疲れた時、ちょっと笑いたい時に読んでいただけたら嬉しい作品達
カスタードクリームを極限まで入れたいがために、次々とパティシエが犠牲になるシュークリーム店
「すいません……今週で辞めさせてください……」
目と唇を腫らしながら、杉野さんが言う。店長として、彼女に辞められたら、この店はやっていけない。でも、彼女の話を聞く限りでは、引き止めることはできない。
それは彼女の命を奪うことになりかねないからだ。
「体調が悪くて病院に行って、検査をしたら、卵と乳製品のアレルギーだと言われました。一切それらを口にしてはいけないと……触れるのも危険だと医師から言われました……」
彼女はそう話したのだった。
そこまで言われた上、目と唇を腫らしている姿を目の前にして「困るよ」とは言えなかった。
「いや、もう無理そうだったら、今日で辞めていいよ」
私はそう言った。すると杉野さんは、明らかにほっとした顔になり、「ありがとうございます」と言って更衣室へと向かった。
♪♪♪
シンフォニー。シュークリーム専門店。これは私、中辻美華のお店だ。何でもいいから、自分の店を持ちたいと思って始めたのが、五年前。
私はパティシエではない。経営者だ。
初めは友達の花田莉嘉と、二人で店を初めた。莉嘉はパティシエだった。そして、一番得意なお菓子がシュークリームだった。
「シュークリームしか作りたくない」「シュークリームを極めたい」と、豪語する彼女の意見を尊重し、シュークリーム専門店にした。
そして、シュークリームを極めたいという彼女の願い通り、シンフォニーのシュークリームは、大人気となった。地味だが口コミで、人気が広がった。
午前中には売り切れることがほとんどだ。
そこで、この人気を逃すまい! とさらなる工夫を私達は考えた。それが、カスタードクリームを増やす、だった。早速、莉嘉は試作に入った。
シュークリームを持ち上げた時、思わず「重っ!!」と、叫んでしまうくらいクリームを入れる。持ち上げるとクリームの重みで、シュークリームの底が、膨らんで見える。でも、シュー生地はギリギリ破れない……
そこまでの増量を目指した。
莉嘉にはシュークリームに対する熱い気持ちと同様に、カスタードクリーム作りにも、熱いこだわりがあった。それは、自分で混ぜて作ること。電動の機械は使わない、ということだった。
カスタードクリームの量を増やすことで、これまでよりシュークリームを作るのに時間がかかるようになった。初めは私が手伝っていたけれど、到底品物として出せるようなものにならなかった。
そして、バイトを募集することにした。その募集要項は私が作成し、店に貼った。
【急募! 製菓の製造補助】
本当は、〝カスタードクリームを、手動で混ぜて作るのが上手い人〟と書きたかったけれど、そう書くと誰も来てくれないような気がしたので、製造補助、と言葉を濁した。
すると三日後、バイトをしたいという女の子があらわれた。
♪♪♪
彼女は、高橋優奈と言った。四月から製菓の専門学校に通い始めたところらしい。もう、それだけで採用決定だった。
翌日から彼女はバイトを始めた。厨房に入った彼女を出迎えたのは、莉嘉と大量のボウルだった。
「とにかくカスタードクリームを作って!」
莉嘉はそう言い、ボウルの一つと泡立てきを優奈にぐぃと渡した。優奈はそれを受け取り、困惑の表情を見せつつ、ボウルの中をかき混ぜた。
くる日もくる日もカスタードクリーム作り。とうとう「すいません。気持ち悪くて、早退していいですか?」と、言ったっきり優奈は、姿を見せなくなった。
♪♪♪
【急募! 製菓の製造補助】
幸い次の希望者が現れた。小谷圭子。主婦でありながら、たまーに自宅でお菓子教室を開いているという。はい。採用。
圭子も黙々と働いた。優奈のように、突然姿を消すことなく。しかし、半年経った頃。
「すいません。内緒にしていたんですが、先月から腱鞘炎になってしまって。もう限界です……」
そう言って去って行った。
【急募! 製菓の製造補助】
またしても貼り紙を出す。次に来たのは、野口健太。製菓の仕事は経験がないという。でも、男性なら力があるだろうし、即戦力になってくれるのではないか。はい。採用。
健太も文句言うことなく、毎日ボウルの中身を混ぜ続けた。彼は意外と器用で、同じ素人でも私なんて足元に及ばないカスタードクリームを作った。
莉嘉と二人並んで、無言でボウルをかき混ぜる姿は、まるで白雪姫に出てくる魔女が、毒を作っている姿に見えた。
健太が来てから一年が過ぎた。シンフォニーのシュークリームは、世界一クリームが入ったシュークリームと評判を呼んだ。メディアに取り上げられ、店の前には行列ができるようになった。
このまま平和に毎日が過ぎてほしい……
そう願っていたのだが。
♪♪♪
「痛いっっっ!!!」
ある日、厨房から莉嘉の雄叫びが聞こえた。何事かと慌てて厨房に行くと、莉嘉は右腕を押さえて、しゃがみ込んでいる。その腕がぴくぴくと痙攣するように震えていた。
「ついに、来てしまった……この日が……」
予言者のように莉嘉は呟くと、「病院行ってくる」と店を出て行った。
ふと厨房に目を戻すと、健太は一心不乱にカスタードクリームを作っていた。
莉嘉の診断結果はかなり重症だった。腕の筋肉を損傷していたらしい。ドクターストップがかかった。その報告を電話で受けた。
「えぇぇっ!! 明日から、どうすればいいの? てか、今日もクリームしかできてないんだけど?」
素っ頓狂な声を出すと、莉嘉は「大丈夫」と言った。ピンチヒッターとして、友人のパティシエを派遣するから、と。それが杉野さんだった。
その杉野さんが、今日去って行った。莉嘉も近々戻ってくる見込みはない。健太は今日も用意されたボウルの中身をひたすら混ぜている。
シンフォニーも今日までか。いや、諦めたくない。私はパソコンに向かいキーボードを打つ。
【お知らせと募集
諸事情により本日をもちまして、しばらく休業致します。そして、パティシエを急募します! 我こそは、という方、下記までご連絡下さい。力自慢のパティシエをお待ちしています! 記 ***-****-****】
それを店の扉に貼ってから、健太の元へ向かった。しばらく休みになるよ……と告げに。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!