とある吸血鬼の邂逅
吸血鬼。人の世が生み出した化け物。空想に等しいそれはいつの間にか実態を持ってすぐ傍らに潜んでいる。
☆
遊佐洋平にとって島村桜花の存在は一言では言い表せない。
桜花は陸上部だった。
桜花の伸びやかな足が地面を蹴りつける姿は何度見ても飽きるものではなかったし、ポニーテールに纏められた長い髪がふりふりと揺れるのも躍動感があって好きだった。
大きくてやや釣り気味の眼にすっと通った鼻筋、笑った時にできるえくぼも好きだったし、特にうなじなんて思わず噛みつきたくなるくらい肌が細かい。
しかし、洋平は桜花に対して恋愛感情を持ったことは一度もなかった。
同年代の男は皆揃って彼女に対して好意を口にしたが、洋平が抱く感情は彼らとは少し違っている。
桜花は特別だった。
クラスの誰より聡明で、美しく、何より孤高だった。桜花は他人との距離感が絶妙で、必要以上に近づけない代わりに必要以上に遠ざけない。
彼女は大抵のことをそつなくこなしたし、学生が抱くような苦しみや悩みとは無縁に生きていた。
クラスの、同年代の誰とも共有しないその在り方は、羨望、嫉妬、愛情、憎悪、様々な感情を与えたが、それらを上手くコントロールして、悟られ無いよう関係を調整することも彼女にとっては簡単な事だった。
そんな桜花が洋平に対しては必要以上に話しかけてくる。洋平はクラスでも目立たない生徒で、学業や運動もそれほど出来るわけではない。
だから桜花が洋平に話しかけた時、洋平は内心で驚いていた。
「おはよう」
初めは挨拶程度だったそれは徐々に世間話に変わり、やがて部活や成績、家庭の話など個人的な部分にまで踏み入るようになっていった。
洋平にとって一番親しいのは桜花だったし、桜花にとって一番親しいのは洋平だった。
だからこそ、洋平にとって桜花は歪に見えた。
初めから違和感はあった。一定の距離感を持って他人と付き合う彼女を不思議に思っていたし、彼女に対しての平均化された感情はいっそ不気味ですらあった。かと思えば洋平に対しては積極的に話しかけ距離を詰めようとしてくる。
ある日、洋平は桜花を祭に誘った。桜花と学校外で会うのはこれが初めてだったが、不思議と断られる気はしなかった。
祭の当日を迎えると、桜花は浴衣姿で洋平の前に現れた。着慣れない、とはにかみながら言った浴衣姿はとても良く似合っていて思わず洋平は見惚れた。
「洋平、月って綺麗だと思わない?」
祭の帰り道、桜花は身を翻しながらそう言った。そうした仕草は彼女によく似合う。月明かりに照らされた彼女は綺麗だった。
「嫌いじゃないかな。少なくとも太陽よりは好きだ」
「そう言うと思った。あなたって昼より夜のほうが好きでしょう? 昼はいつも眠そうにしているものね」
「授業が退屈なだけだよ。別に夜が好きってわけじゃない。まあ、昼が好きなわけでもないけどね」
「もう、捻くれてるんだから。でもそんな所も好きよ」
桜花はよく洋平に対して好意を口にした。しかし、それが本心でないことを洋平は感づいていたし、洋平が本気にしないことを知っていて桜花もそれを口にしていた。
島村桜花にとって遊佐洋平の存在は一言では言い表せない。
洋平は帰宅部だった。
洋平が誰にも声をかけずにそっと教室から去っていくのを桜花はなんとなく気にしていたし、たまに陸上部を見ているのも知っていた。
眠そうな目、引き結ばれたままの口元、平凡な容姿ではあったが表情がいつも不機嫌そうに見えるため近づきにくい雰囲気を出していた。
同年代の女は皆揃って嫌悪までいかないにせよ、彼に対して扱いづらさ、近寄りがたさを口にしたが、桜花が抱く感情は彼らとは少し違っている。
桜花は洋平に対して悪感情を持ったことは一度もなかった。
洋平は異質だった。
クラスの誰より凡庸で、目立たず、何より孤独だった。洋平は他人を決して近づけない。他人を常に遠ざけていた。
彼は大抵のことを普通にこなしたし、学生が抱くような苦しみや悩みとは無縁に生きていた。
クラスの、同年代の誰とも共有しないその在り方は、誰に悟られること無く、彼に対して特別な感情を抱くものは殆ど居なかった。
そんな洋平が桜花に対しては近づくのを許している。桜花はクラスでも目立つ生徒で、学業や運動も優秀だ。
洋平ならそんな目立つ桜花を近づけるわけがないと思っていた。
「おはよう」
初めは挨拶程度だったそれは徐々に世間話に変わり、やがて部活や成績、家庭の話など個人的な部分にまで踏み入るようになっていった。
桜花にとって一番親しいのは洋平だったし、洋平にとって一番親しいのは桜花だった。
だからこそ、桜花にとって洋平は特別に見えた。
初めから違和感はあった。他人を寄せ付けない彼を不思議に思っていたし、あえてそうしている彼の態度に興味があった。かと思えば桜花が近づくのを許している。
ある日、桜花は洋平に祭に誘われた。洋平と学校外で会うのはこれが初めてだったが、不思議と断る気はしなかった。
祭の当日を迎えると、洋平はコンビニに行くようなシャツ姿で桜花の前に現れた。着慣れた服が一番、と言い訳がましく言った表情に思わず桜花は苦笑した。
「洋平、月って綺麗だと思わない?」
祭の帰り道、桜花は振り返りながらそう言った。
「嫌いじゃないかな。少なくとも太陽よりは好きだ」
「そう言うと思った。あなたって昼より夜のほうが好きでしょう? 昼はいつも眠そうにしているものね」
「授業が退屈なだけだよ。別に夜が好きってわけじゃない。まあ、昼が好きなわけでもないけどね」
「もう、捻くれてるんだから。でもそんな所も好きよ」
桜花はよく洋平に対して好意を口にした。しかし、それが本心でないことを洋平は感づいていたし、洋平が本気にしないことを知っていて桜花もそれを口にしていた。
二人は名前も知らない草や花が生えている土手を歩いていた。たまに桜花が話題を出し、洋平がそれに答える。
会話が止まると無言でしばらく道を歩き、また桜花が話し始める。
何度か繰り返していると、いつの間にか分かれ道まで来ていた。
「じゃあ、ここで」
洋平はそう言うとさっさと後ろを向いて歩き出していった。こういう時の洋平はなんだか消えてなくなってしまいそうで桜花を少し不安にさせる。
「待って。ねえ、なんで今日私を誘ったの?」
「……確かめたかったからかな」
立ち止まって首だけ振り向きながら洋平はそう答えた。
「島村桜花が何者で、君にとって僕は何なのか」
「……答えは出た?」
洋平は振り向いて桜花の目をじっと見る。
「島村桜花は僕の同類だ。君にとっての僕が何なのか、それはまだわからないけどね」
桜花は驚いたが、ふと理解すると笑みを浮かべて洋平に近づく。
「そう。同類ね」
「ああ、同類だ」
確認しあうと二人は離れ自分の家へ続く道を歩き出す。
月だけが二人の邂逅を見ていた。