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二話「吸血鬼と硝子玉の秘密」

 あの不思議な冒険から、一ヶ月以上が過ぎた。

 夏休みももう終わった九月。

 先月よりは涼しくなったけれど、まだ暑さが残る。

 あれから何度も公園の前を通っているけれど、あのトンネルは一度も見ていない。

 もうあの場所に行きたいとも思わないけれど、吸血鬼の彼と出会ったことを忘れたくない気持ちもあった。

 夏休みも明けて、通常授業に戻り、机に向かって板書をする。いつも通りの学校。

 こうして過ごしていると、魔界の出来事も夢だったんじゃないかと思えてくる。

 今日は、一時間目が体育の時間。

 更衣室で着替えて、体育館に行き、二人組になって準備運動をする。

 けれど、私は決まってあぶれる。これもいつも通りだ。

「望月さんは先生と組みましょうか」

 体育の陽子先生は、いつも私が一人だと一緒に準備体操のペアになってくれる。

 申し訳ないな。いつも先生に気を使わせて。

 胸がきゅうと痛む。けれど、授業を欠席しても先生に心配される。それなら、まだ先生にペアになってもらった方がマシなはず。

 先生の視線は「千早さんがいれば良かったのにね」と語っている、そんな気がした。

 千早かおりちゃんは、私の親友で、今は不登校中。

 クラスの女子から無視されて、それ以来学校に来ていない。

 あの時、自分がかおりちゃんを守っていれば。私が助けてあげられれば。

 そんな思いも虚しく、今は私が無視の対象になっている。

「今日は、ドッジボールねー! A、BチームとC、Dチームに分かれてくださーい」

 準備運動が終わって、ドッジボールが始まった。

 私はあまり目立たないように、なるべく端に立つ。

 それなのに、ボールは私を狙っていたようで、一度バウンドしたボールが身体に当たった。

「当たったから外野ね」

 クラス委員長のきららちゃんが、私に「さっさとどいて」と目線で告げる。

「バウンドしたボールが当たったらセーフでしょ?」

 私は、ついきつく言い返してしまう。

 すると、きららちゃんは私の身体へぶっきらぼうにボールを当てた。

「じゃあこれでアウトね」

 ボールは跳ねてから、床を転がっていく。

 きららちゃんを睨みそうになるけれど、怒りを鎮める。落ち着こう。ここで言い返しても、悪者にされて終わる。

 彼女に何も言い返さずに、外野へ歩いた。

 こそこそと数人で話している声が後ろから聞こえるが、私には何も聞こえていない。全く気にしていないという顔で歩く。

 ここで私が言い返しても意味はない。先生に言ったとしても困らせるだけ。

 私は同い年の子も、周りの大人も信じられなかった。

 体育が終わってからは、誰とも一言も話さずに学校が終わる。

 家に帰ると誰もいない。

 代わりに、母からの書置きが机の上にあった。

『冷蔵庫のあるもの使って、てきとうに食べておいて』

 父の食事は、机の上にラップをかけておいてある。

 母は料理が苦手だけれど、父の機嫌をとるために一人分だけつくってある。

 私が中学生になってからは、自分のごはんは自分で作って一人で食べる。それが習慣になっていた。

 食事をとる気になれなくて、シャワーを浴び、自室に戻る。

 ベッドの上で横になっていると、いつの間にか眠っていて、夜中に起きると両親の喧嘩が聞こえてきた。これもよくあることだ。

 料理の味や洗濯物の置き方などの小言から口論に発展して不満の言い合いになる。

 父も母も、こうなるとお互いの気が済むまで言い合いをやめない。

 私はその間、イヤホンで音楽を聞いて耳をふさぐ。

 そのまま布団の中で丸まって、目を閉じて、時間が過ぎるまで待つ。

 そうしていると、いつの間にか眠っていて、目覚めれば朝が来ていた。

 学校へ行く支度をして、リビングで朝ごはんを食べる。

 朝ごはんは、スーパーで買える一個百円の菓子パン。慣れてしまった味に拒絶する口を、無理矢理に開けてパンを押し込む。

 母はキッチンで父の晩御飯を作り置きしているようだ。パンを食べ進めながら、母の表情をうかがう。

 時計の針が進むにつれて、胃がキリキリ痛みはじめた。菓子パンが口に入らなくなる。

 時計と母の表情をちらりと見ながら、学校を休みたいと言うタイミングをうかがった。

 ちょうど、母がこちらを見て「早く学校いかないと」とこちらを急かしてくる。

「それとも、また休みたいなんて言うんじゃないでしょうね」

 母の口調は有無を言わせなかった。 私は菓子パンを無理矢理口の中に入れて、玄関に向かう。

「いってらっしゃい、今日も夕飯は自分で食べてね」

 靴を履きながら「わかった」とだけ返事をして、玄関のドアを閉めた。


 学校へ向かう足取りは重い。

 いっそこのままどこかに行ってしまおうか、と思うけれど行き先は思い浮かばない。

 ふと考え付いた場所は、トンネルの先。魔界を歩いたこと、イリヤと出会ったことをなんとなく思い出した。

 思い出したところで、行けるわけもないのに。ため息をつきながら、それでも足は学校に向かった。

 クラスの子たちは、今日も私がいないみたいに話している。

 でも、みんながみんな悪い子ばかりじゃないこともわかっている。

 異世界で見た幻覚は化け物だった。けれど、ここは現実で相手は人間。

 自分が誰かと言い争っても、自分も相手も傷ついてしまうことはわかっている。

 今日の一時間目は古典の授業だった。夜に眠りが浅かったのか、授業中にうとうとしてしまう。

 今にも居眠りしそうな様子に気づいた工藤先生は、すかさず私の名前を読んで問題に答えるようにと指名した。

 問題は『竹取物語』の一節だ。図書館でも何度も現代語訳版を読んでいる。

 私がよどみなく答えると、先生は手でグッドサインをつくった。

「素晴らしい、お見事です」

 工藤先生は、にっこりと微笑む。

 そして顔色がよくないので体調が悪いなら保健室に行ってくださいね、と付け足された。

 私は「大丈夫です」と返して席に座る。

 ふと隣の席から視線を感じ、視線の方を見るときららちゃんがこちらを睨んでいる。

 どうやら、私が先生に褒められていることが気に入らないらしかった。


 今日も体育の授業があった。

 また先生とペアになり、準備運動を済ませ、スポーツの時間が始まる。

 今日の種目はバスケットボールだった。

 相手のチームにきららちゃんを見つけ、げんなりする。もう嫌な予感がしてしょうがない。

 試合が始まり、バスケ部の子がボールを取った。そのままゴールへ走り、相手チームを抜いていく。走っているのに、ずっと笑顔だ。一連の動きが鮮やかで、思わず見惚れてしまう。

「望月さん、パス!」

 試合中であることを忘れていた私は、なんとかボールを受け取る。

 相手チームのゴールまで、ほんの少し。ここからなら、私でもシュートできるかも。

 ボールをゴールに投げる瞬間、勢いをつけて飛んだ。…これなら入る。

 そう思ったのも束の間、私は後ろから押されて前に倒れた。

 痛い。でも、起き上がれなくはない。すぐに手をついて身体を起こす。そして、私の一番近くにいたきららちゃんを鋭く睨んだ。

 思い切り床にぶつけた顔を触ると、手のひらに血が付く。

「先生―! るなちゃんが倒れました!」

 別のチームの試合を見ていた陽子先生が駆け寄ってくる。

 先生に「大丈夫です」と返しても、心配そうな顔で「とにかく手当をしましょう」と返されてしまった。

「望月さんを保健室に連れて行くので、各チームは試合を続けてください」

 陽子先生は、私の前を歩いて保健室に向かう。後ろからついていこうとすると、きららちゃんが目に入った。

 きららちゃんはなぜか傷付いたような顔をして私を見ている。

 その表情の意味を考えないように、先生の後をついていった。


 保健室には養護教諭の先生だけがいて、他の生徒は誰もいない。

 椅子に座らされた私は、大人しく怪我の消毒をされていた。

「あの、今日はちょっと体調が悪くて、それで…」

「確かに顔色が悪そうね。よかったら授業が終わるまでベッドで寝てる?」

 先生の言葉に甘えて、ベッドに潜り込んだ。

 室内からは消毒液の香りがする。落ち着く香りとは言えない。それでも、教室よりはずっといい。

それから眠気が収まるまで寝て、授業が終わるまで待った。

 そろそろ終わったかな、そう思った頃に担任の暁先生が私の鞄を持って保健室を訪ねてきた。

「望月さん、今日は体調悪そうだしもう帰ってもいいよ」

「そんな、ほんとにちょっと具合が悪いだけで、大丈夫です」

「無理言わなくていいよ、念のために母に許可は取っておいたから」

 暁先生の一言で、一気に血の気が引く。

 早退なんてしたら、あの人に何を言われるかわからないのに。

「ご連絡したら、望月さんをとても心配している様子が声から伝わってきて…。いい母ね」

 母は「いい母」を演じようとするところがある。

 電話では優しくても、帰れば学校をサボったとなじられることは既にわかっていた。

「それじゃあ、気を付けて帰りなさいね」

「はい、さようなら」

 別の学年が体育館で授業をしている声が聞こえてくる。私は靴箱で外靴に履き替えながら、どうしようかと考えていた。

 校門から出て、家に帰ろうと歩く。それなのに、頭は帰りたくないとうめいている。

 ゆるゆると歩を進めながら、どうしよう、どうしようと頭がぐるぐる回っている。

 帰り道、下を向きながら歩く。そうすると、涙が勝手にこぼれそうになる。

 ちがう、別に泣いたってどうにもならない。わかってる。わかってるのに。

 歩いていると、公園の前を通りかかる。

 私はまたトンネルがないかを探した。あの時の恐怖を知っていても、どこかに逃げてしまえばそれでよかった。

 私が願ったとおり、トンネルはあの日と同じ場所にある。

 …ここを通れば、また魔界に行ける。

 一歩踏み出す。もう一歩踏み出そうとして、足が止まった。私は、私に問いかける。

 トンネルの先へ進めば、今度こそ戻ってこれないかもしれない。…それでもいいの?

 目を閉じる。すうっと息を吸う。そして、肺の空気をすべて出し切るように息を吐く。

 もう心は決まっているみたいだった。

 ついにトンネルの先へ歩いていこうとした、その時。

 いきなり、目の前のトンネルが輝きはじめた。

 あまりの眩しさに目をつぶる。そして、光が収まったかと思うと、誰かがトンネルからこちらへ歩いてきた。

 いつか見た彼が薄く笑う。目の前には、吸血鬼のイリヤが立っていた。

「再会を喜びたいところだが、早く帰った方がいいのではないか? 顔色が悪いぞ」

「なんていうか、家に帰りたくない気分というか…」

 イリヤは察してくれたのか、それ以上は何も追及してこない。

「それならお茶でもいかがか?」

 イリヤは恭しく手をこちらに差し伸べる。

 私は喜んでイリヤの提案に頷いた。


 イリヤに連れられて入ったお店は、近所のおばあちゃんが経営している喫茶店だった。

「好きなものを頼んでいいぞ」

 イリヤはメニュー表を私に差し出してくれる。

 私はあまり悩まずにオレンジジュースを、イリヤは最初から決まっていたのかホットコーヒーを即座に頼んだ。

 そもそも吸血鬼なのにお金を持っていることが驚きだけれど。というか、本当にお金払えるのかな、この吸血鬼。

 しばらくメニュー表を眺めていると、コーヒーとオレンジジュースが運ばれてくる。

「イリヤにまた会えて嬉しいよ。でも、なんで人間の世界に?」

「それはいい質問だ」

 イリヤは、強大なエネルギーを持つものであれば、自由にトンネルをくぐることができるのだと説明してくれた。

「私は、人間の世界だと数万人のフォロワーに向けて写真や動画を投稿する、つまりはインフルエンサーなのだ」

 得意げな顔でこちらを見てくる彼に、ほんの少し苛立つ。

 イリヤは、この世のものとは思えないくらい顔立ちが整っている。 …本当にこの世のものではないのだから、当然だけれど。

 この外見なら人気が出てもたしかにおかしくはない。

「魔界は良くも悪くも移り変わりがない、それに比べて人間の世界は変わらないことがない。だから面白いのだ」

「ふーん、そういうものなの?」

「そういうものだ。私だけではないぞ、魔界の住人で人間の世界に憧れを持つ者は多い。そういった連中は、人間界のどこかに潜んでいる」

 魔界の生きものは意外と俗っぽいんだなー、なんて吞気なことを考えながらオレンジジュースを口に含む。

 それからは、イリヤととりとめのない話をした。

 人間の食べ物は美味しいこと、ニンニクは平気なこと、太陽の光には弱いので日焼け止めに日傘、サングラスをしていること。

 イリヤは、私にたくさんのことを話してくれる。

 のんびり話している間、友達のかおりちゃんと話しているときの感覚を思い出した。

 気兼ねなく誰かと話せて、気分が落ち着く時間はいつ以来だろう。

 結局、イリヤとはお店の閉店時間まで話し込んでしまった。

「ところで、ひとつ尋ねたいのだが」

 喫茶店を退店した直後、イリヤはこちらに向き直る。

「なに?」

「その眼鏡はどうやって手に入れた?」

 それは思いもよらぬ質問だった。

「これは、眼鏡屋さんだったおじいちゃんが作ってくれた大事なものなの」

 真剣な表情で聞くものだから、どんな話かと身構えてしまったのに。なんだか拍子抜けしてしまった。

「その眼鏡には魔力が込められている。正確には素材である硝子玉に」

「なんでそんなことわかるの?」

「わかるさ、おまえの祖父と私は友人だったのだから」

 おまえはたつきの孫だろう、と言ったイリヤは昔を懐かしむように目を細めた。

 たしかに、「たつき」はおじいちゃんの名前だ。

 私はおじいちゃんがよく話してくれた、古い友人の話を思い出す。 そして、ようやくおじいちゃんの話に出てきた友人の正体がイリヤだと思い至った。

「これだけ生きていると取り残されるばかりでな。私を置いていった一人がおまえの祖父にあたる」

「人間とも友達になれたの?」

「なれたさ。魔物だろうと人間だろうと、私の友人になり、私よりも先に逝く」

 彼の目は私を見ている。そのはずなのに、どこか遠くを見ている気がした。

「その硝子はもともと私がたつきに贈ったものだった。魔力の込められた硝子が、負の感情と結びついて魔界と繋がりをつくってしまったのだな」

 彼は、自分の贈りものが友人の家族を危ない目に合わせたと悔やんでいるようだった。

「そのメガネをこれからも使うなら、せめてトンネルが見えてもその先には行くな」

「…わかった」

 心の底から約束できる自信はない。それでも、今は彼を裏切りたくない想いでいっぱいだった。

「たつきに「孫と関わることがあればよろしく頼む」と言われているんだ。危ない真似はしてくれるなよ」

「うん、そうだね。ありがとうイリヤ」

 優しいイリヤの声音に胸がチクリと痛む。

 慮ってくれた彼の気遣いに応えてあげられないかもしれない。その現実に申し訳なさを感じた。それでも、彼に心配をかけまいと笑顔をつくった。

 陽が沈み切らないうちに、私はイリヤと別れて家に帰る。

 自室でぼーっとして過ごしていると、いつの間にか帰宅していた母にいきなり部屋の扉を開けられた。

 その瞬間、これから何が起こるかを悟った。

「あんた、体調不良って噓ついて学校サボったでしょ! 真面目に学校に行ったと思ったのに、なんで普通にできないの!?」

 大きな声で怒鳴りつけられる。心臓に氷を押しあてられたような気分が襲う。こうなると、私はただ時間が過ぎ去るまで待つしかない。

 そうして母の怒号に耐えて、部屋の扉が閉まった後、私は床にへたりこんだ。

 母が部屋を出たあとも、私はそのまま動けずにいた。

 どうしよう、家にいるのに帰りたい。


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