灰塵の誓い
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──ごめんなさい、とはどういうつもりかしら
ベアトリスは心のなかで首を傾げた。
子爵家が公爵家に謝罪するには相応しくない、軽薄な言葉に返す気にはなれない。
開いた扇子で口元を隠し、溜め息を殺す。
腹のなかで滾る激情を表に出すわけにもいかない。
ここは何よりも公爵家の、そして自身の矜持を示す場なのだ。
「申し開きがあるなら聞いてやらないこともないが、」
自国の第一王子殿下であり、自身の婚約者でもあった、ダニエル・イライアス・セルデン殿下は、まるで裁判官のように尊大に言い放った。
その隣には、場にそぐわぬ鮮やかなドレスを纏った子爵令嬢が、怯えたように身を寄せている。
「なにもこのような大事にせずともよろしかったのに、とは思いますけれども。それ以外は特にございませんわ」
ベアトリスは第一王子の言葉を遮って紡いだ。
真実、こちらの意見に耳を傾ける気があるというのならば、このような場で断罪のような真似はしないだろう。
選りに選って、何故、今日、この場でなければならなかったのか。甚だ疑問である。
事の発端は、私──ベアトリス・エマ・フィッツクラレンス──の誕生を祝う夜会に、殿下が子爵家の令嬢をエスコートして参加したことから始まる。
婚約者の誕生会に、別の女性をエスコートして参加するなど、正気の沙汰とは思えない。
当然、会場は騒然とした。
ひそひそと囁く声、ざわめき、そして困惑の表情。
誰もがこの異常な光景に言葉を失っていた。
にも関わらず、当の本人は、周囲の視線など意にも介さぬ様子で、堂々とした態度で私に歩み寄り、朗々と声を上げた。
「フィッツクラレンス公爵家令嬢ベアトリス。私との婚約は破棄だ」
その言葉は、更なる激震を呼んだ。
会場を支配していたざわめきは、一瞬にして凍りつき、そして爆発したかのようなどよめきに変わる。
婚約に関してはどうでも良かった。
第一王子に何の魅力も感じていなかったベアトリスにとって、個人の感情としてはむしろ解放感さえある。
しかし、問題はそこではない。
後ろ楯として長年王家に仕えてきた当家が主催する夜会で、この暴挙。
王家と公爵家が結んだ契約である婚約を書状もなく破棄するとは、個人の気持ちで解消できる筈がないのだが、何を考えているのかさっぱりわからない。
「かしこまりました」
震える声で告げたわけではない。
むしろ、冷たく、感情の籠らない声だった。
「異論はないと言うのだな」
「殿下の御心のままに」
婚約破棄に是と返せば、周囲から再びどよめきが起こった。
婚約とは家と家との結びつき。
特に今回の場合は相手が王家である。
本来であれば、公爵家の令嬢でしかない私の一存ではその結びつきを切ることはできない。
けれど、公爵令嬢が王族に逆らうわけにもいかないのだからどうしようもない。
「ごめんなさい、ベアトリス様……」
殿下の腕のなかから現状を見守っていた子爵令嬢が、震える声でそう呟いたところで冒頭に戻る。
先程とは一転して、水を打ったような静寂が広がり。
誰もが、次にこの子爵令嬢が何を口にするのか、固唾を飲んで見守っている。
「ごめんなさい。わたしがダニーを愛してしまったばっかりに、」
本当にこの娘は爆弾ばかりを投下する。
ウルウルと瞳を揺らめかせながらこちらを見ているであろうことを確信しながら、ベアトリスは表情を変えずに口を開いた。
「長年にわたり賜りましたご厚情に感謝いたしております」
その言葉は、感謝というよりも、もはや関係は終わったと告げる、明確な線引きだ。
その夜会は早期閉幕にせざるを得ない。
フィッツクラレンス公爵家は面目を潰され、王家もまた、最大の後ろ盾を失うことになる。
第一王子の護衛たちは、王宮に戻るやいなや、今回の騒動の一部始終を報告した。
子爵令嬢をエスコートしてきたこと、公衆の面前で婚約破棄を告げたこと、そしてベアトリスがそれを受け入れたこと。
しかし、第一王子は、事の重大さを正確に王家へ伝えなかった。
「若気の至り」、「一時的な感情のすれ違い」と、自己保身に走った報告をしたのだ。
王家もまた、その楽観的な報告を鵜呑みにし、フィッツクラレンス家への弁明も、その後のフォローも一切しなかった。
この楽観視が、王子の暴挙を止められぬ一助となり、結果的に王家は自らの首を絞めることになる。
数日後、フィッツクラレンス公爵家では、父オーガスタスと母アドレイド、そしてベアトリスの間で話し合いが持たれた。
このまま王家との関係が修復不可能になれば、公爵家の立場も危うくなる。
かといって、あのような王子にベアトリスを再び差し出すなど、両親には耐えがたいことだ。
議論の末、王家に連れ戻される事態を避けるため、そして何よりもベアトリスの安全と自由を確保するため、彼女を不可侵の森へ送ることが決まった。
「もし万が一、王家が私を追って森まで来たとしても、彼らと縁付くくらいなら死を選びます」
ベアトリスは、両親にそう告げた。
そして、自らに『森から出たら灰になる』という魔術をかける意を隠すことはしない。
両親は勿論、娘の命に関わることに激しく反対したが、ベアトリスの眼差しは、どんな説得も跳ね返すほどの固い決意に満ちている。
頑固な娘の意志を尊重するしかないと悟った両親は、ついにその選択を支持。
ベアトリスは、公爵家の屋敷を後にし、深い森の奥へと足を踏み入れた。
更に数日後。
王宮でしこたま怒られた第一王子が、不可侵の森へやって来た。
彼は、ベアトリスを追いかけてきた理由を告げる。
「婚約破棄は白紙撤回になった。王家がそれを望んでいる」
あれだけの招待客の前でやらかしといて、今さら何が白紙撤回なのか?
ベアトリスは内心で首を傾げる。
「殿下、私はもう婚約者に戻る気はございません。それに、この森から出ると灰になってしまうのです」
ベアトリスは冷静に状況を説明した。
しかし、第一王子はその言葉を信じようとしない。
「何を馬鹿なことを言っている! 早く戻るぞ!」
苛立ち、無理やりベアトリスの左腕を掴んで森の外へ引きずり出した。
その瞬間、ベアトリスの左の肘から先が、まるで古びた紙が燃え尽きるかのように、みるみるうちに灰と化し、風に舞い散る。
その光景を目の当たりにした王子と護衛達は、言葉を失い、恐怖に顔を歪ませ。
慌てて王城に戻った第一王子は、依然として自己保身に走り、正確な状況を王家に伝えようとはしなかった。
しかし、同行していた護衛達は、公爵令嬢の腕を失わせてしまったという罪悪感から、起こったことの全てを包み隠さず王家に話す。
ベアトリスの腕が灰になったこと、彼女が「森から出ると灰になる」という魔術をかけていたこと、そして、それを第一王子が信じずに強引に森から引きずり出したこと。
事の重大さに青ざめた王家は、今度は第二王子をベアトリスの元へと送り出すことにした。
既に第二王子には別の婚約者がいたが、王家は構うことなく、その婚約を一方的に白紙撤回した上で、彼をベアトリスの許へ向かわせたのだ。
不可侵の森で再び王族と対面することになったベアトリスは、内心辟易としていた。
今度は第二王子。
一体いつまでこんな茶番に付き合わされるのか。
「第二王子殿下の婚約者の方に、申し訳が立ちませんわ」
ベアトリスは、オブラートに包んだ言葉で、やんわりと断りの意を示した。
しかし、第二王子は、妙に熱のこもった眼差しでベアトリスを見つめ、聞くに堪えない言葉を並べ立て始める。
「いえ、私の婚約者には他に想い人がいるのです」
ベアトリスは呆れた。
それが婚約を一方的に破棄していい理由になるはずがない。
「それに……私の初恋は、貴女だったのです、ベアトリス嬢」
この男は何を言っているんだ。
ベアトリスは、心の中で呟いた。
彼の婚約者に想い人がいようが、彼の初恋が誰であろうが、私には一切関係ない。
年頃の令嬢との婚約を白紙撤回する理由にはならないし、今さらそんな個人的な感情を言われても困る、というのがベアトリスの偽らざる本音だ。
こちらの意見を曲解するのは血筋なのだろうか。
やんわりと断っても全く伝わらないことに気づいたベアトリスは、きっぱりと言い放つ。
「第一王子殿下の弟である貴方との未来はありえません」
その言葉にも怯むことなく、第二王子はさらに意味不明なことを言い始めた。
「ご安心ください、ベアトリス嬢。第一王子には二度と貴女に関わらせません。私が、全てからお守りします」
ベアトリスは深々と息を吐きながら、動かせない現実を突きつけることにする。
「殿下は、全ての血液を入れ替えることなど出来ないでしょう? 貴方は、第一王子殿下と血を分けたご兄弟。その事実は、どうやっても覆すことのできない現実でございます」
それは、第一王子と同じ血が流れている限り、王家と縁を持つことはあり得ないという、ベアトリスの揺るぎない拒絶だった。
血縁という、変えようのない現実を突きつけられた第二王子は、漸くこちらの意思を正しく受け止め。
意気消沈し、肩を落として森を去っていった。
第二王子を見送ることなく、ベアトリスは静かに青空を仰ぐ。
失った腕を含むこれまでの苦悩、王家とのしがらみ。
それら全てから解放されたかのように、彼女の心には晴れ晴れとした気持ちが広がって。
これからは誰にも縛られない、自由な明日が待っている。
ベアトリスは、新しい人生への希望を胸に、静かに未来を思い描くのだった。
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