第41話 忠雄の才能
三日後、忠雄の計画を実行に移す日が来た。
いつのまにかミースケの噂には、色々な尾ひれがついてしまっていた。
二足歩行ができるだとか、稲妻のように早く動けるとか、三階まで跳躍できるとか、実際はその全てを余裕でこなすだろうが、まるで妖怪のような扱いであった。そういった好奇の目で見られながらもミースケは学校に現れた。
いつまた、あの変な怪物が現れるかも知れないからだった。
ミースケは自分に好奇の目が向くことを意に介さず、ただ恭子の身の安全だけを優先していた。
その献身的でいじらしいとさえ感じられる姿に、恭子はまたキュンとさせられてしまうのだった。
今日は授業の始まる前に全校集会があった。
講堂に集まった生徒たちは、退屈な校長の話を軽く聞き流し、最後の方はポツポツおしゃべりをする生徒も出てくるぐらいになっていた。
校長の話が終わりに近づいた時、壇上に、尻尾を立てた猫が悠々と上がって来た。
ミースケだった。
そして当たり前のように、四本足で校長の方へと向かって行く。
「あ、噂の猫じゃないか?」
「あのプールに住み着いてるって猫?」
「人間みたいに二本足で歩くって聞いたけど」
ミースケの登場で、生徒たちは一斉に騒がしくなり始めた。
「にゃー」
校長に向かってミースケがひと鳴き。
やや太り気味の校長は、薄い頭を生徒たちに向けてかがむと、ミースケの頭を撫でた。
恭子はそれを見て、猫のことを分かってないなと、校長の猫キャリアを見抜いた。
生徒たちが興味津々で見守る中で、恐らく如月カトリーヌが一番意表を突かれたに違いない。
生徒たちは奇妙な噂の正体を見極めてやろうと、壇上の猫に集中していた。
「にゃあー」
ミースケは壇上で校長に撫でられて目を細めた。
「なに? なんか妖怪みたいな噂が立ってたけど、ただの人懐こい猫じゃないか」
「それに、滅茶苦茶可愛い。私も触りたい」
「おれも」
このミースケの登場は忠雄の作戦だった。こうして実際のミースケを大勢に見せるのが作戦の最初の一手だった。
人は知らないものに対しては想像力を働かせ、己の中でその姿を形成する。
その形を作る情報があらぬ噂であれば、得体の知れないものは、より得体の知れないものと捉えられるだろう。
まずはそのことを払拭するために、実際のミースケを生徒たちの前に登場させたのだった。
「なんか、如月さんが言ってたのと雰囲気違うくない?」
「ああ、俺もそう思う」
周りにそんな声が出始めて、如月カトリーヌは周りの生徒たちの目を集めてしまっていた。
カトリーヌはエレガントにはにかみながら、落ち着いた口調でこう言った。
「でも、みんなも観たよね。二本足で立って歩いてる動画」
恐らくカトリーヌが流したであろう決定的な動画だった。
こればかりは証拠として、多くの生徒のスマホに拡散されてしまっており、否定のしようもなかった。
そして忠雄が遠目に恭子に目配せをしてきた。それが第二手の合図だった。
「すみません。うちの猫なんです」
恭子はバタバタと壇上に上がってミースケを捕まえた。
「すみません校長先生。いくら言っても聞かなくって」
「そりゃそうだろうね。猫と喋れるわけないからね」
校長は柔和な笑顔を見せて、懐の深い大人であると生徒たちにアピールした。
そして抱きかかえて壇上から降りようとすると、ミースケはぐにゃりとした体をそらせて恭子の手から逃げ出した。
「ちょっと、ミースケ、ミースケったら」
逃げ回る猫を恭子は追いかける。講堂中がその姿に爆笑した。
恭子は恥ずかしさで真っ赤になりながらミースケを追いかけ、校長も一緒になって、猫を追いかけてくれた。そしてさらに教頭と、学年主任の先生もそこに参戦する。
そのあたふたした壇上での大捕り物に、講堂内では笑い声と頑張れと言う声援が起こった。
「はあ、はあ、はあ、なんてすばしこい猫なんだ」
髪を振り乱した校長が、とうとうその場でへたり込んだ。
恭子はここで三手目を行動に移した。
「あのー、校長先生、餌で釣ってもいいですか?」
「いい。もう何でもいいから早く捕まえなさい」
「それじゃあ、遠慮なく……」
恭子はポケットに忍ばせておいた猫用おやつを出して、ミースケを誘った。
「ほーら、お前の好きなおやつだよー。さーおいでー」
「にゃー」
全員がことの結末を見守る中、ミースケは尻尾を立てて恭子に走って行った。
「もう、あんた、駄目じゃない。校長先生くたくただよ」
「にゃー」
恭子は手にしたスティックおやつをミースケの頭上にかざした。
するとミースケは二本足でスーッと立ち上がった。
そして恭子の誘導するままに、たどたどしいながらも二本足で数歩歩いた。
「なんだ、食い意地が張ってるだけじゃないか」
「二本足でって、ああいう感じで歩いてたんだろうな」
しばらく二本足で歩いて、ミースケは疲れたようにまた四本足に戻った。
そして恭子はおやつにつられたミースケを、しっかりと抱いて捕まえた。
そしてようやく決着のついたこの大捕り物に、歓声が上がり拍手が湧いた。
「お騒がせしてすみませんでした」
恭子はそう言い残して、そそくさと壇上から降りて行った。
その一部始終を見たカトリーヌからは、珍しくエレガントスマイルが消えていた。
妖怪みたいと形容されていた猫は、たった今普通の意地汚い猫として認知されたのだった。
授業前の全校集会で起こったイベントに、大盛り上がりしていた生徒たちは、ようやく先生らに注意されて落ち着きを取り戻した。
こうしてちょっとした茶番で長引いた全校集会は終わった。
忠雄が描いたシナリオどおりに幕を閉じたこのイベントは、これで終わりではなかった。
ミースケには払拭しておかなければならない、もう一つの噂があった。
講堂を退出する生徒たちが列になって校舎へと向かっていた時、中庭に学校にいる筈のないものが現れた。
大柄な犬だった。
中途半端な長さの黒っぽい毛並みが、いかにも雑種という感じだった。
口の周りには白く涎が張り付いていて、いかにも人を嚙みそうな雰囲気が漂っていた。
このご時世に野良犬か。生徒たちはからかい半分に足を止め、不審な犬に注目した。
「ワン!」
大きく一度吠えた犬は、列になっていた生徒たちに勢いよくかかって行った。
まさか向かってくるとは思っていなかった生徒たちは、大慌てで逃げ出した。
ミースケを抱いていた恭子は、散り散りになった生徒たちに紛れて、同じように逃げ出した。
犬は逃げ惑う生徒たちではなく、猫を抱いている恭子を追いかけて来た。
追い縋って来た犬が吠え立てる。その威嚇に、恭子の腕の中のミースケが飛び出して、近くの楓の樹に爪を立て、さっさと上って行った。
臆病で薄情な猫に置いて行かれた恭子は、楓の木を背にして追い詰められた。そこへ犬が唸り声を上げながら近づいてくる。
逃げ場のない恭子に、凶暴な犬が襲い掛かろうとした時だった。
木に登って行ったはずの猫が、ダイブして犬の鼻面に爪を一閃させた。
「シャー!」
背中の毛を逆立てて、自分の五倍はあろうかという大型犬を威嚇する。
犬は引っかかれた痛みと、その迫力に尻尾をまいて退散していった。
背中の毛を逆立てていた猫を恭子は抱き上げた。
「ありがと。もう大丈夫だよ」
それを見ていた生徒たちから拍手が上がった。
一度は逃げ出したものの、危険を顧みず飼い主を守った毛の塊に、生徒一同は賛辞を贈ったのだった。




