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三話「吸血鬼と少女の約束」

 気がつけば朝がやってきて、体を起こして。そして、いつもと何も変わらないように学校へ向かった。

 自室を出てからは、正直あまりよく覚えていない。朝に見たはずの母の顔も、学校であったことも。

 何もかも、自分のことではないようで、夢を見ているような気分で一日を過ごしていた。

 今日家に帰って眠れば、また朝が来る。

 昨日よりも今日の方がふわふわした心地でいたのに、足取りは昨日よりも重い。

 それと同時に、自分が公園へ引き寄せられていることに気付く。

 重くなっていた足取りは、次第に公園へ向かっていき、昨日までは見えなかったはずのトンネルへ真っ直ぐ進んでいく。

 もう、疲れちゃったな。

 聞こえるはずのない蝉の声が響く。トンネルの先、暗がりの中へと入っていこうとした。

「やあ、また会ったな」

 振り返るとイリヤが立っていた。

 私はお皿を割ってしまった子供みたいに、自分のしたことを咎められないかビクビクしてしまう。

「そう怯えるな。私はおまえをしかるつもりはない」

 イリヤの声音はあくまでも優しい。

 彼はきっと私を気遣ってくれている。彼のことを思うなら、今すぐ家に帰って二度と公園に近づかないようにするべきだ。

 でも、家に帰ったらどうすればいい?

 またやり過ごすように部屋に籠る?

 朝が来たら学校に行かないといけない、でも行きたくない。

 どこにも行きたくないのに、私はどこにいればいいんだろう。

 頭の中がぐしゃぐしゃになってしまった私を、イリヤがそっと抱きしめる。

「人間は抱きしめられるとオキシトシンが出るのだと教わったことがある」

「…オキシトシン」

 イリヤの身体から体温は感じられず、彼に血が流れていないんだとわかる。それなのに、ひんやりとしていて心地いい。火照った身体を冷ましてくれるみたいだった。

「今晩は帰ってすぐに休め。明日の朝に迎えに行く」

 イリヤは私の耳元で囁いたあと、トンネルの向こうへ消えてしまった。

 私はイリヤの言うことに従って家に帰り、母がパートから帰ってくる前にベッドへ潜った。

 迎えに行く、ってどういうことだろう。

 不思議に思っていたけれど、翌日の朝にすぐ答え合わせができた。

「おはよう、るな」

 階段を降りてリビングに向かい、目に飛び込んできた光景に驚く。

 なぜかイリヤがうちにいて、優雅にコーヒーを飲んでいた。

「イリヤ、コーヒーのおかわりいる?」

「ああ、いただこう」

 母はイリヤに対して親しそうに笑顔でコーヒーのおかわりを注いでいる。

 一体、どういうこと?

「イリヤ、私の母になにをしたの?」

「なんてことはない。認識を少しいじくっただけだ」

 イリヤが説明するには、魅了≪チャーム≫の力を使うことで、周りの人間の認識を変えることができるのだという。

「今の私は、「海外出張から帰ってきたるなの親戚」ということになっている」

 まあ何度も使える力ではないのだがな、と話すイリヤはどことなく得意げだ。

「その力は母に害はないのね?」

「ああ。認識をずらしているだけだから、負担はないぞ」

 本当にいいのかどうかは疑問だ。けれど、まともに取り合っていると気がもたない。

「ところで、今日は何で来たの?」

「そろそろ、この間の礼をしてもらおうと思ってな」

 なんだかイリヤは楽しそうだ。

 私は彼の考えに見当もつかず、次の言葉を待った。

「私に人間の世界を案内してくれ」

 イリヤの提案は突拍子もない。彼の考えていることが全く読めなかった。

「そうは言っても、私これから学校行かないといけないし」

「もちろんわかっている。すでに連絡は済ませた」

「ええ!??」

「私がモデルを務める撮影現場に中学生のモデルが来れなくなった。だから、代わりを連れて行く、と伝えてある」

「そんな理由で通るわけ…」

「快諾されたぞ」

 そんな馬鹿な、と声を出しそうになる。しかし、校長が変わり者であることを思い出し、半ば呆れるようにうなだれた。

「学校と親に許可を得てある。るなはどうしたい?」

 イリヤの問いかけに少し考える。

「私は、イリヤと一緒にいたい、です」

「よし、それなら案内を頼む」

 イリヤは当然といった顔で、前を歩いていく。

 この日、私は初めて学校をサボった。

 

 イリヤから話を聞くと、撮影のはなしは丸っきりの噓ではないのだと言う。

 今日は商店街のプロモーションを依頼されていて、一日遊んだ様子をSNSに投稿すればそれでいいらしい。

 事前に指定されている店や場所で遊んでいる写真を撮影してくれれば、あとはイリヤの自由だそうだ。

 私とイリヤは、商店街のアーケード街を歩く。

 地元のよく通るアーケードを吸血鬼と一緒に歩くことになるなんて。想像したこともなかった。

「まずは、映画でも見るか」

 連れてこられた場所は、街の小さな映画館だった。

 人気の映画を上映しているようなシアターではなく、単館上映のシアター。

 休日でも人は少ないけれど、平日だとなおのこと少ない。それも、学生が授業を受けている時間帯だから、ほぼ貸し切り状態だ。

 スタッフの男性は、イリヤに何も言わずにポップコーンを差し出した。

 イリヤはお礼を言って受け取ると、そのままシアタールームに入っていこうとする。

「ちょっと待って! ポップコーンのお金はいつの間に払ったの?」

「この男は私の知り合いでな。ポップコーンはサービスだそうだ」

 スタッフの男性は、ぺこりとお辞儀をする。

 二メートルくらいありそうな長身に、がっしりとした体型。何より、纏う空気がどこか異様だ。

 彼もまた人間じゃないんだろうか。

「奴はドワーフだ。物語を好み、映画館で働きながら住み着いている」

 ドワーフの男は、私に向かってもう一度ぺこりとお辞儀をした。

 私も、彼にぺこりとお辞儀を返す。

「さあ、グズグズするな。そろそろ始まる」

 イリヤに後ろから着いていき、シアタールームの中に入った。

 映画館の椅子に備え付けられたホルダーに、ポップコーンを置く。そして、その両脇に私とイリヤが座った。

 キャラメルの甘い香りが、映画館に来たワクワクを加速させる。

 結局、映画の内容は難しくてよくわからなくて。けれど、誰かと映画を見る時間が久しぶりで、それだけで私は満足だった。

 映画を観終えた後、映画館の前で写真を撮る。…のだけれど、イリヤが私もカメラに入るように撮影し始めて驚く。

「カメラに写るのはイリヤだけじゃないの?」

「仕事用は既に撮り終えた。これは記念用だ」

 正直、写真は断りたい。自分の顔が写真に写ることが好きじゃない。でも、イリヤと再会した記念としてなら撮りたい。

 私は慣れないピースサインをつくり、カメラに向かって精一杯の笑顔を向けた。

「表情が硬いな。だが、これはこれでいい」

 恥ずかしくて、顔に熱が集まっていく。

 イリヤは、そんな私におかまいなしで、「次に行くぞ」と前を歩き始めた。


 映画を観ている間に、すっかりお昼時になっていた。

 お昼ごはんを食べながら休憩しようと決め、イリヤに連れられてカフェへ入る。

 新しいお店なのか、内装がまだピカピカで白い壁は一切の汚れがない。

 愛想のいい店員さんに案内されるままに、二人用の席に着いた。

「なんでも好きなものを食べろ。腹に余裕があるならデザートを頼んでもいい」

「イリヤはお腹空いてる?」

「私は空腹にはならない。食べ物の味はわかるが」

 気にせず食べろ、とメニュー表を渡してくるイリヤに少しだけ申し訳ない気がした。

 とはいえ、お店に入ったからには注文しないわけにもいかない。

 私は、今日のおすすめに書いてあったオムライスとアイスティーを頼むことにした。

「お決まりでしょうか?」

「オムライスとアイスティー、私はコーヒーをもらおう」

「かしこまりました」

 それから、イリヤと映画の感想を話しながらオムライスを食べた。

 まとまりのない私の感想をイリヤはうんうんと聞きながら、言いたかったことを的確に返してくれる。

 イリヤと話す時間は楽しい。オムライスは美味しくて、お店は静かで居心地がいい。

 とても平日とは思えないくらい、幸せを集めたような時間を過ごしている。

 オムライスを食べ終わってしばらく後、店員さんが二人分のシャーベットを運んできた。

「あの、私たちデザートは頼んでません…」

「これはサービスなので気にしないで召し上がってください」

 店員さんはそう言って、またカウンターへ戻ってしまった。

「せっかくだ、いただくとしよう」

 イリヤがシャーベットを食べ始め、私も有難くいただくことにした。

 シャーベットには、柑橘の果肉が入っていて、さっぱりしている。爽やかな味が口に広がって美味しかった。

 シャーベットを口に運んでいると、別の店員さんがお水のおかわりを入れてくれる。

 私が会釈すると、店員さんも会釈してくれて静かにカウンターへ戻っていった。

 すっかりお腹いっぱいになって、そろそろお店を出ようか、という頃。

 伝票を持ってきた店員さんを指して、イリヤは「こいつも吸血鬼だ」と言った。

 私は驚いた。けれど私よりも店員さんの方が明らかに驚いている様子だった。

「なんで言っちゃうんだよ、怖がられちゃうでしょ!」

 愛想のいい店員さんは、少し怒っている。しかし、顔が笑っているように見えるのであまり怖くはない。

「それから、奥に引っ込んでいるやつも、るなは見たことがあるだろう」

 そうは言われても、見覚えはない。

 ただ、もう一人の店員さんは体格が大きくてのしのし歩く。はっきり言って、一度見たら忘れないくらいの特徴があった。

 もしかして、と思い当たる記憶を探る。

「魔界で歩いてた狼の…?」

「お、よく分かったな。あれは狼男だ」

 カウンター越しに体格の大きい店員さんを見る。また会釈されたので、私はもう一度会釈を返した。

「そう怖がるな。この二人は、人間の世界に興味を持ってここで暮らしているだけの連中だ。害はない。」

 吸血鬼の店員さんも、何かを弁解するように話し始めた。

「そうそう! 人間のカルチャーって面白いからさ!つい興味が出て、気づいたらお店まで出しちゃってて…」

「人間に興味津々のオタクたち、というところだな」

 吸血鬼の店員さんはキュウさん、狼男の店員さんはガオさんというらしい。

 キュウさんは、お店の接客以外で人間と話すことがほぼ無いらしく始終楽しそうだった。

 ガオさんはずっと大人しくて、目線が合うと会釈してはカウンターの裏に隠れていた。

「人間ってやっぱ可愛い~~~! サインください!」

 私は、急なことに戸惑ってしまう。こんなことは人生で初めてだった。

 それでも断ってしまうのも申し訳なく、サインを承諾した。キュウさんから、このために購入していたらしい色紙と油性ペンを受け取る。

 私が書き終わるまでの間、キュウさんはずっとそわそわしていた。

「わ~! 本当にありがとう、宝物にします!」

 結局、私は奥に引っ込んでいたガオさんの分もサインを書いた。

 お店の前で四人の写真を撮り、最後にキュウさんとガオさんに握手してから店を出る。

「また遊びに来てね~」

 私とイリヤは、手をブンブン振るキュウさんと、控えめにバイバイするガオさんに見送られながら商店街を歩き始めた。


「どうだ、面白い連中だっただろう」

「アイドルみたいなことするの、人生で初めてだった」

 イリヤは、私の反応を見て愉快そうだ。

 にやついたイリヤを無視して、商店街を眺めながら歩く。

 そして、思わず足が止まった。ちょうど、気になっていた大型の本屋さんが目の前にある。

 けれど、一応はお仕事でイリヤと歩いている訳で。勝手に行きたいお店に入るなんて。

「本屋に入りたいのか?」

「気になってた本屋さんなの。…入ってみてもいい?」

 言うが早いか、彼は本屋さんの入口に向かって歩き始める。イリヤの返事はとっくに決まっていたみたいだった。


 書店は商店街で一番大きく、フロア内が広い上に、八階まで階層がある。

 図書館以外の場所で、こんなにたくさんの本を見るのはいつぶりだろう。

 私は宝石を眺めるような気持ちで胸がいっぱいになる。

 気になる本を手に取っては眺め、また別の本に手を伸ばす…。

 そうやって、気がつくと本に夢中になってイリヤのことを忘れてしまっていた。

 イリヤは、すぐ隣で私がさっきまで手に取っていた本をパラパラとめくっている。こんなに近くにいたのに気が付かないなんて。

「本が好きなのか?」

「すごく好き。学校の図書館で本を読み過ぎて、館内の本は全部読んでしまったから。新しい本が欲しかったの」

 本はいい。現実がどうであれ、本の中は私を害することがない。いつだって、私を好きな場所に連れて行ってくれる。

「それはすごい。オススメの本はあるか?」

「うーんとね…」

 私が好きな本をいくつか伝えると、イリヤはやや興奮気味に本を探しに行った。

 また本に集中していると、突然肩を叩かれて振り返る。

「学校休んでるのに遊んでるんだ」

 肩を叩いたのはイリヤではなかった。

 きららちゃんと彼女の友達二人が、私を詰るように見ている。 

「優等生がそういうことしていいの?」

「やめてあげなよ、居場所ないから一人で本屋来てるんだし」

 彼女の言うことは間違っていない。

 私に居場所なんてない。だから、学校に行ってない。家にもいられない。全部合ってる。

 腹の奥でメラメラと火が燃えている。けれど、その火を吐き出す気にはなれなかった。

 別に言い返す必要はない。何も変わらないし。

 拳を痛いほどに握りしめた。

「るな」

 イリヤが数冊の本を持って現れた。

「君たちはるなのクラスメイトかな?」

 きららちゃんたちは、イリヤの容姿に見惚れているのか反応が鈍い。すっかり固まってしまっている。

「僕はるなの親戚でね、無理言って撮影に付き合ってもらってたんだ。変な誤解を与えていたら申し訳ない」

 イリヤの笑顔はわざとらしい。営業スマイルであることが見て取れる。しかし、彼女たちには効果バツグンのようだった。

「うちのるなと仲良くしてあげてね」

 顔を赤くしてもじもじしていた彼女たちは、コクリと頷いて去っていった。

「ああ言えば、向こうも手出ししにくくなるだろう」

「……ありがとね」

「どういたしまして」


 本屋さんを退店した私たちは、一度公園で今日撮影した写真を確認した。

「今日は楽しかったか?」

「…もちろん楽しかった」

 イリヤは満足そうに微笑む。

 私が今日一日を満喫した証拠に、写真の中の私はずっと笑顔だった。

「るな、おまえが良ければ一生孤独にならない約束をしよう」

「……はい?」

「私はしばらく人間界に留まる。おまえの親戚として」

 急にとんでもないことを言い始めた。思わず、動きが止まる。

「だから何かあれば、いや、無くとも私のところに来い」

「ちょっと待って、それはイリヤにとってどんなメリットがあるの?」

「また人の隣で生きることができる、それがメリットだ。そして、私なら今日のような時間を過ごせるよう、るなの休息所になることができる」

 つまりは、イリヤが私の居場所になってくれる、ということらしかった。

 私は、こんな時間がずっと続くならまだこの世界で生きていたい。

「不束ものですがお願いします」

「ああ、こちらこそ」

 どこまでも絵本みたいだ。

 そんなことを考えながら、まずは彼が買った本のタイトルを順番に尋ねた。


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