後編。
柔らかい声が強く強く木霊する。
その声は、まるで俺を遠ざけるかのよう。
けれども俺はそこにいた。
必死にしがみついてくるハルカを、離してはいけないと思ったから。
俺は泣きつくハルカを支えて、
「大丈夫。"アイツら"ってのが何か知らないけどよ、俺は何もしないよ」
「ウソだっ!! "アイツら"もそう言ってボクを―――」
ハルカの手は、俺から離れていない。
つまり、まだ俺に助けを求めてるってことだ。
「心配すんな。俺はハルカの味方だ。思う存分泣け泣け」
怖がるハルカを、さらにギュッと包んだ。
華奢な彼女の身体は、両腕の中にスッポリと収まった。
「その言葉だって―――」
「いいから泣いてろっつうの」
彼方はハルカを自分の胸に押し付け、頭をポカッと叩いた。
「あぅ」
「泣くとスッキリすっぞ。泣きたいだけ泣けっ」
「・・・うん。ありが―――とう」
口を小さくして、彼女は呟いた。
そのときの彼女は、笑っていた。
なのに、あんなことになるなんて。
泣き疲れたのか、ハルカは俺の身体の上で眠ってしまった。
小さな寝息が、彼方の心をくすぐる。
高校生にしてはあまり発達してはいない身体。
それでも、俺と年は同じ。
こんな状況で、何いきなり意識してんだ俺は・・・。
これ以上彼女に目をやると危ないので、他のことを考えることにした。
ハルカが言っていた、"アイツら"。
誰だか知らないけれど、多分。ハルカを傷つけた奴らだ。
心も、身体も。
だから一層、人が信じられなくなってる。
震えるほどに。
・・・まったく。
こんなに小さな、こんなに弱い少女。
そんな子に傷を負わせるなんて―――。
そういえば。
何で俺はこんなにハルカのことを考えてるんだ?
馴れ合うことを嫌って、ここまで生きてたのに。
今の自分は、何か違う。
ハルカの―――。おかげか?
彼女が泣いてるのに、俺が変わっていく。
彼女が苦しんでるのに、俺が、俺だけ―――。
そんなんじゃダメだ。
男としてダメだな。
彼女が初めての繋がりになるかも知れない。
彼女となら、人と触れ合えるかも知れない。
それを―――。
「それを失ってどうする!!!」
気がつくと、俺は叫んでいた。
夕暮れの階段の上で。
「ん・・・?」
俺の声で目を覚ましたのか、ハルカが声を上げた。
寝起きのまま、彼女はこちらに顔を向ける。
そのとき、メガネが落ちた。
彼女の素顔が露わになる。
目のクリッとした感じが、一層引き立った。
寝ぼけ眼で目を擦りながら、彼女は甘い吐息を吐いた。
「あ・・・ボク・・・いつの間に寝て―――」
「ヤバっ・・・可愛・・・」
「ふわぁっ!ボク何で彼方にしがみついてっ!!?」
ハルカは咄嗟に反応し、身体を素早くどかせた。
彼女の触れていた感触が、まだ微かに残る。
「ぼっ、ボクがかわいいだって!?彼方の頭はどうかしてるよ!」
「いや、何ていうか」
「でも・・・ちょっとだけ嬉しい・・・」
彼女は呟くように、小さな声で言った。
「ん、何か言った?」
「いや、言ってない!言ってないよ!!」
彼女は顔を紅潮させながら、すぐさま立ち上がった。
そして、落ちていたメガネを拾い上げる。
それを掛けた途端、また彼女の雰囲気が元に戻った気がした。
「―――どうやらもう夕暮れ時みたいだ。ボクは帰るけど、彼方は?」
「そんな時間か・・・っ。じゃ、俺も帰るかな」
「そうか。なら、一緒に帰るか?」
「ん?お、おう」
びっくりした。
彼女がイキナリ
「一緒に帰るか?」なんて聞いたもんだから。
まったく、さっき泣き喚いてたのはいったいどこにいったんだよ・・・。
彼方がため息をついていると、彼女はスタスタと歩いていってしまった。
ったく・・・。ま、いっか。
彼方は自分の支度をするため、教室へと向かった。
「三橋君、いる?」
「ぇあ?」
数分後、柔らかな声が耳に届いた。
"表\"のハルカだ。
「準備・・・できた?」
「―――なんとか」
「だったら・・・」
彼女の言葉が途切れる。
教室の入り口から足を進め、彼方の机へと歩み寄った。
「行くぞ。学校に長居はしたくない」
「・・・え」
「いいからはやく!」
まだカバンのジッパーを閉めてないってのに、ハルカが手を引っ張ってきた。
彼女から引っ張るなんて、やっぱり学校は嫌いなんかな。
ジッパーを閉めて、ハルカに声を掛ける。
「ちょっと。俺、チャリだけど?」
その言葉に、彼女は足を止めた。
「バランスオッケーか?」
「う・・・うん」
彼女の息づかいが耳に届く。
俺はハルカを後ろに乗せ、自転車に跨った。
「本当に大丈夫なの?コレ」
「あー。キチンと掴まってりゃ、な」
彼女にそう言い聞かせると、ペダルに足を掛ける。
踏み込みは柔らかく、でも力強く。
勢いよく漕ぎ出した。
バランスを崩したハルカは、俺の背中にしがみつくようにして倒れた。
「ふわわわっ!!」
彼女の温もりが、背中を伝う。
・・・ん。
やっぱり身体に似合ったような大きさ、か。
でもちっちゃいってのはそれで―――。
「―――彼方。今わざとスピードを上げたな?」
「・・・なんのことやら」
「その上人が気にしてることを・・・っ。変態め!」
うっ。
さすが女だ。カンが冴え渡ってんなぁ。
「さすが、身体に見合った大きさで―――うっ」
「大きなお世話だっ!!」
自転車を漕いでるというのに、ものすごく強く殴られた。
ちくしょう、殴りやがったな。
運転中じゃ抵抗できないってのに・・・。
「小さいのが悪いか!」
「いえ、悪くありません。ごめんなさいです・・・ハイ」
そう謝ると、彼女はプッと吹き出した。
「あはは。全く、腰が低いね。彼方は」
「・・・ほっとけ」
彼女が笑うから、俺もつられて笑った。
ハルカの笑顔は、俺に力をくれる。
そんな気がしたんだ。
―――そして、笑った日々が2週間ほど続いた。
キッカケは、ハルカの一言だった。
「屋上に、行こう」
「おい、こんなことして大丈夫なのか?」
重たい扉が、錆付いた音を立てて開く。
その瞬間、けたたましい音と共に風が吹いた。
「いいの。ボクが来たかったんだ」
ハルカは鍵を"借りてきた"と言っていた。
けど、学校側がそんなに簡単に貸してくれる筈もない。
何か引っかかる・・・。
「ほら、風が気持ちいいだろ?」
「ハルカ。何で屋上に来たんだ」
「ボクが来たかった。ってさっきそう言ったじゃないか」
ハルカはこっちを見ずに、空を見て言った。
彼女の後ろ姿が、妙に遠かった。
それを見て、俺の心臓がドクンと脈を打った。
「じゃあ何で、俺を、連れてきたんだ」
俺の言葉が、心なしか途切れた。
風が、その言葉を流していく。
ハルカは静かに、俺のほうを向いて言った。
「彼方には、ボクを見守ってて欲しいんだ」
さらに心臓が脈を打つ。
なんだ。このよく分からない気持ちは。
なんで身体の動きが麻痺したように鈍いんだ。
嫌な、嫌な予感がする。
「それって、どういう―――」
「あのね。ボクはこの前まで、"アイツら"。・・・不良グループたちに苛められてきた。
ボクがか弱そうで、抵抗しなさそうだったからなのかな。ゆっくりとアイツらの手がボクを這いずり回り、嘗め回されるように」
小さな口が、ゆっくりと動いている。
「嫌だ、って抵抗はしたよ。けれどね、その時でも少し人と触れるのが嫌いだったんだ。
あんまり強く言えなかった。それが駄目だったのかもしれない。アイツらの行動はエスカレートしていったよ。ボクの心は、傷ついた」
「・・・ハルカ」
「男ってこんなのばっかりなのかって涙を流した。学校側に訴えたよ。けれど、処分はアイツらの退学だけ。
ボクの心の痛みは消えなかった。消えるわけなんてないよ。そうさ。こんな―――」
彼女の目に、うっすらと何かが光っている。
・・・泣いてるんだ。
彼女は、こっちに顔を向けながら歩き出した。
「でも、でもね。あの日。いつも嫌だった日常から逃げ出したあの日。彼方と出会った。
短かったけど、彼方は優しかった。ボクを包み込んでくれた」
歩き出した先には、屋上の縁がある。
まさか、まさか。
途端に身体が震えた。
そして、彼女は屋上の縁に立った。
バックライトに、夕日が沈んでいく。
「ハルカ!馬鹿な真似は止めろ!!」
俺が扉の前から動こうとした途端、彼女は叫んだ。
「来ないで!!!」
「ハルカっ・・・」
彼女息づかいが、いつの間にか荒くなっている。
「身体、震えてるよね?たぶん、声も震えてるよね?でもね、嫌なの。もう、こんな日常―――」
震える身体を止めるように、ハルカは自分の身体を自分で抱きしめた。
確かに身体が、震えてる。
声も、震えて聞こえる。
けど。ハルカ、それはダメだ。
死ぬなんて―――。
「彼方のこと、好きだった。―――最後に、人を好きになれてよかったよ」
彼女の言葉が、終わった。
身体が傾きだす。
俺はその前に、足を動かしていた。
「ありがと、彼方―――」
「ハルカ!!!!」
俺は叫んで、手を伸ばした。
届け、届け!届け届け届け!!!
あいつを、ハルカを助けるんだ!
俺を変えてくれたハルカを。
俺を好きだって言ってくれた、ハルカを!!
止まる時間。
動く二人の心音。
空中に投げ出された彼女の身体は、風の抵抗を受けず落下。
重力に引かれていく。
無抵抗に、目をつぶった彼女。
彼女は笑っていた。
俺は叫んだ。
彼女の名前を、叫んだ。
思い切り。
「ハルカあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
屋上に、一つの風が吹いた。




