4話 事件
屋敷の玄関は広い。
いや、玄関じゃないか。ホールか。
みんなが忙しなく掃除していた。
箒で履いて、モップをかけて、窓を拭いて。
とにかく大変だ。
俺は階段の掃除をしていた。
なんでも御当主様が帰ってくる前には終わらせておかなくてはならないらしい。
唐突にガシャン、と何かが割れる音がした。
みんなの視線が集中する。
1人のメイドがホールに飾ってあった花瓶を割ってしまったのだ。
「おい!どうすんだよ!これ!」
「ちょっと、ケガはない?」
「あんなの一生は働いたって・・・。」
使用人も執事もメイドも、みんなが一斉に喋る。
激怒、心配、他人事。
割ってしまった子にケガはないが、顔が真っ白になってブルブルと震えていた。
「どうしよう、こんな・・・こんな、イヤ・・、わたし、わたしが割ったんじゃ・・・。」
隣にいたソールが耳打ちで教えてくれた。
「あーあ、あいつダリスって言うんだけど、こりゃもうクビかもな。子爵家の次女?らしいけどあんまり雇ってくれないところをここで拾ってもらったらしい。ま、それも今日で最後かもな。」
可哀想とは思うが、所詮は他人事。
だが、不意にダリスと目が合う。
「ね、ねえ、お願いよ!君が割ったってことにしてよ!お願い、お願いよお!」
俺のズボンの裾を掴んで懇願してきたのだ。
何を言っているんだと思った。
「私、こんなミスしたなんて噂になったら、もうどこにも・・・。」
「呆れた。他人にそんなこと押し付けるなんて、おかしいよ、お前。」
俺がポカンとしていたら、ソールが言い返してくれていた。
俺も慌てて「いやだよ、そんなの。」と意思表示。
3人で言い合っていると、衝撃的な一言が飛んできた。
「でも君、庶民なんだろ?だったら君がやったってことにすれば丸く収まるんじゃないか?」
その言葉は、今まで自分が経験したどの傷よりも、比べ物にならないほど痛んだ。
なんでこんなこと言われなきゃならないんだ?
怒りと屈辱が一気に湧き上がる。
でも、俺が言葉にしたところで・・・。
ソールは何やら必死に俺のために怒ってくれているようだった。
割ってから5分ほど経ったのか、騒ぎを聞きつけた執事長が駆けつけてきた。
執事長は見ただけで事情を察したようだった。
しかし、いつもは厳格な執事長は何も言わない。
それどころかオロオロしている。
なんでだ?
「これは・・・、割ったのは一体誰だね?」
「この子が割ったんです。」
執事長の問いにソールがいち早く答えた。
しかし、ダリスは「違います!私じゃありません!カリスト君が割ったんです、みんなそうよね!?」
と、見たこともない恐ろしい表情で嘘を語った。
周りのみんなは視線を逸らし、黙っているばかりだ。
が、またある一人が口を開く。
俺の味方ではない言葉を。
「私もカリスト君が割ったのを見ました。」
「僕もです。」
「私も。」
「俺も。」
ソールは「お前ら!いい加減にしろよ!」と怒りを露わにしていた。
いいやつだと思う。
ただ状況は悪い一方だ。
執事長は先ほどまでなんの疑いも俺に向けてなかったのに、ついに「そうなのかね?」
と聞いてきた。
この人は馬鹿じゃない。
それなのに聞いてくるということは、もう「そういうことだった」にしたいのだろう。
「・・・俺が、俺が割ってしまいました。申し訳ありません。」
執事長は深いため息を吐いた。
ソールは「執事長これは!・・・」と俺の潔白を証明しようとしてくれたが、俺がソールの腕を掴んだ。
ソールは、それ以上何も言わなかった。
「自分でお嬢様と御当主様に説明するように。」
その言葉でみんな持ち場へと戻った。
しばらくして、俺はお嬢様のお部屋の前で立ち尽くしていた。
手には紙で包んだ割れた花瓶を持っている。
とりあえず、ノックしてみた。
「失礼します。」
「どうぞ。」
お嬢様はお勉強をなさっているようで、まだこっちを見ていない。
「なんの用?」
俺は問われた“それ”に答えられずにいた。
返事がないのをおかしいと思ったのか、お嬢様はやっと俺の方を見た。
俺の手元を見て少し怪訝な表情になる。
「それはどうしたの?」
「これは、俺が・・・さっき不注意で割ってしまって。」
情けないけど、泣きそうだった。
「本当に申し訳ありません。ごめんなさい、ごめんなさい。」
馬鹿みたいに繰り返す俺に、お嬢様は椅子から立ち上がり、俺の側にきた。
「ねえ、それ本当に貴方が割ったの?」
どうして、このお嬢様は俺が一番欲しいと思う言葉をいつもくれるんだろう。
当たり前のように。
「俺が、やって、しまって」
「私、嘘は嫌いなの。」
ごまかしは効かないらしい。
「もう一度聞くけど、本当に貴方なの?」
「・・・俺じゃありません。」
俺は疑いが晴れたことにホッとしてしまって、両膝を着いてしまった。
「全く、私も馬鹿にされたものね。貴方がやったならそんな顔しないわ。」
顔?
「後でみんなをホールに集めないといけないわね。」
これで俺の潔白が証明された。
本当によかった。
「カリスト」
俺は涙を拭ってお嬢様を見た。
「理不尽を直ぐに受け入れてはダメ。最後までもがくのよ。それがどんなに小さな抵抗であったとしても。」
お嬢様は俺の方を見てはいなかったけれど、その目はとても真っ直ぐだった。
「この世界は優しくないわ。自分で自分を守るしかないの。だから、頑張るのよ。」
その言葉は俺に言ってくれただけではなくて、もしかしたら。
お嬢様は少し寂しげだった。




