夏の風景と御客人
冷やしうどん、菜は煮浸しとお漬物。
食卓に並べると少し寂しい品数に思えるが、休日の昼食としては上々だと思う。
氷を浮かべた水に泳ぐうどんは、その透明感を帯びた白が涼しげで食欲をそそる。皮の紫が艶やかに光る茄子の煮浸しは湯気を立て、キュウリと間引きトマトのお漬物は、同じ緑でも鮮やかさと若さの対比を楽しませてくれる。
仕上げに冷やしたほうじ茶を並べて、いただきますと手を合わせて昼食を食べ始めた。
独りで。
我が家の夫婦は仲が良い。祖父母は近所の同年代友人夫婦宅へ遊びに行き、両親は山へ芝刈り・・・ではなく山菜取りに行った。祖父母は友人宅で、両親はお弁当で昼食を食べるそうだ。仲良きことは良いことだと思うのだけど、残る娘は独り寂しく昼食となる。
まぁいいか。祖母作の煮浸しは美味しいし、主な食材は全て国内どころか村内産だ。素晴らしい、と気を取り直して食事を進める。
山間にある小さなこの村は非常に自然に恵まれている。驚くほど豊かな土地が生んでくれる数々の食材は量も味も良く、食卓を賑わせてくれるのだ。
昼食の後片付けを終え、ふと思い立ち日傘片手に散歩に出た。勿論事前に日焼け止めを塗るのは必須だ。日焼けコワイ。
濃い影を作る強い日差しの中を日傘に隠れるように歩いていると、良く言えば元気、正直に言えば非常にやかましい蝉時雨が降り暑さを倍増させる。目的なく散歩に出たが、目的地を思い付き進路を変えた。
見上げれば青い空。
少し視線を下げれば濃い緑の山々。
更に視線を下げると、目的地である澄んだ小さな湖が見えた。
学生はほぼ夏休みに入り、この村から遠くの学校へ行っていた者も帰省し、村がいつもより賑やかになっている。
山間な為に都会よりは涼しいとは言え、やはり夏は暑いものだ。
私と同じ様に、涼を求めた人が集まっていた。ゆっくり歩いて一周しても30分程度の小さな湖だが、泳ぐ者、木陰でのんびりする者、周囲を散歩する者や、釣に興じる者もいる。
日差しの強さに反し、穏やかで長閑な光景が広がっていた。
さてのんびりとお昼寝するかと、早速木陰に寝転がった。湖面で冷やされた涼しい風が肌を擽る中、うとうとし始めた頃に声が聞こえてきた。お昼寝場所を決める前に挨拶を交わした、少し離れた場所で釣りをしているご一行だ。
「ふむ。釣りと言うものはなかなか奥が深いですね」
「そうじゃろう。餌で引っかけるだけではない。精神を静かに保ち、針の先まで自身と一体となるように心の眼を」
「まあまあ。そんなに高尚なものではないのよ。うちの人ったら、若い方が釣りに付き合ってくれるのが嬉しくて、ちょっとはしゃいじゃってるのね。ふふ、聞き流してくれて構わないのよ」
夫の長くなりそうな言葉を遮り適当にあしらう妻と、妻に適当にあしらわれてちょっぴり肩を落とす夫。夫婦の力関係は歴然としている。そしてその老夫婦を微笑ましそうに見やり、再び釣竿の先に目線を戻す狐。
狐である。間違いではなく狐である。
前足を立てたまま後ろ足を曲げた(所謂「お座り」)体勢で、釣り道具に竿を固定した前に座り、釣りに興じている様子だ。釣りを「奥が深い」と発言したのも同じくこの狐である。
世の常識に照らし合わせれば「喋る狐」などありえない。
しかし、この村ではこれが通常の風景。
始まりがいつだったのかも原因も不明な、この村にのみ訪れる不思議。
違う世界の住人が一時的にこの村に訪れる。そして村民はその現象を受け入れ、他世界の住人を『御客人』と呼んで歓迎し、帰る事が出来る日までお世話をする。そこに損得は発生しない。ごく当たり前のように、滞在中は家族として迎えるのだ。
余談だが、この狐型の『御客人』は、人間の年齢に換算すると三十代前半の青年である。名前を聞いたのだが発音が非常に難解で、聞き取るのも一部がやっとの事だった為、この村では「リティーさん」と呼ばれている。 ―決して、某キャラクターのパクリではない。閑話休題
釣りをしている老夫婦+狐ご一行の対岸では、泳いでいる若者たちがおり、その内一人が持っている棒の様な物が光ったかと思えば、何故だか湖の一部が氷っていた。それを見た子ども達が楽しそうにはしゃぐ声が高く響いている。
―あぁ、夏だなぁ。と思いながら眠りに落ちた。
山間の小さな村の、日常的な夏の光景。
第三弾です。「~いらっしゃいませ」と同じ主人公にしようかと迷った末、どちらとも取れるようにしてしまいました。楽しんで頂けると嬉しいです。