世界が終わる日、君だけが笑っていた
一
灰色の空が、ゆっくりとひび割れていく。
まるで古びた硝子の天蓋が、静かに崩れていくように。
世界の終焉は、音もなく訪れる。
けれど――その日も、彼女は笑っていた。
二
「ねぇ、アレン。もし世界が終わるとしたら、どうする?」
風の吹く丘の上。
花びらが空へと舞い上がる。
リラの声は、春の光に溶けるように柔らかかった。
アレンは少し笑って、答えた。
「その前に止めるさ。だって俺、そういう役目だろ?」
「……ほんと、冗談みたいに言うんだから。」
リラは頬をふくらませ、すぐに笑った。
「でも、アレンがいれば大丈夫って思えるの。不思議ね。」
彼女の笑顔を見るたび、胸が痛む。
――この会話を、もう何度しただろう。
アレンは空を仰ぐ。
手の中の懐中時計が淡く光を放つ。
時間を巻き戻すたびに、時計の針はわずかに欠けていく。
そして、彼自身の記憶も。
三
世界は崩壊を繰り返していた。
黒い靄が空を覆い、街を飲み込み、人々を消していく。
アレンだけが、その瞬間を覚えている。
彼だけが、世界を「戻せる」からだ。
「……あと一回、か。」
指先で時計を撫でながら、アレンは呟いた。
リラを救うために、もう七度、時間を巻き戻した。
そのたびに彼女は笑い、泣き、そして消えた。
だが、次こそは。
この世界を救い、彼女を生かす。
それが、アレンの願いだった。
四
街の鐘が鳴る。
穏やかな朝。人々の声、鳥の囀り。
まるで最初から何も起きなかったように。
「アレン! 今日も来てくれたんだね!」
リラが両手を広げて駆け寄ってくる。
その笑顔に、アレンは一瞬だけ言葉を失った。
――ああ、また最初からだ。
「リラ。今日こそ、全部守ってみせる。」
「え? また難しい顔してる。」
「大丈夫。少し長い夢を、終わらせるだけだ。」
懐中時計の針が、音もなく止まる。
五(終幕)
空が裂けた。
黒い靄が世界を呑み込む。
リラの瞳が恐怖に揺れる。
「アレン! またこれ、なの? どうして……!」
「大丈夫、もう終わらせる。」
彼はリラの手を取る。
その瞬間、全ての時間が止まった。
木々の揺れも、風も、涙も、凍る。
アレンの瞳が淡く光り、懐中時計の針が逆回転を始める。
世界が崩れ、組み直され、やり直される。
しかし今回は違う。
ひび割れた針が音を立てて砕ける。
リラの姿が淡く揺らぐ。
「アレン……どうして泣いてるの……?」
「ごめん。これが最後なんだ。君を救うと、俺は……もう……」
「いや……やだよ、アレン!」
「リラ。君が笑ってくれれば、それでいい。」
指先が離れる瞬間、
アレンは彼女の髪に触れ、優しく囁いた。
「――さよなら。」
六(再生)
季節が巡る。
春が訪れ、街には再び人々の笑顔が溢れていた。
リラは王の側近に嫁いだ。
長い戦乱の時代を終わらせた英雄の名は、誰の記憶にも残らない。
夜、窓辺でリラはぼんやりと月を見上げる。
傍らで夫が眠り、静かな寝息が響く。
「……変ね。時々、誰かの夢を見るの。」
誰の夢かは分からない。
けれど、涙が零れる理由だけは分からないまま。
七(記憶の残滓)
ある朝、リラは子を産んだ。
金色の髪に、灰色の瞳をした男の子。
「名前は……アレン。そんな気がするの。」
夫が驚いて尋ねた。
「どうしてその名に?」
リラは微笑みながら首を傾げた。
「わからないの。ただ、その名前が――とても大切な気がして。」
赤子は泣かず、まっすぐに空を見ていた。
その瞳の奥には、まだ誰も知らない“時の記憶”が宿っているようだった。
八(伝承)
十数年後。
少年アレンは、不思議な夢を何度も見る。
――灰色の空。
――笑う少女。
――壊れていく世界の中で、誰かの声が言う。
『必ず、君を守る。何度でも。』
目を覚ますたび、胸が締めつけられる。
理由は分からない。
けれど、その言葉だけが、魂に刻まれて離れなかった。
終
丘の上に立つ少年アレンの背後で、風が吹く。
花びらが舞い、空に光が差し込む。
「この世界は、どこか懐かしい気がするな……」
少年は呟き、空を見上げた。
その瞬間、懐にある古い懐中時計が、
“カチリ”と、一度だけ音を立てた。
動くはずのない、止まった時計。
その針が、一瞬だけ――動いた。
――名も、記憶も、何もいらない。
ただ、君が笑っていた、それだけで充分だ。
【了】
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
この物語は、アレンという一人の青年が「救いとは何か」を探した記録です。
彼は七度、時間を巻き戻し、世界を救い、そして自分自身を代償に消えました。
けれどその行いは無駄ではなく、リラの心に残った“記憶の欠片”が新たな命を導き、
彼の名を継ぐ新しい勇者が生まれました。
――世界は終わっても、想いは終わらない。
悲しみの中にほんの少しでも希望を感じていただけたなら嬉しいです。
最初は「ハッピーエンドに見せかけたバッドエンド」を書くつもりでした。
けれど、書き進めるうちにアレンとリラの想いが“永遠”に繋がってほしくなってしまって。
たとえ名前も記憶も失っても、祈りだけは残る。
そんな物語にしたいと思いました。
感想やレビューで、あなたが感じた“終わり”を教えてもらえたら嬉しいです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。




