第6話 猫、命名します
帰宅した恭子の部屋。
制服姿のまま部屋に直行した恭子の前で、不良五人をあっという間にボコボコにした猫が、ベッドの上でベロベロと毛づくろいしていた。
あれから用が済んだと帰って行った猫は、恭子が急いで帰宅するとこうして部屋で寛いでいた。
「何なのよあれは」
あっという間に札付きのワル五人を地に這わせた猫に、当然の質問を投げかけた。
「キョウコに手を出したんだ。当然ああなる」
「いや、それ以前にあんた何者? 強すぎだよね」
「まあ、おれに敵う奴なんてどこにもいないだろうな」
何となく自慢気に聴こえたが、そういうことを訊いているのでは無かった。
「いや、私の言いたいのは強さの度合いじゃなくって、猫のあんたがどうしてあんなことが出来るのかってとこなの。しゃべるし不良を叩きのめすし、実は猫型エイリアンとか?」
「エイリアン? 飛躍し過ぎだよ。勿論俺はただの猫だよ」
「いや、そうは見えないわ」
外見は猫そのもの。しかしそのスペックは計り知れなかった。
「あの猫パンチは何なのよ。一発で人間を吹っ飛ばしてたし、それと最後のあのマシンガンみたいな猫パンチ。いったい一秒間で何発叩いてたのよ」
「ああ、あれか。マシンガンキャットブローのことだな」
「なに? 名前まで付けてあるの? 必殺技ってわけ?」
「まあ、そんなところかな。一秒間にきっちり十発入れといた。キョウコもスカッとしただろ」
「まあ、爽快ではあったけど……」
恭子は猫の隣に座ってその手を取り、ピンク色の肉球をしげしげと眺めた。
「昨日のあれも、あんたの仕業だったわけだ」
「車のことか?」
「そう。吹っ飛んでいったよね」
「まあな。キョウコに突っ込んで来ようとした。当然の報いだ」
「いや、車だよ。一体どうやってあんなおっきな物を宙に舞わせたの?」
「聞きたいか?」
猫は口元をキュウと吊り上げて見せた。どうやら笑ったみたいだ。
勿論恭子は、うんうんと興味を隠すことなく頷いた。
すると猫はやや勿体ぶった口調で、中学生の恭子には難解な説明をし始めた。
「あれは俺が直接この肉球で叩いたんじゃない。目に見えない力を乗せて打撃を加えたんだ。この世界で俺だけにしかできないから適当な呼び名はないけれど、俺はこの力を波動と呼んでいる」
「波動?」
「そう、波動だ。この自然界に普通に存在しているものだよ。その濃度を体内で高めて撃ち出すんだ。そうすると、あんな感じで車でも吹き飛ばせられる」
「手から何かを飛ばすってこと? 怪しげな中国人が掌から出す気功とかかしら」
「まあ、そんな感じさ。人間がやっているあんなものは、実用性の欠片すらないものだけれど、俺のはあれの千倍以上の威力がある」
「いや、ほんとに? でもこの目で見たし、あんたの言ってることは疑いようもない事実よね」
「そうだよ。流石キョウコだ。分かってくれたみたいだな」
理屈よりも、この猫の言うことは何かしら信憑性があった。根拠もなく決して嘘を言っていないと、そう恭子は感じていた。
「ねえ、ちょっとここでその波動ってのを軽くやって見せてよ」
「ああ、いいよ」
あっさりと猫はそう言ったあと、二本足で立ち上がった。
「キョウコがいつも使ってる、そこのクッションを使おう。片手で端を持って腕を伸ばしてくれ」
「うん。これでいい?」
何をしようとしているのか、ちょっとした好奇心を感じつつ、恭子はお気に入りのクッションを手に取って、猫の言うとおりに腕を伸ばした。
猫は体を少し開いて構えを作った。
「いくよ」
そう言った途端に、猫はクッションに向かって猫パンチを放った。
ドン!
大きな衝撃音と共に、クッションは恭子の手を放れて、勢いよく壁まで飛んで行っていた。
呆気にとられた恭子は、口を開けたまま、しばらく声が出ない。
「すごい……」
猫パンチをした手の肉球から、ぼんやりと白い湯気のようなものが立ち昇っている。
軽くやって見せただけなのだろうが、迫力満点だった。
恭子は飛ばされたクッションに手を伸ばして拾い上げると、しげしげと確認した。
そしてハッとした。
「あっ! 穴開いてるじゃない!」
「え? ごめん。ちょっと手加減ミスった」
お気に入りのクッションに穴を開けられ、やや恭子は不貞腐れた。
やって見せてと頼んだのは自分の方なので、あまり文句は言い辛かった。
「今みたいなので車も吹っ飛ばしたってわけね」
「ああ、波動の威力の調整次第で、ああいうことも可能なのさ」
この感じでは状況次第で、まださらに破壊的なこともやってのけそうだ。
拳ならぬ肉球で、何でも解決してしまいそうな暴れんぼうに、恭子は一抹の不安を覚えた。
「あんた、鉄拳制裁が基本みたいね。守ってくれるのは有り難いんだけど、やり過ぎじゃない?」
「そんなことないよ。あのままだったら撥ねられて殺されてたわけだし、身を守るにはああするしかなかっただけさ」
まあ、一応理にかなっている。
猫にしてはちゃんとした解釈をしていると言えた。
「で、車を吹き飛ばしたあれも必殺技なの?」
「ああ、あれはニャンコボンバーだ。なかなかいいネーミングセンスだろ」
気に入っているのか、ちょっと自慢げにそう言った猫に、どうしようもなく可笑しくなった。
「さっきのマシンガンキャットブローも、今のニャンコボンバーもちょっとおバカなセンスだね。まあ、猫だし仕方ないか」
「え? そう? まあ、おれが命名したわけじゃないんだけど」
「そうなの? じゃあ、その必殺技を命名したやつってセンスなさすぎ。お気楽もいいところだわ」
クスクス笑い声をあげる恭子を前に、猫は口元を吊り上げてニヤリと笑った。
「フフフフ」
「ね、あんたも可笑しいんでしょ」
何となくベッドの上で一人と一匹は笑い合う。
いつの間にか、不思議な猫との関係を愉しみ始めていることを、恭子は感じていた。
「ところで、あれってマズくない? 不良たちにあんたの凄いところ見られたじゃない」
「ああ。あのことね」
余裕のある雰囲気。猫なので、それほど顔に表情が表れるわけではないが、そんな印象だった。
「あいつらは大丈夫だよ。俺のことを他人に話すことは無いよ」
「どうしてそう言い切れるの? そんなの分からないじゃない」
「まあ、それはおいおい分かってくるさ。キョウコは何も心配しなくていい」
「どういうことか分からないけど、あんたがそう言うんならそんな気がする。不思議だわ」
いったいどこから来るものなのか、その猫の言葉には妙な安心感があった。いや、信頼感と言った方がしっくりくるかも知れない。
理屈ではなく猫がそう言うのならそうなのだろうと、納得してしまっていた。
その夜、父はいつもより早く、急いで帰宅した。
恭子の思っていたとおり、帰宅した父の手には猫用おやつの入った袋があった。
「おお、いたな。コジロウ。お前にいい物買ってきてやったぞ」
父はバタバタと着替えて早速猫におやつを食べさせる。
美味しそうに、ペロペロとスティックの先端を舐める猫よりも、父の幸福感が半端ない。
母も出てきて自分にもあげさせてとねだった。
「お父さん、今なんかコジロウとか言ってたけど」
猫と絡めて上機嫌な父に訊いてみた。
「ああ、今日さ、会社で名前考えてたんだ。どうだいコジロウって」
そこに母が割って入ってくる。
「私もちょっといいのを今日考えたのよ。今朝お父さんを玄関に見送りに行ったとき現れたから、ゲンちゃんなんてどう?」
父は歴史小説が好きでそう名付け、母は安直にその名に行きついた。
だが、どちらも恭子にはしっくりこなかった。
「コジロウとゲンちゃんは却下。私の猫だから私につけさせてよ」
そう言ってしばらく考え込む。
「ウーン。浮かんでこない。ねえ、ミースケ、あんたは何て名前がいい?」
「にゃー」
父と母は不思議そうな顔で娘を見ている。
「どうしたの? お父さん、お母さん」
「お前、今ミースケって言ったよな」
「なに? 名前もう決まってたってこと?」
父と母にそう言われ、恭子は首を傾げながら猫に向き合う。
そして両手で抱えあげると、その小さな額に自分の額をこすりつけた。
「うん。ミースケ。あんたの名前はミースケだよ」
「にゃー」
何にも浮かんでこなかった頭の中。
つい口をついて出たミースケという名前。
恭子は抱き上げた新しい家族に額をくっつけて、その感触に心地良さを覚えるのだった。