踏み出す
僕には友達がいない。
どこかのラノベのタイトルのようだが、本当にいない。
だから放課後に遊び行くようなこともなければ、友人を自宅に招くようなこともない。
両親にも忌み嫌われているので、彼らとも話はおろか、顔も合わせることも滅多にない。
赤い糸も視界に入れたくない。
そうなると、必然的に僕は離れに引きこもりひたすら勉強をするようになった。
いや、勉強しかやることが無いと言うべきか。
おかげで学校では三年連続で主席の称号を頂いた。
僕の中学時代において、いや人生において、勉強とは唯一誇れることだろう。
同級生からガリ勉と呼ばれようが根暗眼鏡と罵られようが、痛くも痒くもなかった。
「有希様・・・お夕飯をお持ちしました。」
いつも通り勉強をしていると、離れの扉が開く音がした。
一ノ瀬家で唯一僕に接する人間。僕が離れで暮らし始めてからの世話係。
それがこの春日井という男だ。
彼は30代半ば位の風貌で、とても整った顔を常に無表情で固めている。
「ありがとうございます。春日井さんはもう戻ってくださって結構です。」
食事の運ばれたリビングでそう言うと、彼は決まって眉を潜める。
そして無言で僕が食べ終わるまで壁際に控えているのだ。
毎度毎度同じやり取りをしているのに、彼は一向に僕の言うことを聞いてくれない。
この離れにはキッチンもあるのだから、食器くらい自分で洗える。だから明日食事を持ってくる時に食器の回収をすればいいのに。
そう思うも彼のしかめっ面を見ると何も言えなくなってしまう。
口を聞くのも嫌なほど僕のことが嫌いらしい。
視界に入った彼の左手の小指には赤い糸が絡みついていたが、その先を見る勇気は僕にはなかった。
ある日、いつも通り春日井さんが夕飯を持ってきてくれた。
ちょっと違うのはやたら豪華だということ。寿司にチキンにピザにお赤飯?意味がわからない。
「・・・合格おめでとうございます。」
困惑した顔で彼を見つめると、ぼそり、と祝いの言葉を発してくれた。
「へ・・・?」
「・・・光塚学園から、入学通知書が届いておりました」
そっと差し出されたのは僕宛のA4の封書。
あぁ、だからこんなへんてこなメニューだったのか。いかにも子供が喜びそうなソレは、ひどく僕には不釣り合いだった。
そんなことを思いながら封筒の中身を見てみると、そこには教材費、制服のこと等が事細かに記載してあった。
そして、
「今月末から入寮可能とのことですから、それまで申し訳ありませんがお世話をよろしくお願いします。」
もう僕の世話をしなくて済みますね、なんて気持ちを込めた言葉に、彼は少しだけ困ったような顔をした。
保護者のサインが必要な書類だけ両親に渡してもらい、必要以上のお金も僕専用の口座に振り込んで頂けた。
引越しも業者が滞りなく済ませてくれたので、もうこの家ですることは何もない。
特に思い出の詰まっていない我が家を前に、僕は春日井さんに深く頭を下げた。
「今までお世話になりました。」
「・・・有希様。お気を付けていってらっしゃいませ」
いつもと変わらない春日井さんの挨拶に苦笑いを漏らしながら、もう帰ってこないかもしれない我が家を背にし、僕は新しい第一歩を踏み出した。
だから春日井さんがどんな表情で僕を見ていたかなんて知らなかった。