構マッチョな仕事してるよ。パパは刑務官でね……」
「そうなんだあ。俺の父さんとあんまり相性よくないだろうなー」
ははっと笑った瞬間に彼のアイコンもぱくり。まさか私が驚かされるだなんて想像だにしていなかった。今、何て言いましたか?
「あ、勘違いしないでね。今はまだ逮捕とかされたことはないらしいから」
今はまだってことは、今後の可能性としてはあるというのか。実業家をしていると聞かされたことがあるから、脱税でもしているのだろうか。
ここは檻の外のはずなのに悪人が多すぎるなあと憂いた私を、画面の中でゾンビが笑って見つめていた。




