第48話 猫の絵
いつもと同じでいつもと違う朝。
恭子は朝の通学路を歩きながら、抑えきれないときめきを胸に感じてしまっていた。
「なあに? ニヤニヤしちゃって」
合流した美樹に、いきなりそう指摘されて、恭子は照れ笑いを浮かべる。
友人の分かり易い変化に関心を見せた美樹は、それから恭子を質問攻めにした。
隠してもそのうちにすぐ知られてしまう。そう考えた恭子は美樹のしつこい詮索に、とうとう忠雄とのことが進展したと告げた。
「マジで? いい感じだって思ってたけど、とうとうそうなったんだ」
「うん。でもあんまし騒ぎ立てないでね。私はともかく、彼はさ……」
「ああ、そうだよね。野村君ってああいう性格だし、そっとしておいた方がいいよね……ってあんた今、彼って呼んでなかった」
フフフと意地悪な笑いを浮かべながら、美樹は恭子の口元を指さした。
「いやいやいや、彼ってのはそういった彼じゃなくって、一般的な彼だから……」
「あれ? 一般的な彼はもう卒業したんだよね」
「そうだけど……もう、ほっといて!」
二人がちょっと特別な話題で盛り上がっていると、やがて、いつも少年が待っている三差路が見えてきた。
朝の透明な光に夏服の白が際立つ。
やはり少年はそこにいて、少女にいつもと変わらぬ視線を向けていた。
小さく手を振ってはにかむ少年に、恭子も手を振り返す。
これから特別な毎日が始まるんだ。
恭子は明るい声で少年に「おはよう」と声を掛けた。
移動教室で恭子は美術室に来ていた。
静物のデッサンをスケッチブックに描いていく恭子の視界に、今日はミースケとトラオの姿があった。
美術室は一階にある。教室の窓の外にある銀杏の木陰で、起きているのか寝ているのか、はっきり分からない感じで、二匹はダラダラしている。
昨日帰宅してから、あいつらには散々弄られた。
やっぱりあの二匹は、どこかで恭子たちを覗いていた。
部屋に入ると待ち構えていたように、二匹ともいやらしい顔をして感想を聞いてきた。
乏しいはずの表情筋で、よくそこまでいやらしい顔を出来るなと感心させられた。
そして恥ずかしさで真っ赤になっている恭子を、さらに恥ずかしがらせようと、ミースケとトラオは二人のドラマをベッドの上で再現しだした。
「君が好きなんだ」
「私も野村君が好き」
忠雄役をミースケが、恭子役をトラオが演じ、適当なくさいドラマを勝手にやりだした。
これには流石に恭子もキレた。
「あんたたちいい加減にしなさいよ!」
普段娯楽に飢えている二匹は、ヒヒヒと薄気味悪い笑みを浮かべて、しつこくそのあとを再現しようとした。
流石に怒り心頭の恭子は、手近なクッションを二匹に投げつけた。
「二匹とも出てけ! もう帰ってくんな!」
飛んで来たクッションを軽く受け止めて、ミースケがぺろりと舌を出した。
「ごめんごめん。悪気はないんだ。なあトラオ」
「まあ、ちょっとした悪乗りだよ。しかし良かったな。おめでとう」
トラオがいやらしい目つきのまま、弁解と祝福をしてくれた。
まあ悪い気はしないので、そこは素直に受け取っておいた。
「まあ、ありがとう……」
ミースケは器用に腕を組んで、うんうんと頷いて見せた。
「これで俺も肩の荷が下りたよ。トラオもそうだろ」
「ああ、あとは若いもんだけで愉しんだらええ」
急にジジくさい感じになった。一体あんたはいくつなのよ。
「なあに? 私と野村君を観察して愉しんでただけでしょ。そんな温かい目で見てた感じじゃなかったわよね」
トラオは全くジジくさい調子を崩さず、さらにニタニタ口元を吊り上げた。
「いやあ、やっぱり若いもんはええのお。わしも昔を思い出してしもうたわ」
「いやいや、そんな年寄りでもないでしょ。それにあんた猫でしょ。人間の恋愛なんてあんたには経験無いに決まってるじゃない」
「とにかく冥途の土産ができたよ。ええもん見せてもらった」
どこまでもふざけようとするトラオとは対照的に、ミースケはちょっと真面目な感じで恭子の膝の上に乗って来た。
「なあ、キョウコ。これで忠雄とはそうゆう関係になったわけだし、これからはあいつとずっと一緒だな」
「えっと、まあ、夏休み一緒に遊ぶ約束はしたけど……」
「ひゅーひゅー」
「トラオ、うるさい!」
いい加減しつこいトラオを恭子はキッと睨みつけた。
膝の上で恭子の顔を見上げるミースケを、恭子はいつものように撫でてやる。毛並みに沿って喉のあたりで指を動かすと、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。
「ここがいいんだね」
「ああ。もっとやってくれ」
身持ち良さげなミースケをトラオは羨まし気に見ている。
散々からかわれたので、今日はトラオにはしてやらない。
やがてミースケは、蒼い瞳を恭子に向けて、こう言った。
「キョウコ。俺はお前たちを心から祝福するよ。もう何の気兼ねもすることは無いんだ。これからはたくさん二人の時間を作ったらいい」
「うん。ありがとう。でもなんか今日はミースケ、雰囲気が違うね」
「そうか? 俺はいつもと変わらないさ。とにかく、忠雄と行動しろ。それとあいつが誘ってきたら絶対に断るな」
「そりゃ誘ってくれたら断らないよ。でもどうしてそんなこと言うの?」
「ちょっとしたいつものお節介さ。でも今言ったこと、忘れるな」
それ以上詮索できないような雰囲気だった。
ミースケは何かを隠している。恭子はこのときそう思った。
終業のベルが鳴った時、恭子は静物画を描き終えていた。
そして次の頁にミースケとトラオの寝ている姿をあらかた書き終えていた。
なかなかの出来栄えだ。
恭子はあらためて自分の描いた猫を俯瞰し、悦に浸る。
そこへ美樹が出来栄えを覗きにやって来た。
「どうよ? あれ、ミースケとトラオじゃん」
「へへへ、静物画終わったんで、ちょっと時間つぶしにね」
「それにしてはいい出来じゃない。ちょっと見せてよ」
恭子のスケッチブックを手に取った美樹は、何やら感心している。
「恭子、あんた静物画手えぬきすぎじゃない? 猫の方はお見事と言わせてもらうけど」
「そう? けっこう頑張って描いたんだけどな」
返してもらったスケッチブックをめくってみると、確かにこの歯に衣着せぬ友人が言ったとおり、静物画はショボかった。
「やっぱ、猫愛が溢れてるってことじゃない?」
陽気にそう言った美樹に続いて美術室を出た恭子は、絵のことに何故か引っ掛かりを覚えていた。
もう何度も描いたような感覚。
恭子はその正体も分からぬまま、ただ違和感だけを感じていた。




