第8話 相談される猫
「はー」
帰宅した恭子は、自室の窓から見える物憂げな空を眺めながら、机に頬杖をついてため息を吐いた。
思春期の少女に溜め息をつかせるようなイベントが、ついさっき学校で起こったからだった。
「どうかしたか?」
ベッドの上で相変わらずの毛づくろいをしていたミースケが訊いてきた。
恭子は席を立ってベッドに腰を下ろし、ミースケの喉元を優しくなでてやる。
「そうね。どうもしなかったんだけど……」
「何にも無いのにため息をついてるのか?」
「あんたには分からないかもだけど、人間には色々有るの」
ミースケが少し首を傾げる。表情は猫なのであまり豊かでは無いものの、そういった何気ない動きで自分を表現しているのかも知れない。
「あれさ、ミースケが言ったとおりだった。みーんな記憶が飛んじゃってて、特に騒ぎにもなってなかったよ」
「勿論。当然だ」
「何か、からくりがあるみたいね」
こうなることが分かっていた雰囲気のミースケに、恭子はもう一つの疑問を投げかけた。
「あのさ、このまえ助けた男の子と話したんだけど、彼だけミースケのこと憶えてたよ。不良たちは何にも覚えてなかったのに」
「ああ、そのことね。俺はあいつを殴ってないからな」
「殴ってないからどうなの?」
「あのごろつきどもを殴った時に、波動を乗せて記憶を飛ばしといたんだ。つまり、殴られてない奴は俺のことを憶えてる」
人間の記憶を猫パンチで飛ばせることを聞いて感心するも、あの少年が依然この最強猫を憶えていることに不安を覚えた。
「ねえ、それってマズくない? ミースケのこと言いふらされたりしたら大騒ぎにならない?」
心配そうな恭子に向かって、ミースケは顔を上げて口元を吊り上げた。
どうやら笑ったみたいだった。
「最期に一発叩いといたら良かったかも知れないけど、俺の見る限りあいつは不良も俺も見てなかった。つまり……」
「つまり?」
「あいつは、キョウコ、お前しか見てなかったってことさ」
そう言われて恭子は赤面してしまった。
「俺のこと、視界の隅ぐらいには入ってるかも知れないけど、あいつお前のことを最初から最後までガン見してた。だらしない顔してな」
「そうだったの……」
「だから心配ないだろう。ちゃんと見てないし、もし知ってたとしても、お前が困るようなことをあいつは絶対しない筈だ。この意味わかるだろ」
「うん……なんとなく」
饒舌なミースケの話を、ぼんやり聞きながら考え込む。
人生初のラブレターらしきものをもらって呼びだされ、お菓子を用意してくれていた少年と将棋部の部室でお茶を飲んだ。
その後、特に何も無かったものの、口に出さずともそういったものが彼からは溢れ出ていた。
「つまりはキョウコに恋愛感情を抱いてると考えるね」
猫らしからぬ、理解力と洞察力だ。見透かされていたことを恭子は知った。
ミースケは恭子の顔を見上げながら膝の上に乗ってくる。恋愛感情という言葉の反応を窺っている感じがした。
「まあ、そんな感じなのかな。でもねー」
「でもなに?」
「甘いものもらってお茶飲んだだけ。ほんとにそれだけだから困ってるのよ」
「ほう。おやつを食べて困っていると。はて? どういうことかな」
さらにミースケのお腹を撫で始めると、気持ちいいのか目を細めて仰向けになった。
「ねえ多分、いや、十中八九、気があるみたいなんだけど、その辺のことは何にも言わないのよね」
「そうなのか。思い違いかな」
「いや、隠そうとしてるけど全く隠せてないのよ。それはまあ、ちょっとドキドキなんだけど、隠し通すものだから質が悪いっていうか」
「言ってることがちょっと分かり辛いな。少年とのこと、最初から話してみてくれ」
ぶつ切りで相談していたのを反省し、ミースケに分かり易いよう今日の出来事を話した。
「成る程ね。まあ、間違いないだろうな」
「そうなの。あそこまでいって告白しないの。じゃあまたねって帰りに言われた時、え? どういうことって思わず言いそうになった」
「腰抜けだな。それでキョウコは告白されたらどうする気だったんだ?」
「いや、それは、どうしようかな……」
切り込んだ質問に頬が熱くなってきた。
恋の相談を真面目に猫にしている。
一見、マヌケけに見える恋愛相談だったが、思春期の少女にとっては、今一番の関心事だった。