ナーディミア・フラウの苦労
「母上!」
温かな陽光が声の主の銀髪に降り注ぎ、辺りを淡く照らした。長く細い絹のような髪が揺れる度、その一角だけはスポットライトを浴びて光が舞う。
愛犬かと錯覚するほどに懐き、愛嬌を振りまく様は垂れた眦もあってどうにも悪めない。
勇者、イゼルド・コードヴェリア
未来から来た彼は私の未来の息子らしい。
「学園で母はやめてと何度言えばわかってもらえるのかしら…」
強大な戦闘力を誇るとは到底思えない彼は手を振って満面の笑みを零している。
「母上。今から父上とデートですか?!」
「そんな訳ないでしょう」
彼は両親のイチャイチャ学園生活を見るためだけに未来からはるばるやって来たのだそうだ。
因みに父親は何千年もの時を生きる勇者、ノルディス・コードヴェリアだと主張を繰り返している。
今の所一切の接点がない相手だ。
「これからライブラリーにて自習をするのです。貴方の言う勇者・ノルディスと私は赤の他人ですの。以前にも申し上げましたが、どなたかとお間違えになっているのではなくって?」
一般生徒にこんなことを言わせないで欲しい。勇者の機嫌を損ねたら大体の生命は一瞬で吹き飛ばされるのだから。
「それだけは絶対にあり得ません。父上に学生時代の母上の絵姿を拝見させていただきましたから!」
今回も折れてくれなかった。どうすれば分かってもらえるのだろうか?
「私が在籍する二年間。一度もお話しすらしたことないのですよ?」
「知っていますよ!母上と父上が親しくなるきっかけはもうすぐ来ますから」
「来るといいですけれどね」
確信めいたその言葉に言い返す気は失せる。けれど、懐疑的ではある。
「ミア」
長く垂れた銀髪は一筋の乱れなく背に沿って流れる。研ぎ澄まされた剣を彷彿とさせる怜悧さと思慮の影がネイビーブルーの瞳に宿り、誰もが自然と頭を垂れてしまいような存在感が彼にはあった。
これが勇者なのだと身に沁みる。
「はい。どうか致しましたか?」
「そのように他人行儀にならずともよいではないか。将来、俺たちは夫婦の契りを交わすというのに」
思い知ったはずだった。それがどうしてこうなったのか、未だに理解が追い付いていない。
しかし、ハチミツの融けた瞳が甘やかに弧を描いている。
ナーディミア・フラウは先日、初めて決闘を観戦しに行った。
友人に誘われて訪れたコロシアムでの勇者同士の決闘は心に恐怖を刻み込まれるものだった。
何をしているのか、何をしたのか。何も理解が出来なかった。
最先端防御システムがあると頭では理解していても、その戦闘の激しさに心と身体は震えを抑えられなかった。
そして、事は起こった。
勇者から繰り出される衝撃波に最先端の防御システムは耐えきれずに機能を失ったのだ。
観客席は大混乱に包まれ、逃げ惑う人達で出入り口は混雑して。
逃げなくてはと腰を上げた時にはもう遅かった。
頭上に瓦礫が降ってきている。
圧死するのだと、ゆっくりと流れる時間の中走馬灯が駆け抜けていった。
しかし、閉じた瞼の先に、痛みは訪れなかった。
「何をしている」
ノルディス・コードヴェリア
艶やかな銀髪を靡かせるその後ろ姿は神々しくて、高圧的で。
彼は二階以上の高さがあるそこから舞台に降りていった。硬直した身体は気力を奪っていて、その場から動くことも出来ない。
どれだけの時間そうしていたか分からない。
ふっと影が差して視線を上げた先には助けてくれた勇者・ノルディスがこちらを見降ろしていた。
そしてなぜか、その瞳をみるみるうちに見開いていき…。
「そなた。名は?」
「…ナーディミア・フラウ、ですわ」
名前を聞かれるままに答えた。
勇者・ノルディスは反芻するように唇を動かしていた、ように思う。
そして。
「ナーディミア。俺の妻になってくれ」
砂埃が舞い瓦礫の散乱したコロシアムで、唐突にプロポーズされた。
「父上!母上!」
勇者・イゼルドが遠くから大振りに手を振って駆けてくる。
合流した彼は頗る機嫌がいい。
「今から昼食ですか?!ご一緒してもいいですか?」
「却下だ」
「ええ~!?何でですかぁ」
尻尾の振って懐く勇者・イゼルドを邪険に追い返す勇者・ノルディス。
最近はよく見る光景として順当に受け入れられつつある。
「おやめください。他の方々に迷惑ですわ」
ただ、武力で解決しようとするのはいかがかと思う。お陰様で最近ではティーチャー達から二人のストッパーとして期待を寄せられてしまっている。
「母上はどう思いますか?母上が決めて下さい」
「ミア。俺とふたりがいいだろう?」
その諍いを収めるのはナーディミア・フラウだとして定着したのは解せない。サンコイチ扱いされているのはもっと解せない。
冷徹無比で好きな人には甘々な勇者とわんこ系息子勇者と一般女生徒。