ティーチャー・ミレルの苦悩
世間一般にとっては奇跡の世代。
教師にとっては胃痛・頭痛・腹痛・眩暈・不眠…すべてのストレスの根源。
最悪の世代だ。
今日も今日とて派閥抗争が校内で繰り広げられている事だろう。それを阻止しに行く教師の顔は死地に赴く勇敢為る戦士の如く。
また、現実は無常だ。
「ティーチャー・ミレルだけですか?!第三カフェテリアでまた…!」
「…今行きます」
支える重みを失った椅子からキィ…と虚しい音が鳴った。出来ることならばずっと腰かけて茶をしばきたい。
最期にスタッフルームで優雅な採点をしたのはいつだったかな…。
半ば意識を手放しかける憐れな教師が足を踏み込むのは、過酷な戦場だ。
「スゥ……君達!何をしているのですか!」
目的の第三カフェテリアにはランチ時ともあって100人近い生徒がいた。大体その半数が中立派。そして半数がどちらかの派閥に与する。
ひとりで立ち向かうとか無謀以外の何者でもない。鬼畜過ぎる。
しかも、ここに居るのは一般生徒だけではない。
「何もしておりません。少し、意見の相違がありまして」
物腰の穏やかさに調和する柔らかな栗色の髪がシャンデリアの光源を受けて優しく煌びやかな光をたたえている。それに対してミッドナイトブルーの瞳には、深海のような仄暗さと冷たさが宿る。
セラヴィス・ルシファー、神殿の勇者だ。
そして、一方は。
「ただのディスカッションだったとでも言うつもりか?」
フェルディオル・グランデ、教会の勇者。
黒曜石のような硬質な髪。切れ長の瞳が鋭く光り、鋼の如く引き締まった身体がただただ立っているだけで威圧感を放つ。
生命としての格を本能に叩き込まれて教師としてではなく、ひとりの一人間として背筋が震えあがった。
「、…今回は、何があったのですか?」
絞り出した言葉は教師の威厳など皆無に等しい。それでもこの場においては素晴らしいとよくやったと自分で自分を褒めたい。
「いえ。我が神を侮辱するものですから、つい。異端邪宗の徒を目覚めさせてあげようと思いまして」
「侮辱してはいない。天神地祇は俺たちすべての言動を見ている。常に如何なる時も勇者としての誇りを欠いてはならないと言っただけだ」
セラヴィスは、主神以外は認めない敬虔な狂信者。
フェルディオルは、神は一柱ではなく幾重幾多の神々が存在しているというアニミズム信奉者。
毎度毎度代わり映えのない喧嘩に飽きないものか。
それに対応させられて覇気を浴びせられるこっちの身にもなって欲しい。切実に飽きて。
「前にも説明しましたが、我が校では特定の宗教を贔屓しません。誰がどの信者であろうとも」
「しかし」
「しかしも是非もありません。勇者であろうとも学園内では皆平等。放課後、カウンセリングルームへ来なさい」
最近整えられたマニュアル通りの定型文で返答する。これ以上駄々を捏ねるようであれば反省文を追加してやる。
それが嫌なのか、不承不承ながらに受け入れた彼らは互いに正反対のテーブルに着いた。侍っていた取り巻き軍団は睨みつけてくるが、勇者と対峙している身からすれば屁でもない。
傍観していた生徒たちも騒ぎが収まったからか、いつものカフェテリアの空気感が流れる。
暴走するような理性のない勇者が問題を起こしてなかったことを喜ぶべきか、人外戦力は一律に一般人の非力さを理解してよと嘆くべきか。
生徒達と同様にランチを摂ろうとスタッフルームへの廊下を足早に歩く。
つい一、二年前はゆっくり楚々と歩んでいたのに。
「あ!ティーチャー・ミレル!助けて下さい!アルノルト様とフリーダ様が!」
…女生徒に助けを求められてしまった。要請に応じない訳にはいかない。
「…場所はどこですか?」
「第二グラウンドです!」
駆け付けたそこにはまたまた人集りができていた。人混みを掻き分けた中心部には一組の男女が口論をしている。
「フリーダ!何故私以外の者と剣を交わす?私という者がありながら!」
この一言だけで明確だが、アルノルト・ディフィーの愛は重い。
端正な顔立ちと一筋の傷跡。歴戦の猛者といった出で立ちは貫禄に溢れる。
実力だけで王家から勇者の称号を賜った鬼才とは思えない執着心だが。
「前にも言ったはずだ!貴殿とは学年が違うのだから剣術授業で他生徒と剣を交わすことがあると」
強く凛とした声主はフリーダ・ジュエル。
当時10歳となったばかりの彼女はいきなり姿を消した。その三年後、十六歳の姿で突如として再び現れたのが昨年の事。
そして、自身は異界で勇者をしていたと語った。
実力を確かめるために騎士団長と決闘して負かし、帰還した勇者として学園に通い始めたのが数か月前。
しかし、正論でぶん殴って解決するのならばこう何度も騒動になっていない。
「フリーダ!!!」
「ッ…!」
アルノルトが手にする模造剣を上段から振り下ろした。それを難なく受け止めるフリーダ。
ふたりは幼少の頃から婚約者だった。しかし、フリーダが行方不明となって一度婚約は破棄になったという。それから三年間、アルノルトは勇者と認められるほどに鍛錬を積み、功績を上げ、フリーダを探し続けたらしい。
帰還した当時は互いの勇者という肩書が婚約を阻んだのだとか。
巷では美談として舞台や書籍化もされる、一途な恋模様…
だけで済めばよかったのだが。
「そこまでになさい!」
叱責を合図にピタリと動きが止まった。
「勇者・アルノルト!剣で語らずとも言葉で語りなさい」
「決闘こそ心と心の対話だ!」
厳しい鍛錬を長年継続し、愛しのフリーダを追い続けた結果。脳筋執着勇者となってしまったのだ。
残念極まりない。
「勇者・フリーダ。貴方も同じ意見でしょうか?」
「いいえ。決闘は決闘、対話は対話です」
「だそうです。放課後、ミーティングルームを貸し出します。そこでしっかりとお互いに納得がいくまで話し合いなさい」
以前も同様の対処をした。にも拘わらず、この決闘騒動。力づくで止めに入って怪我人を量産しなかっただけマシだ。
やめてくれ、切実に。
どうせ明日には仲睦まじくイチャイチャランチするのだから。
リア充は爆発すればいいと思う。
ようやくスタッフルームに帰還した。
戻ってきている教師は誰もいない。
しかし、勇者がいた。
「何をしているのですか。勇者・アマネ?」
アマネ・イツキ、異界の勇者。
ある日突然神からのお告げがあり、地上に舞い降りたのが彼だ。
艶のあるブロンドはしなやかで瞳も人を惹き付ける黄金だが、本来の色彩は黒らしい。他の勇者に比べて身長の低く幼い容姿の彼は色彩の神々しさと相まって神の御使い様のよう。
「ミレル先生のお弁当食べてる。おいしいね?」
本人曰く、天に届く嶺でアマネなのだそう。
何処がだ。ゆるゆるのふにゃふにゃではないか。
「人の物を盗むのは犯罪だと何度言わせるのですか?」
「前にまた食べさせてくれるって言った」
「言ってません。食べるのに困ったら言いなさいと言っただけです」
「なら、しかたないでしょう?勇者なのに後ろ盾がなくて金欠なんだよ。可哀想だと思わない?」
「思いません。知っているのですよ?貴方が討伐で稼いでいる事も、後ろ盾争いをしている王族や教会に神殿、それらのファンや信者の方々にも貢がれている事も」
「そっかぁ、残念。次からは違う言い訳を考えておくね」
勇者・アマネから取り返したお弁当箱は既に空っぽだった。どうにか騒ぎを鎮静化させて食事にありつけたというのにあんまりではないか。
「その前に説教です」
「おいしかったよ。また食べさせてね」
「!待ちなさい!」
勇者・アマネは霧となって姿を消した。残ったのは空のお弁当箱とさっきはなかった高級そうな小箱だけ。
こんな物を用意できるのなら食事の一回や二回摂れるだろうという文句はひとまず置いておくとして。
問題の小箱の梱包を解くと、小振りな宝石が飾られたイヤリングだった。華美過ぎないそれは自分好みではないにしろ、生徒から貰うのは流石にマズい。お弁当の対価だとしてもだ。
後日返却することは確定として、自信作の照り焼きチキンサンドウィッチを楽しみに頑張ったのに。
…カフェテリアに行こう。まだ間に合う。
「すみません!勇者様が北校舎を半壊させてティーチャー・リッツが瓦礫の生き埋めに!」
「…すぐに行きます」
昼食抜きが今確定した。勇者は教師に恨みでもあるのだろうか。
勇者案件の対応に授業、放課後のメンタルケア、翌日の授業準備…
昼食抜きの休憩なしでよくやり切ったと自分を労わりたい。
帰宅したら、一杯やりながら夕食を済ませてとっとと寝よう。
「ティーチャー居ますか?!寮が半棟氷漬けになってしまって!ど、どうしたら…」
勇者は教師に恨みがある、絶対に。
そして、教師も勇者を恨んでいるぞ。確実に。
「すぐに対処しますね…」
騒ぎを鎮静させに行くついでに勇者・アマネの自室にイヤリングを返還してこよう。居なかったら寮官に預けよう。
重い脚を寮へ向けて歩き出す。
ご飯を食べさせてほしい
帰らせてほしい
問題を起こさないでほしい
至急、教職員の賃上げと業務改善を希望する。
天然転移勇者×苦労人転生教師