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世界最強猫と私  作者: ひなたひより
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第42話 初夏のある日

 忠雄の計画には全くスキがなかった。

 まるで将棋のように、相手の意図していることをいつの間にか覆してしまっていた。

 ミースケに対する偏見を払拭するのは、あの講堂での大捕り物だけでも十分だったのだが、忠雄はおまけに犬を登場させ、ミースケが臆病で、また勇敢な猫であることを、見ていた大勢の生徒に印象付けたのだった。

 実は突然現れた大型犬は、キジトラのトラオが擬態したものだった。

 もう長いことキジトラ猫の姿だったので、トラオは犬に擬態するのを猛烈に嫌がった。

 だが、好物のチクワを毎日食べさせてやると言う忠雄の説得で、しぶしぶ引き受けてくれたのだった。

 絶対者と大層な呼び方で自己紹介していたトラオだが、擬態しているキジトラ猫の完成度が高すぎて、完全に猫の習性そのままだった。

 こうして、妖怪から一変して、ミースケは生徒たちから愛され猫として可愛がられるようになった。

 こうしてミースケにまつわる疑惑は一段落した。しかし恭子にとっては後味の悪いものとなった。

 如月カトリーヌが言い出したこの騒動は、実際のところ偽りではなく事実であった。その事実を自分たちの都合にいいように脚色してしまったのは、本来ならば間違っている。

 ミースケを守るために行った忠雄の仕掛けは、確実に一人の女生徒の印象を変えてしまった。

 ミースケは特に何とも感じていないみたいだが、毎日顔を合わす恭子はそのことで少なからず責任を感じていたのだった。



 七月に入って久しぶりの晴れ間が出たある日、少し足元のゆるいグラウンドで行われた体育の授業はハードルだった。

 そこそこ靴を汚しながら息を切らして頑張った授業が終わり、皆が更衣室へと移動していった後、給水機で水を飲んでいる、最近まるで口を利かなくなったカトリーヌに恭子は声を掛けた。


「如月さん」


 給水機で水を飲むカトリーヌは、恭子の声に落ち着いた感じで顔を上げた。


「なに?」


 振り返ったその顔には笑顔が張り付いていた。しかしその目はどう見ても笑っていなかった。


「いや、その、最近どうかなって」

「どうって?」

「いや、あんまし、話もしてないなって思って」


 なんとなく声を掛けたはいいが、何を話そうとか考えてなかった。


「私の方は取り立ててなにも。片瀬さんは色々とありそうだけど」


 やはり相当引きずっていそうだ。それはそうだろう、当然の反応だった。

 当たり障りのない話で終わらせることも出来たが、恭子はこの一見穏やかそうで不機嫌なクラスメートに、一つだけでも偽りのない本当のことを伝えておきたいと思った。


「あの、私、如月さんに言っておきたいことがあって……」


 カトリーヌは恭子の顔をじっと見る。表情は穏やかだが、その目は相手を探るような眼差しだった。


「あのね、前に如月さんと一緒に帰った時に少しだけ話したことなんだ」

「……」

「野村君のこと……」


 恭子の口から出たひと言に、カトリーヌの眉がピクリと反応した。


「あの時、如月さんに彼のこと何とも思ってないみたいに私言った……」

「……」

「でも、本当は違うの。特に今は……」

「好きだってこと……?」


 カトリーヌはやっと口を開いた。

 そのカトリーヌの問いに、恭子は一度目を閉じて静かに肯定した。


「うん……」


 カトリーヌがどういった顔をしているのか、うつむいてしまった恭子には知る由もなかった。頬を紅くして黙り込んだ恭子の肩に、カトリーヌの手がそっと置かれた。


「知ってたよ。でも言ってくれてありがとう」

「如月さん……」


 顔を上げた恭子に、カトリーヌはあのエレガントスマイルを見せた。


「片瀬さんと彼は誰が見たってアツアツだよ。見ていて恥ずかしくなるっていうか、あふれ出てるし」


 言われてみて、そう見えているのだと自覚して、恭子はさらに赤くなった。

 赤面した恭子の純情さに、カトリーヌは細い眉をハの字にして、フウと一つ息を吐いた。


「彼のことちょっと気になってたけど、もう忘れちゃうわ。あの不思議な猫のことと一緒に」

「如月さん……」

「片瀬さんのこと、ちょっと分かった気がする。野村君が夢中になるのも少しは分かったかも」


 そう言ってカトリーヌは恭子に背を向けた。立ち去ろうとするその背中に恭子は思わず声を掛けた。


「如月さん」

「ん?」


 梅雨の合間に見せた眩しい日差し、木漏れ日の中で振り返ったカトリーヌは、恭子が憧れてしまうほど可愛かった。


「あの、もしよかったら、今日一緒にお弁当食べない」


 ちょっと意外だったのか、カトリーヌはクスリと一つ笑った。


「うん。そうだね」


 木漏れ日の中で小さな約束を交わした二人の少女。

 まだ蝉の声も聴こえない初夏の入り口で、ほんの少しだけ特別な時間が流れていた。


 恭子とカトリーヌが去った体育館裏。

 ミースケはこっそりと二人の姿を見送ったあとで、雲の多い空に目を向けた。


「うっとおしい奴らだ……」


 ミースケの蒼い瞳は、高い空に舞う黒々とした烏の群れに向けられていた。

 その高い空を滑空するものが禍々しい何かであることを、このときミースケだけが気付いていた。

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