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白い結婚をめぐる二年の攻防

作者: 藍田ひびき

「俺は君のように生意気な女性は好みじゃない」


 何言ってるんだろう、この人……。


 シルヴィアはぽかんと間抜けな顔を晒してしまった。淑女としては少々はしたない態度だが、状況的にそれも仕方ないだろう。


 今日はシルヴィアと婚約予定であるエグモント・ハグマイヤー子爵令息との初顔合わせだ。

 つまり、彼は自分と婚約する気はないということだろうか?既にハグマイヤー子爵からは了承の返事を貰っている筈だけれど……とシルヴィアは首を傾げる。そんな彼女の様子に全く頓着せず、エグモントは鼻を膨らまし気味に話し続けた。


「君は先代のキースリング伯爵亡きあと、跡を継いで領地経営をやっているそうじゃないか」

「ええ、父の子供は私しかいませんから。私が婿を取って爵位を継ぐしかありませんわ」

「領地経営なんて男の仕事だ。女性は子を産み育て、家政を守りご夫人との社交に勤しむ。それが正しい役割分担だ。そう思わないか?」

「……まあ、そういう考え方もあるでしょうね」

「だろう?」


 肯定した覚えは全くない。

 だがエグモントは同意を得たと思ったらしく、さらりと金髪をかきあげながら流し目でこちらを見た。

 深い蒼の瞳に整った鼻梁は美形の部類に入るかもしれない。だが残念ながら、シルヴィアは容姿で婿を選ぶような令嬢ではなかった。それにエグモントの自意識過剰な仕草はどうにも彼女を苛立たせる。それを口にするほど無礼ではないため黙っているけれど。

 

「だからね、当主は夫へと譲るべきだ。表向きのことは俺がやる。君は出しゃばらず、女性としての仕事を全うしたらいい。そうしたら、愛してあげなくもないよ?」

「はぁ……」


 エグモントは好き勝手に喋りまくった後、「その眼鏡はみっともないから止めた方がいい。それにもう少し女性らしく華やかな服装にすべきだ。俺はみっともない女と一緒に歩くのは御免だからね」と言い放って去っていった。


「……彼は何を勘違いしてらっしゃるのかしら」

「なんだか凄い方でしたねえ。お嬢様、本当にあの方とご結婚なさるのですか?」

 

 傍らで一部始終を見ていた侍女アンナの問いに、シルヴィアは「仕方ないじゃない。他に選択肢がないのだから」と溜め息を吐きながら答えた。



 ◇ ◇ ◇


 

 そもそもこの縁談を持ってきたのはシルヴィアの叔父、バルドゥル・フックス子爵である。


 この叔父は長年、父の悩みの種であった。若い頃から放蕩者で金遣いが荒く、亡き祖父母は彼の行く末を心配して何度も叱っていたらしい。

 成人して多少は落ち着いたかとフックス子爵家へ婿養子に出したのだが、そちらでもあまり評判は良くなかった。先物取引に手を出してみたり、怪しげな商売に飛びついたり……。そうして困ると兄のキースリング伯爵へ泣きついてくるのだ。


 キースリング伯爵は危惧した。妻は既に亡く、自らの子供はシルヴィアのみ。この国では近年の法改正により女性の爵位継承が認められたが、まだまだ男性が爵位を継ぐべきという風潮が残っていた。もし自分にもしものことがあれば、弟バルドゥルがキースリングの爵位と財産を狙ってくるのは目に見えている。


 そこでキースリング伯爵はどんな抜け道も逃さぬように事細かく記載した遺言書を作成し、第三者に預けた。その後しばらくして突然の病に倒れた彼はそのまま還らぬ人となり、遺産も爵位も全てシルヴィアが受け取ることになったのだ。

 ちなみにバルドゥルの手元には銅貨一枚たりとも渡らなかった。叔父はさぞや荒れ狂うだろうと思っていたが、何も言ってこない。その静けさがシルヴィアにとっては却って不気味であった。



「喜べ、シルヴィア。儂が婿を見繕ってやったぞ」


 遺産相続こそ何とか終わったものの、慣れない領地経営と社交に睡眠時間を削られてふらふらのシルヴィアへ、バルドゥルが大量の釣り書きを持ってきたのが一か月前のこと。

 婿の選定なぞ頼んだ覚えもない。さらに持ってきた縁談相手は、社交界で問題があると噂される令息ばかりだった。


「叔父様、この中には私に釣り合う殿方はいらっしゃいませんわ」

「我儘を言うな!せっかく婚約者のいないお前のために探してきてやったのに」

「……その労力を別の事に使えばいいのに」


 相手に聞こえぬよう、シルヴィアはボソッと呟いた。逆にどうやったらこんなに問題児ばかり集められるのか聞きたいくらいだ。


 こんなことだろうと思っていた。大方、問題のある婿を当てがってシルヴィアの手に負えなくなることを狙っているのだろう。そして「やはり女に当主は無理だ」と己が割り込むつもりに決まっている。

 

「何か言ったか?」

「いえ、何も」

「とにかく、これは分家の総意でもあるのだ。絶対にこの中から婿を選ぶんだぞ」


 何が分家の総意だと、シルヴィアは内心毒づく。前伯爵の弟という立場を利用して無理矢理合意を取ったに違いない。放蕩ぶりが知られているとはいえ叔父の爵位継承順位はシルヴィアに次ぐ位置であり、年若い彼女より発言権があることもまた事実だった。

 

「分かりました。吟味してお答えしますので、しばらくお待ちくださいませ」


 そうして白羽の矢を立てたのが、ハグマイヤー子爵の次男であるエグモントだった。シルヴィアにとってみれば消去法で選んだだけの相手である。

 初顔合わせで先行きに多大な不安はあったものの、叔父の強い薦めもありシルヴィアとエグモントはそのまま婚約。次の春には結婚と相成った。ちなみに婿入りの為、新居はキースリング伯爵邸である。



「なんだその色気のない格好は。眼鏡を止めたことは認めてやるが、もう少し男にやる気を出させる服を用意できなかったのか!」

 

 結婚式を終えて初夜を迎えるべく夫婦の寝室を訪れたエグモントは、唾を飛ばしながら新妻を怒りつけた。

 

 確かに今夜のシルヴィアはスケスケ夜着などではなく、ぴっちりと首までしまった服を着ているし、室内にはアンナも待機している。よく考えればその意味が分かりそうなものだが……この頭の足らない夫には理解できないようだ。

 

「こんなんじゃあ抱く気にもならない。それに以前言った通り、女だてらに男の仕事をするような生意気な女は嫌なんだ。……だが、君の態度次第では考えを変えてもいい」

「どのような態度ですか?」


 夫は「やれやれ、君は本当に鈍いなあ」と大げさな手振りで溜め息を吐いてみせた。


「伯爵家当主は俺に任せろと言っているんだ。そうすれば君を正式に伯爵夫人として認めるし、妻として愛する努力をしてもいい」 

「父の遺言により、キースリング家の血を引かない者に爵位は渡せません。それに、そもそも前提が間違っていますわ。私どもの結婚は政略によるもの。私は貴方を愛しておりませんし、愛して欲しいとも思っていません」

 

 正式もなにも結婚式を挙げて届け出が済んでいるのだから、エグモントが認めようが認めまいが自分たちは正式な夫婦である。

 また最初に愛がなくとも、真っ当な夫婦であれば穏やかに愛情を育んでいけるかもしれない。だがシルヴィアにはこの男に愛情を持てる気がしなかった。

 

「嘘を吐くな。君が俺に惚れたから、我が家へ結婚を申し込んできたのだろう?」

「そんな事実はありませんが」

 

 どうやら叔父が「シルヴィアがどうしてもエグモント君と結婚したいと言いましてな」と調子の良いことを言ったらしい。どこまでも傍迷惑な親類である。

 

「君がそうやって意地を張る限り、閨事は無しだ。このまま白い結婚が続いたら……これを使う羽目になるかもね?」


 そう言いながらエグモントがぴらりと出したのは、記入済みの離縁申請書だった。この国では白い結婚を二年間保てば離縁の正当な理由として認められる。大抵は妻がまだ幼い場合や元々離縁が前提であるなど、よほどの事情があるケースで利用されるものだ。

 

「白い結婚で離縁されたなどと、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を」

「分かりました。二年間閨事が無ければ離縁ということですね」


 シルヴィアはエグモントの手からさっと申請書を奪い取ると、「え、いやその」と慌てる夫を無視して侍女へ手渡した。

 

「この申請書は大切に保管しておきますわね。アンナ、外にいるフリッツに渡して頂戴」

「はい」

「おい、ちょっと待て……クソっ、早い!」


 部屋の外で待機していた執事フリッツは書類を受け取るなり、足音一つ立てず滑るように猛スピードで去っていった。どうやって走っているのかはシルヴィアにも謎である。


 その後、夫は「私が悪かったと謝れば抱いてやってもいいと思っていたのに……。いいか、君が頭を下げるまで絶対に閨を共にはしないからな!よく反省しろ」と捨て台詞を吐きながら寝室を出て行った。



 翌朝、シルヴィアは大変気分よく目覚めた。一人になったおかげで快眠出来たし、()()も果たせたからだ。ふんふんと鼻歌を歌いながら朝食の席へ着いたシルヴィアへ「おはようございます、奥様」と執事が話しかけてくる。

 

「おはよう、フリッツ。離縁申請書はちゃんと隠した?」

「はい。金庫に仕舞ってございます。あの……エグモント様が『あれはお飾りの妻だから伯爵夫人として扱う必要はない。使用人たちにもそう伝えておけ』と」

「……無視していいわ」


 勘違いもここに極まれり。伯爵はシルヴィアであり、彼はその配偶者に過ぎないのに。


 それからも夫は毎日のように「どうだ、謝る気になったか?」「そろそろ我慢できなくなってきただろう」と絡んできた。シルヴィアは「いえ全く」「今忙しいので」とスルーしているのだが。暇なのだろうか。

 

「おい、寝室に鍵がかかっていたぞ!」


 ある朝、エグモントがぷりぷりと怒りながらシルヴィアの執務室へ突撃してきた。

 

「まあ、気付きませんでしたわ。申し訳ありません。私、寝つきが悪いたちで。睡眠を邪魔されたくないので、鍵を掛けるようにしておりますの」

「どういうつもりだ。妻ならば、いつでも夫を迎えられるようにしておくべきだろうが!」

「私が謝罪するまで房事は無しだったのでは?」


 自分で言ったことを忘れていたらしい。舌打ちをして去っていく夫を見送りつつ、シルヴィアは執事に「護衛の追加を。信頼できる者を4名用意して頂戴」と命じる。

 

 嫌な予感がするので、部屋の前に護衛を配置した。4名なのは2名ずつ交代勤務させるためである。

 案の定、夜中にエグモントが忍び込んできたらしい。手には釘抜き(バール)のようなものを持っていたから、鍵をこじ開けるつもりだったのだろう。「奥様はお休み中です。誰も入れるなと言われております」と護衛に追い払われ、怒りながら去っていったそうだ。


 

「シルヴィア様、エグモント様がお客人を連れて来られたのですが……」

 

 数日間の領地見回りから帰ったシルヴィアを待っていたのは、困り顔のフリッツだった。トラブルであろうことは察しが付く。叔父もそうだが、次から次へと厄介ごとを起こす者が身内にいるのは本当に面倒である。


「しばらく滞在させると仰ったのですが、その」


 いつもは明瞭に話す有能執事が珍しく口ごもっている。ようよう聞き出してみると……夫は愛人を連れ込んだらしい。知人だと言い張っているが、夜間に響き渡る嬌声を使用人たちが聞いている。しかも愛人は女主人気取りで「もっと良い食事を出せ」「ドレスを用意しろ、商人を呼べ」と偉そうに命じてくるとか。


「お客様がいらしてるそうですね」

「ああ。お前と違って愛らしい女性だ。嫉妬しているのか?」


 ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべる夫へ、シルヴィアは冷たい目を向ける。結婚してから今まで、彼女は一度だって彼の前でしおらしい態度を見せたことはない。どうして嫉妬して貰えると思うのか、その思考回路が謎だ。


「愛人を連れ込むのは構いませんが、離れを使用してください。本邸には来客がいらっしゃることも多いですから」


 シルヴィアは「貴方と一緒に過ごせるほうが愛人の方も喜ぶでしょう」とエグモントを離れへ追いやった。何やら騒いでいたらしいが、シルヴィアとしては夫がいない方が楽なので構わない。


 「いずれは当主になるんだ、仕事をさせろ」というから書類仕事をやらせてみたら、遅い上に間違いだらけ。却って手間がかかるのだ。愛人と共に離れへ引き籠っていてくれたほうがよっぽど手が掛からない。

 釣り書きによれば一応は貴族学院を出ていたはずだが……その結果がアレでは、学費をどぶに捨てたようなものだ。ちなみに愛人が飲み食いした食べ物や購入したドレスや宝石、増えた使用人分の給料は夫の予算から差し引いておいた。


 時折、二人がこれ見よがしに腕を組んで庭を歩く姿を見掛ける。それを見たところでシルヴィアは何も感じない。胸の大きい女性が好みなのね、と思うくらいだ。

 しかし何をするでもなく窓の下をうろうろされるのは流石に鬱陶しい。彼女の意を汲んだ執事が「今から庭の手入れをしますので」と丁重に彼らを追い出してくれた。



「旦那様、来月アードラー侯爵家の夜会に招待されておりますの。共に出席なさってくださいね」

「俺はドレスなど贈らんからな」

「構いませんわ。私の予算から出しますし、旦那様の分も作っておきますわね」


 当日のエグモントは上機嫌だった。


「なかなか良い服だ」

「気に入って頂けて何よりですわ」

「君も今日の装いはなかなか美しいぞ。ま、ドレスのおかげだろうが」

「それはどうも」

「ようやく素直になる気になったんだな」

 

 ドレスを新調したのは招待者への礼儀を示すためであって夫のためではないのだが、何やら誤解しているらしい。

 しかも夜会の場では何故か彼は妻の傍を離れなかった。顔見知りの紳士へ挨拶をするたびに「夫のエグモントです」と自慢げに言うのだ。閉口したシルヴィアが「エグモント様も、お知り合いの方とお話すれば?」と言えば「俺がいない間に不貞相手と会うつもりか!」と怒り出す始末。

 愛人を連れ込んでいるお前が言うなと思ったが、シルヴィアは口を閉ざした。これ以上騒がれるとアードラー侯爵に迷惑が掛かるからだ。


 

「おい!開けろ!起きてるんだろう?明かりが見えたぞ」


 窮屈なドレスを脱いで自室で一息ついていたシルヴィアの耳に、騒ぎ声が聞こえた。夫が護衛と言い争っているらしい。今日は疲れているから早く寝たかったのだけれど……と溜め息を吐きながら彼女は夫を招き入れた。


「待たせやがって」と言いながら入ってきた夫はガウン姿だった。下には何も着ていないらしく、はだけた胸元から見たくもない肌が見えている。見せつけているつもりかもしれない。

 ニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべ、舌なめずりする夫に鳥肌が立つ。


「シルヴィア……」と近づいてきた夫に「まあまあ、まずはワインでも如何?」と酒を勧めた。

 

「君の気持は分かっている。恥ずかしがらずこっちへ来い」

「そんなに焦らないで。もう一杯如何です?」

 

 適当に相槌を打ちながらワインを飲ませているうちにエグモントは呂律が回らなくなり、ついにはソファに身体を預けてぐーぐーと寝息を立て始めた。念のためにと用意しておいた睡眠薬が効いたようだ。


「旦那様を寝室へ連れて行って頂戴な」

「はっ」


 護衛二人が夫を担ぎ上げる。ガウンがずれて一瞬汚いモノが見えたが、護衛が「申し訳ございません、奥様に見苦しいものを」と隠してくれた。そうして夫は、護衛にえっさほいさと運ばれていった。



「エグモントとは仲良くやっているのかしら」

「ええ、まあ」


 そんなこんなで一年ほど過ぎたある日のこと、エグモントの実母ハグマイヤー子爵夫人が訪ねてきた。夫は離れにいる。呼びに行かせはしたものの、本邸に戻ってくる間義母を一人にするわけにもいかずシルヴィアは彼女の話相手をしていた。

 

「やはりね、女性は夫を支えるのが一番なの。貴方もずっと気を張っているから、なかなか子供が出来ないのではなくて?表向きのことはあの子に任せて、貴方は家の事だけを考えたらいいと思うのよ……分かるでしょ?」

 

 余計なお世話という話だが、義母はねっとりとしつこく話し続ける。イライラも限界だ。ようやくやってきた夫に義母を押し付けると、シルヴィアは執務室へ急いで戻った。手掛けている事業でトラブルが起きており、義母の相手どころではないのだ。



「受注先のリストだ。これだけあれば、在庫分は何とかなるだろう?」

「本当に助かったわ、クリストフ」

「お役に立てたのなら良かった」

 

 シルヴィアと話しているのは、クリストフ・アレント男爵令息だ。アレント家の次男である彼は爵位こそないが、数々の事業を手掛けているやり手である。シルヴィアとは学院時代の同級生であり、在学中は成績を競い合ったものだ。

 

「それにしても……本当に、叔父様ときたら」

 

 キースリング領は織物に使用する植物が名産であり、それを使用した織物や服飾品が主産業だ。

 最近シルヴィアは他国から導入した新しい染め方を導入し、大々的に売り出す予定で販売ルートも確保していた。そこへ横槍を入れてきたのが叔父バルドゥルだ。

 彼は同じ染め物を他国から輸入し、先んじて売り出した。シルヴィアに対する嫌がらせであることは明白である。この国にはない色味を武器に売り出すはずだった新製品はあまり売れず、キースリング家は多数の在庫を抱えてしまった。


 そこで相談した相手がクリストフである。

 彼の伝手を辿り、劇場の人気女優にキースリング産の新作織物を使ったドレスを着て貰ったのだ。また劇場のポスターにはキースリング産であることを明記。女優の熱狂ファンから注文が殺到したため、何とか在庫を捌くことができた。

 さらにクリストフの案により余り布で財布やポシェットを作って売り出したところ、「ドレスは買えないが小物なら」という平民の女性たちにバカ受けした。今後は生産ラインを増やすことも視野に入れている。

 

 今回は何とか対応できたものの、今後も似たような妨害工作を仕掛けてくることは目に見えている。

 面倒ごとは叔父だけではない。最近はエグモントからの攻勢も激しくなってきた。離縁期限の二年が近づいているからだろう。

 護衛に金を渡して「これをやるから一晩離れていろ」と命じたこともあったらしい。勿論、護衛たちは断った。金で主人を裏切るようなタチの悪い者は雇っていない。

 

「そろそろ消えて貰いましょうか。……叔父様も、あの人も」


 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「いい?最初にガツンと言ってやるのよ。夫婦は最初が肝心なの!」


 シルヴィア・キースリングとの婚約話が持ち上がった時、母はそう言って俺を焚きつけた。


「最初にこちらが上だと思わせるのよ。そして伯爵位を貴方に譲るよう命じなさい」

「分かりました、母上」

 

 キースリング伯爵家からは是非俺を婿にと言ってきたらしい。自分で言うのもなんだが、俺は容姿がいいので女に不自由したことはない。シルヴィアに会った覚えはないが俺をどこかで見初めたのかもしれないな。うまく行けば俺は伯爵だ。父や兄より上の爵位を持てると思うと、心がはやる。


 会ってみるとシルヴィアは地味な女だった。しかも女の癖に眼鏡を掛けている。美人だと聞いて期待していたのに、がっかりだ。


 初めての顔合わせで、俺は母の言いつけ通りに「生意気な女は嫌いだ」と言ってやった。きょとんとした顔をしていたけど、内心はさぞショックを受けていただろう。帰ってから泣いていたかもしれない。

 これでシルヴィアは俺の言いなりになるだろう。なんたって、彼女は俺を好いているのだから。


 勇んで初夜に挑もうとした俺は、シルヴィアの格好に愕然とした。眼鏡こそ外していたものの、地味な夜着を着込んでいたのだ。なんて無粋な女だと怒りつけてやった。

 優位に立っているうちに従わせるべく爵位を譲るよう勧めたが、妻は拒否した。しかも俺を愛してない、なんて可愛げのないことを言う。

 俺が怒りつけたから意地を張ってるんだろう。素直になれば抱いてやるつもりだったのに……。腹が立って「お前が謝るまで閨は共にしない」と言ってやった。


 すぐに妻は折れるだろうと思っていた。しかし一向に謝ってこない。なんて意地っ張りなんだ。


 いい加減、下半身の我慢も限界になって妻の寝室へ行ったら、鍵が掛かっていた。

「おい、開けろ!」と怒鳴ったが出てこない。翌日怒りつけたところ、寝ていたので気付かなかったと言う。

 

 鍵なんて壊してやろうと道具を手に忍び込んだら、護衛に止められた。何で妻の寝室に護衛がいるんだ。俺の部屋にはついていないのに。

 

「奥様はお休み中です。お引き取りを」

「いいから通せ!お前たちの主人は誰だと思ってるんだ!」


 奴らは「奥様です」と澄まし顔で答えた。お前たちの給料はシルヴィアが払っているんだろう?その金は夫である俺のものでもあるというのに。それを理解できないとは、なんて頭の悪い護衛だ。

 俺が当主になったら全員解雇してやる。


 全然言うことを聞かない妻に苛立った俺は、イザベラを屋敷へ呼びつけた。以前付き合っていた女で、妻とはうまく行ってないと話すとすぐに飛びついてきた。愛人を連れ帰れば妻は焦るだろう。ちょっと意地悪だとは思うが、いつまでも素直にならないシルヴィア(あいつ)が悪いんだ。


「エグモントぉ~。いずれは私を妻にしてくれるんでしょ?」

「まあ、そのうちにな」


 イザベラは俺が当主となった暁には、自分が正妻になれると思い込んでいる。バカな女だ。平民女が伯爵の正妻になれるわけないだろう。妻と閨を共にするという目的を果たしたらすぐに手を切るつもりだ。

 

 だけど妻は嫉妬するどころか、俺を離れへ追いやった。こっちへ顔を出す気配すらない。わざと執務室の窓のそばをイザベラとイチャつきながら歩いて見せたけれど、庭の手入れ中だと追い出されてしまった。

 シルヴィアは俺を愛しているはずだ。伯爵家なら他にも縁談はあっただろうに、俺を選んだのだから。意地を張るのもいい加減にしてほしい。跡継ぎだって必要なのだから。


 

「旦那様、来月アードラー侯爵家の夜会に招待されておりますの。共に出席なさってくださいね」

「俺はドレスなど贈らんからな」

 

 可愛げのない妻に贈り物をする必要は無いと思ってそう答えたが、シルヴィアは俺の礼服を仕立てて贈ってきた。なかなか上等な服で、妻のドレスとは揃いの色だ。

 なかなか愛らしいことをするじゃないか。それに正装のシルヴィアは見違えるように美しい。

 

 夜会の場では男たちが盛んに妻へ話しかけてきた。シルヴィアは呑気に彼らと会話をしているが……チラチラと彼女を盗み見る男どもの目線に気付かないのか?これだからお嬢様育ちは。


「シルヴィア。もう帰ろう」

「え、でもまだ挨拶してない方が」

「俺は疲れたんだ」

 

 妻を急かして家路へと急いだ。

 イザベラほどじゃないが、空いた胸元から見える谷間はなかなかのものだった。今夜こそ、妻と一つになるんだ……。


 だが翌朝、俺は酷い頭痛と共に目を覚ました。夕べは妻が寝てしまう前にと寝室へ入り込んだはずだ。そこでワインを勧められた後は記憶にない。

 服は着たままだから、何もなかったことは一目瞭然だ。疲れて寝てしまったのだろうか。なんてことだ。千載一遇のチャンスだったのに……!



「お前、妻とはうまくいってるんだろうね?なかなか子供が出来ないじゃないか」

「早く爵位を寄越すよう説得しなさいな。ここのところ物入りなのよ。こっちはキースリング家の財力を当てにしてるんだから」

「う、うん」


 不味い。両親には未だにシルヴィアと寝ていないとは言えない。

 もうすぐ二年だ。護衛に金を渡してみたり、昼間でもいいから襲おうと画策したが、全て空振りだった。シルヴィアだけでなく、執事や使用人まで何かと邪魔をしてくるのだ。

 


「旅行?」

「ええ。最近暑いから体調が良くなくて。ソナシアは今の季節でも涼しいらしいから、避暑に行きたいの。一緒にどうかしら」

 

 妻から旅行に誘われ、俺は快諾した。ようやく素直になる気になったのかと内心ほくそ笑む。

 しかし直前になってシルヴィアは「貴方、ごめんなさい。領地でトラブルがあったようなの」と言ってきた。

 

「誰かにやらせればいいだろう」

「領主じゃなきゃ対応できないのよ。先に行っててくれる?領地から直接向かうわ」

 

 幸先は悪いが、俺は怒らなかった。今は気分がいい。焦らずとも、旅先でゆっくり妻を抱けばいいんだ。

 ソナシアのホテルでゆるゆると酒を飲みながら待っていた俺の前へ現れたのは……イザベラだった。何故妻ではなく、こいつがいるんだ?

 

「私をサプライズ旅行へ連れて行ってくれるつもりだったんでしょ?ふふっ。奥様は置いてけぼり!愛されない女って気の毒ねぇ」

「あ、ああ……」


 妻からの言伝には「トラブルで手が離せないので、イザベラさんに代わってもらったわ。気分を悪くするかもしれないから、代理という事は彼女に内緒よ。楽しんできてね!」と書いてあった。仕方ないのでイザベラと逗留を楽しんだ。

 ……後になって、それをひどく後悔することになるのだが。



「長旅で疲れてるんだ。さっさと開けないか!」


 旅先から戻った俺たちを、門番は頑として中へ入れようとしない。しかもなぜか、見覚えのある家具や服が門前に山積みとなっている。


「エグモント……。あれ、私たちの荷物じゃない?」

「どういうことだ!?俺は伯爵家の当主だぞ。シルヴィアを呼べ!」

 

「伯爵家の当主はシルヴィア様です。また先日離縁は済んでおります。貴方は当家と何の関係もございません」

「俺は離婚などしていない!」

「離縁申請書は昨日受理されました。どうぞ、お引き取りを」


 なんだそれは……!?

 しばらく騒いでいると護衛がやってきて、俺たちは無理矢理馬車に乗せられた。行き先は実家のハグマイヤー子爵家だ。

 

 俺の顔を見た途端、母が「ちょっと!離縁ってどういうことなの!」と詰め寄ってきた。シルヴィアから「離縁したので息子さんを引き取って下さい」との連絡が届いたらしい。


「本当なのか、エグモント!お前、何をやらかしたんだ」

「ちょっとぉ~。アタシはどうなるの?」

「エグモント、何なのよこの女は!」


 両親から散々に責められた俺は、全てを白状した。二人とも怒髪天の勢いで俺を怒鳴りつける。

 

「まさか白い結婚だったなんて……。しかも愛人を連れ込むなんてバカな真似を」

「だって、母上が最初にガツンと言えというから」

「二年も閨を共にしてないなんて思ってなかったわよ!もう友人には息子が伯爵位を継ぐと話しちゃったのに。どうしてくれるのよ!」

「新しい事業だって始めたんだ。キースリング家の援助が無ければ破産するかもしれない」


 俺は何度もキースリング家を訪れてシルヴィアに会わせてくれと頼んだが、門前払いされた。

 母は離縁の無効を訴えたが、シルヴィアの純潔証明書を提示されて撃沈したらしい。いつの間にそんなものを取ったのだろうか。俺の実家の現状を知れば、シルヴィアは情に絆されて離縁を撤回するだろうと思っていたのに。


 結局、父の新規事業は取りやめとなったようだ。破産は何とか逃れたものの財政は厳しく、貴族とは思えないくらい質素な生活を強いられるようになった。母はずっとぶつぶつ文句を言っている。

 

「本当に無能だな、お前は。今まで何をしてたんだ?」

 

 役立たずを養う余裕は無いと実家から追い出された俺は、知り合いの家で使用人として働くことになった。そこでも役立たずと罵られる毎日。なぜ俺がこんな屈辱的な生活をしなければならないんだ……。

 


「シルヴィア、手を」


 下働きがやるようなお使いを押し付けられ、トボトボと歩く俺の耳に届いた声。思わずそちらを見ると、見慣れたキースリング伯爵家の紋章の入った馬車が止まっている。


 馬車から降り立った女性は確かにシルヴィアだった。水色のワンピースに包まれた体はふっくらとしており、纏められた髪から垂れる後れ毛が色っぽい。彼女はあんなに美しい女だったろうか……?

 

 俺は馬車へと駆け寄った。

 

 俺の顔を見れば、きっとシルヴィアは手を差し伸べてくれる。なんたって、彼女は俺を愛しているのだから。俺たちは今度こそ真の夫婦になるんだ。


 だけど俺のそんな考えはすぐに打ち砕かれた。


 シルヴィアは見知らぬ男にエスコートされていた。彼女は輝くような笑顔で男を見つめ、男の腕へ手を絡める。その瞳に宿る熱と二人の距離から、彼らがどういう関係なのかはひと目で分かった。


 あの男は誰だ。それに……あんな彼女は知らない。俺は妻からあんな蕩けるような顔を向けられたことは、一度だって無い。


 ようやく俺は気づいた。愛なんてなかった。俺は最初から、妻に愛されていなかったんだ。


 こちらに全く気付くことなく去っていく彼らを見送りながら、俺はその場に崩れ落ちた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ようやく方が付いたようだね」

「そうね。これで貴方を正式に夫としてお披露目できるわ」

 

 私室で午後のお茶を楽しむシルヴィアの前に座るのは、彼女の新しい夫クリストフだ。彼の手にある新聞には「フックス子爵家破産」の文字が躍っている。


 シルヴィアとクリストフは学院時代からの恋人であり、将来を誓い合った仲だ。だが父は彼らの結婚に反対していた。クリストフの優秀さや人柄は認めていたものの、アレント男爵家との結婚は伯爵家として利がないからだ。


 「卒業後は事業を起こして実績を上げる。きっと、キースリング伯爵家にとって有用な人間に成って見せる。その時にもう一度、求婚させて欲しい」と誓うクリストフを信じ、シルヴィアは婚約者を作らなかった。

 頑として婚約者を定めないシルヴィアと徐々に実業家として名を上げていくクリストフに、父は態度を軟化させつつあったのだが――その途上で亡くなってしまったのである。


 叔父による縁談の強硬な薦めを断る力は、残念ながらその頃のシルヴィアには無かった。今まで守ってくれていた父という盾も無い。


 だからシルヴィアは釣り書きの中から選んだ。なるべく頭の足りない、下半身の緩い男を。頭の良い男ではこちらの思い通りにならないかもしれない。またエグモントが女好きであり見目の良い恋人がいることも把握していた。

 彼と会う際、眼鏡をかけて地味な格好をしていたのはそのためだ。これならば自分には目を向けず、愛人を作ってくれるだろうと思っていた。

 そして不貞を理由に離縁を申し立てる想定だったが、自ら白い結婚を言い出してくれたのは幸いだった。当人は脅しのつもりだったのかもしれないが、シルヴィアにとっては願ってもない展開だったのである。

 

 二年の間、主人の意図を汲んだ使用人たちはエグモントを彼女へ近づけないよう尽力した。

 そしてその間にシルヴィアは当主として着実に力を付けたのだ。今まで叔父側についていた親類たちは、手の平を返して彼女へすり寄ってきた。元々、彼らは問題ばかり起こすバルドゥルに見切りをつけつつあったのである。


 機は熟したと考えたシルヴィアは「珍しい織物を見つけた。それを輸入して新製品を大々的に打ち出す」との偽情報を流した。


 案の定、叔父はすぐにその織物を大量に購入した。だが、それは南方でのみ人気のある薄い素材。北方にあるこの国では、暖を取れない素材には意味が無い。よく調べずに飛びついた叔父は、行く当てのない在庫を抱えることになったのである。

 叔父はシルヴィアへ泣きついてきたが「申し訳ありませんが、当家も在庫を抱えてるので……」と突き放した。


 結局叔父は破産し、フックス家の爵位は返上となった。子爵家の人たちは巻き込まれた形となったが、叔父同様にシルヴィアに嫌味を言ったり金を貸せと脅しをかけてくる連中だったので同情する気にはならない。

 

 叔父が在庫の対応で大わらわになっている隙に、シルヴィアは保管していた離縁申請書を提出した。離縁理由は勿論、白い結婚であったこと。神殿で純潔証明書を取っておいたのもそのためだ。記入済み申請書のおかげで調停とならず、手続きはスムーズに進んだ。

 そして離縁申請が受理されたことを確認し、シルヴィアは即座にクリストフと婚姻届けを提出したのである。

 

 本来ならば離縁時に幾ばくの財産分与がされるはずだが、エグモントには何も与えられなかった。婚姻時に彼が愛人と楽しんだ金額は、彼に与えられた予算をはるかに超えていたのだ。それを差し引いたら残るどころかマイナスだ。

 

「あの人を屋敷から追い出すまで、本っ当に落ち着いた心地がしなかったわ」

「こうして君と結婚できたのだから、俺は彼に感謝しているけれどね」

「本音は?」

「彼が君に触れたらと考えると気が狂いそうだった」


 クリストフは端正な眉を顰め、シルヴィアの身体を愛おしそうに抱き寄せる。

 

「あ。例え君が清い身体じゃなくとも、俺は受け入れるつもりだったからね?そこは勘違いしないでくれ」

「ふふ、分かっているわ」


 可愛い人ね、と言いながらシルヴィアは夫の頬へ口づけを落とす。


「心配しなくても良かったのに。私はあの人に身体を許すつもりも、まして愛するつもりも無かったわ。最初からね」




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挿絵(By みてみん)

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パパンの死のタイミング的に、クソ叔父に盛られたりしない? クソ叔父もパパンと同じ病気になってもらった方が良かったんジャマイカ?
「例え君が清い身体じゃなくとも、俺は受け入れるつもりだったからね?」 男尊女卑社会なら仕方ないのかもしれないけどなんか上から目線ですね。
叔父はクズだけどエグモントはとことん頭が悪いだけだし自分が仕掛けたわけでもないので、バカだし気持ち悪いけど、災難だなという気持ちにもなりました。
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